鬼女の昇華 | 愛も豊かさも全てが実る女神の楽園

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節分ですね
家の近所には閻魔堂があり
鬼の山、大江山にも呼ばれたりと
鬼との縁が深いえるぅかです


節分は鬼の節句
伊邪那美の節句のように感じています


今年は新年早々から鬼づいてました👹

まずは、年末年始と鬼女にまつわる歌舞伎の演目を観ることに…

年末に見たのは「娘道成寺」

道明寺を舞台とした、若い僧・安珍に恋をした娘・清姫が安珍に嘘をつかれ振られて大蛇となり鐘に隠れた安珍を鐘ごと焼き殺す「道明寺」の後日譚

桜満開の道成寺。清姫の化身だった大蛇に鐘を焼かれた道成寺は以来鐘がなかったが、ようやく鐘が奉納されることとなり、その供養が行われることになった。

そこに、美しい白拍子がやってきて鐘の供養があると聞いたので拝ませてほしいという。修行中の若い僧たちは白拍子が実は清姫の化身だったことに気づくが時遅く、とうとう清姫は鐘の中に飛び込む。と、鐘の上に大蛇が現れる。


と、娘が鬼女(大蛇)になったところで年末を終わりました


新年早々、父が地元の観音様にある閻魔堂の鬼のカードをいただいてきて鬼で新年迎えました。


新年最初の歌舞伎は、友だちから招待していただいての観覧。

こういう意図が全くないときには重要なことが隠れてるもの。
何があるのかしら?と、思えば



最後の演目が「黒塚」
黒塚は、人を喰い殺していた鬼婆が高僧阿闍梨の法力で祈り伏せられる演目です



「道明寺」「黒塚」どちらも男にウソを重ねられ嫉妬に心を失くした女が鬼となり苦しみ、清姫は封印され、黒塚では僧侶によって法力によって祓われる話です。





《鬼女は伊邪那美》
黒塚は黒髪塚ともいいます
伊邪那美の別名は黒髪大神(クロカミノオオカミ)黄泉の国を総てますから、伊邪那美は鬼の頭です
鬼女とは実は、伊邪那美(イザナミ)のこと



道明寺の清姫も、黒髪の鬼婆も、はじめは鬼女ではありません。
男の心無いウソが積み重ねられ、傷付き、疑い、心が澱み鬼となりました。



イザナミもイザナギによる裏切りによって、偽りの闇へと堕ちました




鬼女を退治する僧侶たちのすることは人を守る正しいことでもありますが、鬼女の心までは救われず、とても心痛く悲しみが残ります

魍魎となった鬼は封じられますが、封じられただけで、鬼となった心はそのままで闇のままです




祓いや祈りそして、封印を開くことも大事なことですが、
一番大事なのは、心よりの謝罪、心よりの愛の言葉、心よりの言祝ぎ

正しい言い方など、決まった形式に囚われずに

自らの内側心から出る言祝ぎこそが、鬼となった心をとかすことができます




イザナミの心にも冷たい黒い塊がありました。
イザナギが心より謝罪をし愛の言葉を届けてくれたおかげで、冷たい塊は溶けてなくなりイザナミも偽りの闇より出ることができました。


去年おこったイザナミとイザナギの和合

右矢印③伊奘諾と伊奘冉の和合



去年一年間を通して、わたしの中にあった男性への不信を抱えた冷たい鬼の心は溶けていきました






そして今年の1月、ご縁があり千葉の市川にある日蓮宗中山法華経寺で荒修行を終えたばかりの100人近い修行僧に囲まれて祈祷していただくとこになりました



行ってみてびっくり

鬼子母神を祀られているお寺でした!
鬼子母神に呼ばれているとは感じていたのですが、呼びだされました(笑)
(椿山荘の近くにも鬼子母神があるのです)



ここでも「鬼」
そして母=伊邪那美ですね

この日に、禊を受けたおかげで、残っていたものが浄化されたようで、とても軽くなりました


哀しみを怒りを、解かずに、ただ伏せられるだけでは抑えて蓋をするだけにしかなりません



謝する言葉がまずあり、その後に祈りがあることで、浄化が完成されました


子を思う気持ち
愛する夫を思う気持ち

愛する心は良いものですが、
そこに縛られることで魍魎の鬼となることは、もう終わらせていくことができます



囚われず
待たず

自分を満たして、
愛を巡り巡らせていく

それこそが自らの縛りを解き
自由になること




飛び立つ春です

祝立春

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