寅年っていうと、すぐ

「ごうの寅じゃないの!?

って言われませんかはてなマーク

でも、【ごうの寅】っていまいち

何なのか分からないんですよね!?


丙午(ひのえうま)は60年毎に来ますが

ごうの寅っていつなのはてなマーク

ということで調べましたじぇじゅん




十二支と十干

年の十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)は12年周期で循環しますが、同様に年の十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)も10年周期で循環しています。そのため同じ干支(えと)の年は、10と12の最小公倍数で60年に一度巡ってきます。そのため61歳のことを同じ干支に戻るということで「還暦」と言う訳です。



同じような意味で使われている丙午は?

丙午生まれの女性は気性が激しく、災難を呼ぶと言われています。丙午(ひのえうま、へいご)は干支の一つ。干支の組み合わせの43番目で、前は乙巳、次は丁未である。陰陽五行では、十干の丙は陽の火、十二支の午は陽の火で、比和である。
丙午の年は火性が重なることから、「この年は火災などの厄災が多い」などの迷信が生まれた。次第に、その年に生まれた人の性質は激しいものとなるという迷信に転化した。
さらに、江戸時代前期に、井原西鶴の『好色五人女』で有名となった八百屋お七が丙午の生まれだといわれていたことから、江戸時代中期以降には、この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(男を食い殺す)、死後「飛縁魔」という妖怪になるという類の迷信が信じられるようになった。

1846年(弘化3年)の丙午には女の嬰児が殺害(間引き)されたという話が残っている。

丙午(Wikipedia)より



「ごうの寅」とは?

寅年生まれは気が強いと言われ、この年に女子が産まれることを忌む俗習がある。読みは「ごおうのとら」だが、訛って「ごごうのとら」などとも言われる。
本来は「五黄の寅」(ごおうのとら)であったものが、いつの間にか意味が分からないまま「強の寅」や「豪の寅」と間違ってみんなに覚えられてしまい、そこから単純に寅年生まれの女性について、虎は強い動物だからということで「強の寅」というようになり、そのため五黄ではない年についても、「強の寅」という言われ方をしてしまったのではないか、というのが現段階での推測です。

寅年(Wikipedia)より


「五黄」は九星のひとつで、これは
九紫・八白・七赤・六白・五黄・四緑・三碧・二黒・一白と
毎年順に付けられているものです。
九星(きゅうせい)の五黄土星と干支(えと)の寅年が重なる年で、

大正3年(1914)・昭和25年(1950)・昭和61年(1986)、

9と12の最小公倍数で、36年に1度やってきます。

五黄土星
『性質は豪気大胆。情深く、思い立ったことは是が非でも押し通さねば気のすまないところがあって人から憎まれる。また器用で何事にも優れた才を発揮するけれども、中には反対に臆病で何事もできない人もあります。行をつつしみ、人と争いをしなければ実にたぐいまれな幸運の星』。

寅年の一代運勢は
『果敢に決断して、よく艱難に耐え、進取の気性に富み思慮分別があり競争心が強い』。この両方が重なると、女性にしては強すぎるのではないかということで、「五黄の寅」という話が出たようです。


五黄の寅は、強いといっても

強運と貫く信念が強い意味のようですネコ

何かを切り開いたり成功させる

気質があるかもしれませんよね。

そう思うと、五黄の寅ではなかった私は

ちょっと残念だったり…


次回の五黄の寅は2022年ですよ阪神