『さやちゃんに次に必要なのはdisり倒すことだよ…!』
と言われ、よし、disるぞ。
と決めた途端。
disりたいのは、
私の愛を受け取って欲しいからだったことに気づく。
私は、大っ嫌いなスピのジャンルがある。
それは最近?ちょっと前?からごく一部で流行ってるホツマツタエとか、ヲシテ文字とか。(最初っから名指しwww)
それはなぜかって言うと、
一回私も気になって読んでみたんだよ。
そしたら明らかに、
江戸時代の吉田神道の考え方が入っている。
明らかに、
その「古代文字」で書かれた文に平安以降の歌道書から書かれる文法についての記述がある。
なんなら、何十冊と読んできた古典の歌道書の中でも鎌倉や室町にならないと出てこないような文章なのだ。
これはもう感覚としか言えないけれど、読んできたからこそ、違いがわかる。
それを、まことしやかに、
古事記や日本書記よりも前に出た文字だ文献だと、書いていることが本当にムカついたの。
(江戸時代に書いてる人がいたのは、そういう偽書を作るのが流行った文化なので別にいいんです。
(日本人はそういう「信じるか信じないかはあなた次第です」ていう話作るの本当好きなの)
それを今、大々的に取り上げてる人がいるのが嫌なのです。)
で。
じゃあなんで私はこんなにムカつくのかというとね。
「そんなこというならお前まず古今集の仮名序を読んでみろ!!!!!」
って言いたかったんだって、
気づいたの。
確かに日本はことだまの国なのよ。
だから、中国の漢字を元しない日本の独自の言葉があって欲しい気持ちもわかる。
でも、逆なんだよ。
奈良時代にわざわざ漢字の音を使ってまで、
自分の心を歌に読んだということは、
それ以前から、心に溢れ出てくる想いを、歌にのせて人に伝えるという豊かな言語文化は養われていたということなんだ。
だからこそ、天皇を中心とする貴族たちは、
こぞって歌を学び、歌は人の道であり、国の道であり、神とつながる道であるとして尊んだんだ。
だからこそ、
まずは、正史を読んでみろ!って思うの。
平安の初めに書かれた、
この言葉は、
シンプルにして最高に美しい。
この、美しさを理解した上で、
日本の言葉の美しさを、
私はもっと知ってもらいたいんだ。
やまとうたは、
人の心をたねとして、
よろずのことのはとぞなれりける。
世の中にある人、ことわざしげきものなれば、
心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり。
花に鳴くうぐいす、水に住むかわずの声を聞けば、
生きとし生きるもの、いずれか歌をよまざりける。
力をも入れずしてあめつちを動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男おんなのなかをもやわらげ、
たけきもののふの心をもなぐさむるは、
歌なり。
人の心から発する、日本の言の葉。
私たちの祖先は、音に字を当てることによって、
自分たちの発音通りの言葉を、記録する方法手に入れたんだ。
だからこそ、すべての音に母音をもつ私たちの言語がそのまま文字として残っている。
奇跡なんだよ。
その奇跡を、
愛して欲しいと思っていた。
ないがしろにしないでほしいと思っていた。
古典を読むことに、
消極的な世界をたくさん見続けていたから、
ついつい、私が愛を拗らせてしまっていたんだ。
みんなに愛してほしいのに、
でもみんなは愛してくれないからって。
世界を開くよ。
もう一度、心を開く。
そして、世界に愛を届けます。
よかったら、
言葉の話、
聞きたいこと、教えてください。
どうやって愛を伝えるかの、学ばせてください💖