今日は久しぶりにランニングをした。

ランニングとジョギングの違いは、スピードの違いで、1kmを5分以内で走るスピードだとランニングという。

そういう意味では、僕はゆっくり走るのでジョギングをしたことになるけど、走ること全般をランニングと意味するらしいので、ランニングをしたという響きの方が、なんとなく走った気持ちにもなるので、やはり、僕はランニングをしたといいたい。




それでは、今日のブログを始めます(別に毎日更新してるわけではないですが)



僕はたまにランニングをする。といっても、生活のルーティンになるほどではない。本当にたまに。
始めたきっかけは高校生の頃。
僕は演劇部に所属していたのだけど、尊敬している演出家の方が役者は走るべき、と言っていたので、とりあえず役者はランニングを日課にしなければならない生き物と思っていた。

もちろん、役者としてのあり方への考え方は人それぞれで、僕はその考えは間違っていないと思うし、でも、走らない人が役者として恥ずべきとも思ってはいない。その演出家の方の劇団はエンタメの劇団で、役者は何ステージも立つから体力が必要だし、なにより身体を鍛えることにより精神も鍛えられる、とのことである。他にも理由はあったかもしれないが、パッと思い出せるのはこんな理由だ。

高校生の頃も、その考えに則り、ランニングをしたり、身体を鍛えていた。そのおかげで、僕は身体が運動部並みに鍛えられていった。
大学に入って、ランニングをあまりしなくなった。大学の演劇は、どちらかというとエンタメではなかったのと、そういうランニングする、とかそういう雰囲気ではなかったからだ。

僕はカルチャーショックを受けたが、まあその話をしだすと話が長くなりそうなので、置いておこう。(これは今日は置いておいたままです。)


それから、僕はランニングをそこまでしなくなった。といっても、高校生の頃も、毎日やっていたかというと、そうではない。
この辺が、僕は少なからずランニングをした方が役者としていいと思っているのにも関わらず、していない怠け者だということがわかる。


でも、それでも、たまにランニングをするときがある。



それは、走ると気持ちがいいからだ。
僕は役者になるために走っているところもあったが、それと同時に走ることへの気持ちよさも感じていた。

この間なんか、9時間以上も労働したのにも関わらず、ランニングをしたのだが、絶対に疲れると思ったのだが、走ったらとても気持ちが良かった。

走っていると、無心になれる。あと、今、俺は頑張っているぞ、という気持ちになれる。
無心なのか、自尊心を満たしているのか矛盾しているところがあるが、それはまあよしとしよう。(よしとするのかよ!)




とりわけ、走っていると気持ちがいい。




僕は音楽を聴きながら走ることが多い。

ウォークマンを片手に、イヤフォンを耳にして、走っている。

しかし、イヤフォンはランニング用のやつではなく、アップル社のイヤフォンだ。アップル社のイヤフォンはとても良いイヤフォンだと思うが、ランニングにはそこまで適してはいない。
なので、途中でずり落ちる時がある。でも、しょっちゅう落ちるというわけでもなくて、少しは耳で辛抱してくれる。でも、たまにずり落ちてしまう。

先ほどウォークマンを片手にと言ったが、本当はポケットにウォークマンを入れたい。両手はフリーの方がいいので。
しかし、それだと、イヤフォンがずり落ちてしまう確率が高くなってしまう。

なので、仕方なく、片手に持っている。


ランニング用のイヤフォンがあるのは知っているし、それ用のウォークマンがあるのも知っている。

しかし、先ほども述べたが、僕はランニングをそこまで習慣化できていない。ガチじゃないから、それ用のイヤフォンを買おうという気持ちになれない。(そうは言っても靴はランニング用なのだが)



まあそんな悩みを抱えつつ、でも、気持ちよさを感じながら、今日も走っていた。



その時は、アジカンのアフターダークを聴いていた。

歌詞に、

「夜風が運ぶ淡い希望を乗せて
何処まで行けるか
それを拒むように世界は揺れて全てを奪い去る
夢なら覚めた
だけど僕らはまだ何もしていない
進め」

というサビの部分がある。



僕は夜風を感じながら、進んでいた。

僕は正に今の自分だと、気持ちが高鳴った。




その時、僕は本当の意味でのランニングをしていた。全力疾走だった。

もちろん、イヤフォンは耳からずり落ちた。曲なんて聴こえない。


それでも、その日一番の気持ちよさを感じた。


進め!進め!進め!


ああ、走るって気持ち良い!









できれば、習慣化したいけど、明日の自分が走ってくれるかはわからない。

なぜなら僕は怠け者だからだ。それでも、また走ることの気持ちよさを求めて、僕は走るかもしれない。

そうなればいいなぁなんて、淡い希望を抱く。


おわり