令和元年になりました。月並みは好きな方ではありませんが、せっかく時代の節目にこうして居られる訳ですからね。でも、世間ではこの大きな節目がなぜ盛り上がらないのだろうか?という問いに対し、妻は答えました。

 

平和な引き継ぎだからじゃないの?

 

おお!確かにそうかも。実は私も盛り上がってはいないのです。昭和天皇が崩御されたときの国民感情は確かに悲しみに包まれていたように思います。そして間髪入れずに平成となり、慌ただしく時が過ぎていきました。今回は引き継ぎの日も決まっていて、平成天皇陛下と皇后陛下のお二方のお元気な姿を見ることができているから、なんでしょう。

 

あ、本題に入りますね。

 


 

この世に生まれて58年と5ヶ月ほどですが、全てを振り返ってみても今の私は実に幸せだなあと、つくづく思うのであります。医者だからっていう話じゃないです。それも含みますけどね。それなりに紆余曲折がありましたけれど、結果的に今は自分のスキルを用いて、やりたいことをして生きていけるから幸せです。やりたいことをして、それが楽しい、それこそがこの世の人生だと思うのであります。楽しくない仕事なら、どうしたら楽しくなるかを考えて工夫すればいいんですよね。大変だったりもしますけど。要は「したいの?」「したくないの?」ってことになります。したくないことをしていたら不満がたまるのは当然ですから。私もそんな時期がありました。

 

そう、ブログの自叙伝にも書きましたけれど、ここに至るまでには紆余曲折があり、山脈があり谷底がありました。その時は不安の渦に巻き込まれて苦悩しましたが、今振り返ると必要不可欠な出来事だったと思えるのです。なぜなら、その経験が今の私に華を添えているからです。例えばですが、以前に鬱病で死のうとはしましたが、死なずその経験をすることにより、同じような感覚の人の気持ちが分かるようになっています。近くまで行ってみると[死ぬ/生きる]って、紙一重なんですよ。だからね、

 

人生に無意味なことは一切ない。そう思えるのです。

 

なぜ運が良いかと言うと、困ったときに協力者というか、サポーターが現れてくれたからです。きっと、本当に困っている人を目の当たりにした時は手を差し伸べたくなるのが人なのかもしれません。もっと遡れば、厳しい父と優しい母の元に生まれた事(選んだはずだが覚えてない)です。思い返すと色々なラッキーが数え切れないほどあったな〜〜と思えます。きっと、不運だと思ったことも長い目で見ると幸運なのだろうと思えることもたくさん有りました。例えば小学校の担任にダメ生徒と馬鹿にされ続けたことで悔し涙を流し恨みましたけれどね、裏を返せば「あいつを見返してやる!」っていう医学部合格への発憤材料になった訳ですしね、あとで思い返せばありがたい存在でした。だから、嫌なことを人生から一つ消してしまうと、今の自分はあり得ないんです。

 

そうやって、人類は命を繋いできたんですよね。生きているだけで運がいいとも言えますから。明石家さんまさんはこう言っています。

 

生きてるだけで丸儲け

 

素敵な言葉ですよね。そこからIMARUさんの名前が付いたっていう話ですしね。こんな言葉を言える人なんだなあって、しみじみ思います。それを知ってからリスペクトしてますよ。

 

そうですねえ、、、生まれた境遇でも運と不運はあると思います。世の中には不運で生きてきたような方のお話しも伺いますし。ですから、尚更そうでない方は胸を張って生きて欲しいですね。何はともあれ、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」ということになるのだろうと思います。この本が嫌いだっていう人がいましたけれど、その人はきっと私のことも嫌いでしょう。能天気野郎に見えるはずだから。私は慎重派で決して能天気ではございませんが、まあ、いいでしょう。そこは。

 

だからこそです。だからこそ、自分は運がいいと益々思うのです。そりゃあ、もっと運がいい人もたくさんいます。色々考えてみますとね、やっぱり運だけで生きてきたと言っても過言ではないような気がします。やっぱり、その運をどう使うのかも大切です。何事も受け取り手の問題ですけれど。。。ですから、

 

受け取り方をどう変えていくのか ってことだと思うんです。

 

目の前のチャンスを逃さない嗅覚というか、アンテナを張っておくことも大切です。あ、お友達が「神様小テスト」のお話をしてくれました。神様は乗り越えられる試練しか与えないというものですが、その小試練が日々起こるという概念です。行列に横入りされるとか、通路でぶつかられるとか、店員の態度が悪く不快だったとか、日々起こる不快と思えること。そのお友達は、目の前の不快に目を向けず、楽しいこと幸せなことをイメージするとおっしゃっていました。すると、目の前の不快は姿を消しているのだと。私は根性で「この人をイライラさせる原因はなんだろうか?」とか「この無礼は礼儀を教わる機会がなかったのだろう」とかを妄想して理解しようとします。少し和らぐ。でも楽しい事へ変換できないから、まだまだ未熟です。

 

獣医の森井啓二さんは「赦し」が人類最大の壁だとおっしゃっていました。自分もそうなれるといいなと思います。赦せないから一つの事から報復合戦となり、世界で紛争がなくならないんですよね。。。

 

今日はとりとめもないお話でした。

 

令和という年に向けて楽しく歩んで参りましょう。