先日、床屋さんへ行きました。ご存じのように、私の頭には刈るべき毛髪は通常の半分以下です。髪型もセットできませんし、ただ単に短くするだけなので、カット代金は半額で充分でしょう。そろそろ坊主にしようかな というレベルギリギリです。ですからカットのみ1,200円の理容室へ参ります。そのお隣にある美容室のカット5,000円に全く価値を感じられません(禿げ割でもあれば少しは考えます)。西麻布のカット9,000円には驚いてお漏らししそうです。
それでも床屋へ行く理由はコームで毛を逆撫でされ、ハサミが小気味よくシャカシャカとカットされるのが気持ちよいからです。髭を剃らず洗髪もしない理由は必ず肌荒れと頭皮荒れを起こすからです。
人には人の考え、価値観、事情というものがあります。
《その日の会話》
私)全体を短めで耳を出して、刈り上げをせず、ハサミでお願いします。カットのみで。
床)はい。
[で、おもむろにバリカンを手にした]
私)あ、ハサミでお願いします。
床)もー、お客さんはみんな分かってないんだよ! バリカンの方がね〜、、、
私)バリカンの音が嫌いなんです
床)あ、き、きらいなのね、、、
[バリカンの音も嫌いだけどハサミの心地よさを分かってないのはあんただよ]
バリカンで刈るなら二度と行かない。自分でバリカン買って五分刈りでもスキンヘッドにもするわ。長い目で見ればその方が安上がりかも。この禿げ頭でも床屋へ行くのは、10分間だけ気持ち良さを味わいにお金を払うのだ。
当然だが、そんなことは誰も知らないのである。
*マンション受付に置かれたつくしさん
ということは、
同じことを自分もしている
ということになるのだ。
気をつけなければならない。
この世は誰しも、自分の世界でしか生きられない。自分の偏見を通してでしか世の中を見ることはできない。だから本当の意味で客観的に物事を見ることができる人はこの世に誰もいない。この主観しか存在しないド偏見のカオスの中で世を調和へ導くためには、もはや相互理解しかないのである。
お互いを尊重し、お互いを認め合う世界
お互いのスキルを活用し、助け合う世界
愛と思いやり
それが平和だと思うわ
ただ、まだ世の中は貨幣経済で動いているからスキルをお金で買うことは続くでしょう。それはそれで。私もやってます。はい。
というわけで、
平和的に使う言葉は なるほど、貴方はそう思うのね です。