多くの人が医者に多大な期待を寄せています。医者は健康のスペシャリストだと思っています。しかし、その幻想から抜けて考えねばなりません。医者は病気のスペシャリストです。医者は健康になる為に何をするかを学んだことがないのです。

 

 

主治医と何でも話せる人は少なく、

逆に恐れている人は多いかもしれません。

質問すると怒られる、

又は嫌われると思ったりもしています。

そんな関係性が普通になってしまう.....

 

なんでだろうはてなマーク

 

考えてみましょう。

医学部は、なぜか理系である。

それなりに偏差値は高い。

受験勉強の道も半端ではない。

医歯薬系専門塾すらある。

十代の青春は受験勉強へ消えていく。

*天才を除く

 

医学部へ行くと試験まみれだ。

どうして部活ができたのか思い出せない。

試験前は友人らと泊まり込みで勉強をした。

切磋琢磨というやつだ。

*ちなみにこの文章は単なる個人的な見解である

 

本試験を落とすと再試験がある。

再試験は本試験と重なったりもする。

1科目でも大変なのに2科目同時は、、、

*鼻歌交じりで試験に合格する人を除きます

 

卒業試験に通らないと国家試験を受けられない。

卒試の方が国試より難しいとされる。

しゃかりきになって勉強する。

国家試験に合格すると、突然「先生」になる。

何も教えてないけど、先生になる。

 

先生になった途端、チヤホヤされる。

でも現場ド素人である。

しゃかりきになって医療現場を学ぶ。

3年目くらいには肩で風を切って歩くようになる。

どんどんと天狗化していく。

5年目くらいには天下人になった気になる。

 

大学にいると論文を書くことが重要となるが、病棟、救急、手術、外来、指導、当直、研究などでヘトヘトボロボロになる。

 

10年選手となると、かなり頼りにされるようになる。

何でもできる気がする時期でもある。

しかしこの頃になると「恐れ」を知るようになる。

 

あと専門医試験に合格することを求められる。

少なくとも認定医を持たないと認められない。

脳外科専門医試験は医学界で2番目に難しいとされる。

何度か落ちたが苦手分野を克服し、気合いで合格した。

*普通にやれば専門医試験に合格できるよという人を除きます

 

同時に学位論文も出し医学博士になった。

遺伝子解析と免疫電子顕微鏡を絡めた論文だ。

5年かかった。

気が狂ったように研究して働いていた時期であり、

首からタイマーをぶら下げて実験室と病棟を走っていた。

あとは何をどうしていたのか全く記憶がないのである。

しかし、この2つの経験は自分に自信を与えた。

 

 

長かったですね、この話。

要するにですね、

 

医者は人間教育を受けることはないのです。

 

育った家庭頼みです。ですから、医者の心の内は「ほぼ見たまんま」だと思って構いません。不機嫌なときは不機嫌に見えるのです。しかし、どんな態度であろうとも悪意は無いと思っていいでしょう。ただ、そこにあるのはEGOです。この話をするといつも思い出すエピソード「そんな説明では治療を受けられません!」「わ、わっ、私を誰だと思っているんだ!? 〇〇大学の名誉教授だぞむかっむかっむかっ*関西方面の病院です

 

医者は、

自分が行っている医療は正しいビックリマーク 

 

というselfish幻想を持ちやすいのです。度を超した場合は裸の王様になります。あと、高校で成績優秀だと医学部受験を教師や塾講師から勧められる場合があります。この場合は「志し」がない医者が誕生したりします。衝撃的な発言や行動を目の当たりにしたこともあります 衝撃過ぎて書くことができません。まあ、人間性は出た大学では分かりませんが。

 

そして、

医者はガイドラインで動くのです

 

ガイドラインに沿って医療行為を行うことを求められ、それに外れたことは基本的にいたしません。もし、ガイドラインに従わずに事故や死亡などという事態になれば、訴訟となって負けるのは必至であろうことが容易に推定できるからです。だから意地でも外れようとはしません。患者さんの好き嫌いで行動をしているのではなく、ガイドラインを行動規範としているのです。そのラインを決めるのは各学会です。エヴィデンスにより、それが今の最高だと信じられているからです。

 

あと最近は、

診察より検査を重んじる傾向もあります

 

