今月は体調が優れない日々が続いています。やることを入れすぎてしまう傾向があるんですよね。GWは家のお掃除をと思っていましたが、適当に養生しますかね。

 

さてさて、

 

記憶にも新しいことですが、野球界からイチロー選手が引退されました。引退後も新聞記事などに「孤高の天才」という文字が書かれていました。同僚だった長谷川投手は「彼は天才じゃなくて、類い希な努力家です」とおっしゃってました。過度な期待は自分を苦しめると、あのイチロー選手が語っていました。

 

目に見えるところだけでその人を判断してしまうことは日常的にはよくございます。私もしてしまいます。これは、他人には見えないことであり、自分しか分からないことですから当然です。どんな人でも自己評価と他己評価は違うものですが、世界の人々に観られる方の場合は尋常ではないギャップがあるものと推察されます。そして、結果だけで評価される厳しい世界がアスリートの世界なのかもしれません。

 

言い方を変えますと、イチロー選手はひたすらに努力を続ける天才と言えるのかも知れません。何故続けられたかというと「好きだから」の一言に尽きると言っても過言ではありません。そのような発言もあったように思います。

 

イチロー選手は子ども達へのメッセージとして、心の底からやりたいことを早く見つけて欲しい、それをやらないことが後悔することである、やりたいことをしていてぶつかる壁は乗り越える気力が最初からあるという、何と素敵な言葉でしょう。やはり一定の水準へ達した方の言う言葉の重みはさすがだなあと感銘を受けました。

 

ただひたすらに好きな山を登り続けること、どうするのがベストなのかを研究して登り続けること。

 

私の師は言いました。

 

成功するためにはこれさえすればいいのだと。

 

 

誰もが出来ることを、誰もが出来ないほどする

 

これをただ単にやろうとすると難しく思えるでしょうが、学びを極めようとすると「継続は力なり」という感じですね。例えば挨拶とか、玄関の掃除とかもそうです。高みを目指すなら、黙々と繰り返すことで開く扉があると師はおっしゃいました。また、師は「本は百回読みなさい」「映画を一度みたのは観た内には入らない」ともおっしゃいます。

 

ひたすらに続けることで開く扉がある、ということです。

 

でも好きなら続けられるでしょう。嫌々趣味を続ける人はいないでしょう。好きで続けた結果、世間で注目されて日の目を見る方が最近は増えてきたと思えます。メディアもそんな番組を作るからというのもあるでしょう。昔はそんな人を「オタク」と呼んで毛嫌いしていましたが、時代って面白いですね音譜

 

 

前置きが長くなりました。

ブログを見た方や、講演会を聞かれた方の中から、よく言われる言葉があるのです。

 

とても勇気のある活動に感動しました

 

私、、、勇気を持って講演会やブログを書いたことはないというか、そんな意気込みで活動したことはですね、実は、無いのです。ですから、言われると驚くのです。当初は言われた意味が分かりませんでした。余りにも色々な方から言われるので、自己評価と他己評価にギャップがあると気づきました。世間から見ると、私の言動は勇気があると評価されるらしい、ということに。

 

どんな気持ちで書いたり言ったりしているかというと、事実を淡々と述べているに過ぎない感覚です。家から駅の間にある花壇をよく見ると〇〇のお花が綺麗に咲いているのに気づいていましたか? っていう感覚に近いです。この発言に勇気は要りませんよね。

 

なぜ何年も続けていられるのか、講演を聞く度に進化していると言われるのか、それは好きだからです。私に会った方の心の扉が開く瞬間は本当に嬉しいのです。ドパミンがドバーッと出ちゃいますよ。だからやめられないし、やめたいとも思わないし、もっと分かりやすく伝える方法を研究模索することに苦痛はありません。

 

時に厳しいことも言いますが、それはその人が負のループをグルグルしているときです。グルグルから脱するためにはインパクトが必要だから。そんな時に「酷いことを言う人」という評価を頂くこともあります。私には不機嫌を隠す能力もありませんし、離れていく人もいます。でも、何も言わずにはいられないのです。はい。お節介ですねえー

 

こんな私ですが、時には試練がやってきて壁として立ちはだかります。泣き言を言ったりもします。落ち込んだり凹んだりもします。でも、結局は乗り越える努力をしてしまうのです心を病んだ後の話です。イチロー選手と比較すると私は月とすっぽんではありますが、美しいスッポンを目指しています。

 

皆さんも、ご自身の好きな世界観の高みを目指しましょうラブラブ