最近アマゾンでちょっとモヤモヤすることがありました。

 

 アマゾンで腕時計の部品とビニールの鍵ケースを買ったときのこと。小さい品で2つ合わせても1000円しないものでした。そのせいか、注文時のアマゾンの配送情報にも「ポスト投函か置き配」となってました。自分は普段から盗難とか雨でぬれてしまうこと等を気にしながらも、配達時間に合わせて在宅する必要がない置き配は便利なのでよく使っていました。この時も配達方法を特に変更もせず注文しました。

 

 翌日、アマゾンから「商品配送中」のメールが来ました。それを見て夜までには商品が届くのかと思っていました。ところが夜遅くなっても配送はやってきません。どうしたのかと気になっていたところに、突然「お届け済」のメールが届きました。えっ、と思い改めてポストや玄関回りを見渡してもそれらしきものはありません。さては誰かが持ち去ったのか?でも、前に自分の荷物が向いのアパートの同じ号室(建物の棟名が少し違うだけで○ーXXX室と部屋番号まで同じ)のポストに間違えて刺さっていたことがあり、もしかしたらまたその違う部屋に誤配したのかとも思いました。

 

 とにかく荷物が届かないという事実だけは伝えないと泣き寝入りになってしまいます。アマゾンのサイトを調べ、カスタマーサービスに電話を掛けました。応対に出たオペレータに配達済通知が来たにもかかわらず商品が未着である旨伝えました。説明の中で、上に書いたように以前にも近所の違う棟の部屋に誤配されていたことも補足しました。応対した女性オペレータは丁寧な人で、まずポストや玄関周り、そして同居人が荷物を引き取った可能性がないか聞いてきたうえでお詫びの言葉を述べてきました。そのあと、「本件、当該商品の配達員に照会し、その後改めて連絡する。数日かかるかもしれないので待っていてほしい」という内容の説明がありました。自分はその説明に納得して電話を切りました。

 

 その後。翌日、翌々日とアマゾンから連絡、あるいは誤配回収した商品の再配達があるかと思って待っていましたが、何の音沙汰もありません。オペレータは「連絡する」と確かに言っていたので、それにもかかわらず何もないのは気になります。でも時間がたつうちに「まあ1000円ほどの、しかもそれほど大切な買い物でもなかったので、まあいいか」と自分に言い聞かせるようになってきました。それからさらに1週間ほど後のこと。今度はアマゾンから唐突に「注文商品の未着をお詫びするとともに、商品の代金は払い戻す」旨のメールが到着しました。

 

 メールを見て自分の頭は混乱しました。商品未着にも関わらず「配達済」のメールを送ってきたのはなぜ?オペレータが「配達員に事実確認の上、連絡する」と言っていたのに、それとは関係なく「未着につき払戻す」といってきたのはなぜ?一体これはどういうことか。送られた商品はどうなったのか、配達員への聞き取りは結局どうなったのか…しばらくグルグルそんなことが頭の中でループしましたが、どうにもなりません。返金するということなのでこの件は自分の中ではなかったことと思い聞かせて終わらせることにしました。

 

 それからさらに1週間がたったころ、偶然ネットでこんな記事をみつけました。妙に納得しました。

 

 

 

 

 記事の内容は要するに、アマゾンは誤配の事実があった場合、基本的には回収も転送もせず商品を廃棄してしまう、ということです。記事によれば、特にアマゾンが直接契約している個人運送者(Uber-Eatsのような人たち?)には誤配しても回収にいくことを指示したりすることさえないそうです。

 この記事が本当だとすれば、自分の荷物も(恐らく)誰かの家に誤配され、そのまま放置されたことになります(その誰かがその荷物をどうしたかは知りようもありません)。何とも勿体ない話ではあるし、仮に注文商品が人に見せられないような性格のものだったらと思うとぞっとします。

 それにあの愛想のよかったオペレータ。彼女には耳さわりのいい声で「配送者に事実関係確認の上連絡いたします」と平然と嘘をつかれたことになります。。いずれにしても合理性を優先してモノを安易に無駄にしてしまうアマゾンの姿勢は「勿体ない」の文化が根づく日本には馴染まないものだと思います。それに、誤配した配達員も(過失にしても故意にしても)何の指摘も注意も受けないとなるとモラルの問題が生じるかもしれません。ひょっとすると年賀状の配達バイトが未配達の賀状を大量投棄する、そのたぐいのニュースに似たケースだって出てきかねません(何も罰せられないのならそうしたくなりますよね)。また、そもそも置き配は治安が良く、誤配が少ない(あってもちゃんと正しい宛先に転送される)という日本ならではの文化に立脚して初めて成り立つ方法だと思います。その美点を生かせず劣化させていくようなビジネスモデルは許容されるべきではないのではないかと思います。

 

 上の記事の真偽も含めて本当のところは藪の中です。

 でも今回のことを機会に、自分は自衛のため、そして自分のためにモノを無駄にされないために「今後はどんな注文でも置き配にせず対面で受け取る」ことを教訓にすることにしました。多少不便になることは否めませんが、どんなに面倒くさくても、荷物は自分が直接受け取り勝手に廃棄させるような真似はさせない。そのためにも「置き配」指示はしない。悲しいことではありますが、これも世の中の流れに逆らう中高年のささやか抵抗なのかもしれません。

 

ではでは