検査機器の発達で細かい数値は出るし、異常値を示してくれるし、検査画像の精度は上がっています。結果が出ればガイドラインに合わせればいい。そこに思考は入り込む余地がなくなっていきます。この思考停止医療なら、きっと医療AIが導入されればスマホアプリで診察は1分ほどで済んで、更に必要な医療がありそうとAIが判定すれば位置情報から適した医療機関を提示され、予約をするか聞いてくるでしょう。自宅でもアプリで症状を打ち込めば数分で診断候補名と推奨医療機関を提示されるでしょう。これが医師の負担を減らし、医師不足は容易に解消するはずです。話が逸れました。医者は視診聴診触診よりも検査結果の方が精度が高いと思うようになります。だからでしょうか、PCばかりみて触れるどころか見向きもしない医者が多いと文句が聞こえてくるのは。あと、異常が無ければどんなに症状があろうと「異常なし」で帰されます。

 

それは、

検査で異常が無い人=正常な人

 

となるので、言われる言葉は「問題ないですね」「年ですね」「更年期ですね」「異常が無いから大丈夫です」「なにかお薬でも出しておきましょう」となるのです*何かの薬は要りません。そもそも異常が無ければ診断名がつきません。診断名が付かなければ一歩も動けないのが日本の現代医学ですから意地でも付けます。でも患者さんは「どうしてこの症状があるのですか?」と聞きます。それは検査で出ません。だから医者は声高らかに言います。

 

病気じゃないんだから喜びなさいビックリマーク

 

いや、病気なんですけど。まあ、そんな感じだと思って下さい。異常が検出されなければ医者の思考は益々停止しますし、マニュアルにない行動はとれません。サイコロの無い双六すごろくのようなものです。これは単に、医療機械では検出できない異常があるから症状が出ているのです。それは医学にとっては関係のない話ですから掛ける言葉が出ません。だから検出精度を医療機器メーカーは上げようとするのでしょうか。

 

また、

病気に対処すれば健康になるという幻想も持っています。

 

完全に間違えだとは言えないのですが、日本の現代医学は三大療法だと再三書いてきました。手術・放射線・化学療法(薬物)=切る・焼く・盛る。この3つだけで全てに対処しなければなりませんので、そもそも無理があるし、歪みを生みます。どんな病名になろうとも、この3つしか提示されることはありません。日本では、ですけどね。「病気じゃ無ければ大丈夫」というのは「貴方のことは嫌いじゃないけどね」という言葉に似ています。これを「健康になる」と解釈することは「私のことが大好きなんだね!」となります。この解釈をするのが医学界です。

 

つまり、

死なせないこと=医療は成功

 

ということなのであって、それが患者さんの幸せかどうかは無関係です もちろん幸せになる事もあります。医療で成功したら、自動的に患者さんは幸せになったに違いないと思い込みます。結果が伴わない場合は「切る焼く盛るで最善を尽くしたのだから仕方がない」となります。そこで注文を付けられたりすると気分を害されるのです。せっかく作ったご飯を美味しくないと言われて不機嫌になるような感じでしょうか。 *打ちひしがれる医師を除きます。

 

そして、

日本の現代医学に健康への道筋はない

 

これも再三書いてきましたね。根治は100%不可能であると。病気の根本原因に触れることは全くできない、それが日本の現代医学です *これは自然療法にも多く含まれます。そもそも、医学部で健康を学ぶ事はありません。しゃかりきになって病気を学びます。病気のスペシャリストであって、健康に関しては無知と言える状態です。

 

決して日本の医療を馬鹿にしている訳ではございません。患者という立場になった際、相手のことをよく理解しておくことが、より良い医療を受けることになるのだ、というお話です。しかし、医療人はそうではないので、患者となれば、根気強く、粘り強く、自分の人生を語って情に訴えて下さい。医者も人であり、悪い人はおりません。EGOが強いだけです。

 

質問をすると怒られる

医者の言うことを聞けないなら来るな

 

よく言われる言葉でございますね。この意味は分かりますか? 「貴方に寄り添う気は一切ございません爆弾」という宣言でございますね。寄り添う気ならどんな質問にも答えるでしょうし、来るな!なんて言えるはずもございませんからね。そんな医者に命を預ける価値があるのだろうか? と考えて欲しいです *医者には意見を述べても強制はせず理解を示すスタンスが必要です。それでも患者としては、根気強く、粘り強く、自分の人生を語って情に訴えて、良好な医師患者関係を構築して欲しいと思います。どうしてもダメなら、医者を変えるか、医療機関を変えるしかありません。人生がかかっていますからね。

 

もし、

気持ちを汲んでくれる主治医に出会ったら幸運です

 

運を味方につけるためにも、日頃から徳を積んでおきましょう。

 

いつも長くて恐縮です。

お読み頂きありがとうございます。

 

このような内容も書籍に書いてございますので、お読み頂ければ幸いです。

「あなたが信じてきた医療は本当ですか?」

 

では、また。