渡辺えりオフィシャルブログ「夢見る力」Powered by Ameba
3月20日は早稲田大学14号館で、イラク開戦から十年だったイラクと日本の

社会状況を検証する集まりがありました。

当時から、カメラマンとして活躍している、イラクのジャーナリスト「アリ・マシュハダー」さんイラク戦争で息子亡くしたイギリス人女性「ローズ・ジェントル」さんの講演、イラン大使や防衛大学教授をへて外務省で働いている「孫崎享」さんの講演の後、私たち「非戦を選ぶ演劇人の会」のリーディングをやりました。

2003年3月20碑の午前アメリカ軍による爆撃が始まり、結局19万人もの方たちが亡くなってしまいました。

あの戦争は一体何であったのか?今でも苦しんでおられる方たちが大勢いる中、きちんと検証し、今後二度とこのようなことが起こらないようすることと、保障を考えていくことが大事だと思う。


あの時、何としてでも戦争を起こさせまいと、自分でできる限りの行動を起こしたのを覚えている。

首相官邸に電話したて、交換手に「戦争に加担しないでください。ブッシュ大統領に爆撃をやめるよう伝えてくれと小泉首相に伝えて下さい」と言ったら「ご自分で言って下さい」と言われ、フックス番号を聞いてただちに送った。子供たちを守って下さい。もし爆撃するなら、子供たちを避難させてからにして下さい。」

思いつく限りのことを書き、英語のできる劇作家協会のメンバーにすぐに翻訳して貰って、ブッシュ大統領にも送った。

外務省、大使館、新聞社すべてに電話して爆撃しないよう頼んで下さいと伝えたのだった。

当時は電話した先の誰もが、爆撃は理不尽なこと。アメリカは間違っているとの考えだった。

首相官邸に抗議に行き、逮捕されそうになった時も、まだ日本は「何かの冗談ではないか?」といった雰囲気がまだあった。

しかしそれが本当のこと。本当の戦争が始まってしまい、多くの罪のない人々の命を残酷に奪うことになってしまった。どうして私たちはあのような理不尽な戦争を止めることができなかったのだろう?

今でも悔やまれる。

大量破壊兵器はひとつも発見されなかった。

あの当時日本はすぐにアメリカに追随した。どうしてだったのかを検証し、間違いは正し、反省すべき点は反省しなければなるまい。

あまりに犠牲が大きすぎた。

あの時に攻撃を止めるために演劇人の会を作り、リーディングをすることになったのだ。

そのためにパソコンを買い、二か月で文字が打てるようにした。イラク爆撃をとめるためだったのである。

それまではパソコン嫌いで、一生機械は使わないと決めていた私だった。

こうしてブログをやれているのも、もともとはイラク攻撃反対の必死な思いから始まったのだということに今気が付いたのだった。


日本も悲惨な戦争を繰り返してきた。戦時下の爆撃の恐ろしさも知っている。占領されるといことの残酷も知っている。

本当にこういうことが二度と起きないようにしていかなければならない。

犠牲になるのはいつも一般の弱者たち。

この日を忘れないようにしたい。
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早稲田大学近くの床屋さんに飾られていた髪型の写真。

職業別になっていて、笑ってしまった。


夫が早稲田大学に通っていた時の教室が14号館だったらしく、懐かしがっていた。

新しく建て直したのだそうだ。

大隈講堂では昔講演したことがあった。

演劇の夢を語ったと思う。その後、早稲田では平和についての講演

やる機会があった。若い学生たちが瞳を輝かせ、ある時は泣きながら話を聞いてくれた。

今は大人になったであろうあの人たちは、今、何に悩み、どんな生活を送っているのだろう。