最近、テレビをつけるのをやめたんです。
もちろん、好きなテレビ番組の時は見るんだけれど、
そうじゃなくて、夜7時のニュースからずーっとテレビがついている状態をやめにしてみたの。
そしたらびっくり。
世界って、
結構静かだった。
テレビの音って、
いろんな種類の音がたくさん、
しかもCMとかだと15秒とかで変わっちゃうから、
一貫性もなくて、
とにかく雑然としてるんだよね。
その雑然とした音の集合体から、
かなり集中して、人は聞きたい音を聞いてたんだなって気づいた。
音大きくなってくると、
自分たちの会話まで大きくしなきゃいけないし、
結果として、いろいろなものが雑多になっていく。
いらない音を手放したら、
やっぱりなんか、頭が楽。
そういう、手放せるのに当たり前だと思って
選び続けているものってたくさんあるんだろうなって
思うのです。
それは例えば、思考かもしれないし。
それは例えば、願いそのものかもしれない。
そういう、無意識に近い形で、
選び続けているものを、
手放したらどんどん楽になるし、
奥の方に眠っている本音に気付きやすくなるんだなと思うのです。
もちろん、好きなテレビ番組の時は見るんだけれど、
そうじゃなくて、夜7時のニュースからずーっとテレビがついている状態をやめにしてみたの。
そしたらびっくり。
世界って、
結構静かだった。
テレビの音って、
いろんな種類の音がたくさん、
しかもCMとかだと15秒とかで変わっちゃうから、
一貫性もなくて、
とにかく雑然としてるんだよね。
その雑然とした音の集合体から、
かなり集中して、人は聞きたい音を聞いてたんだなって気づいた。
音大きくなってくると、
自分たちの会話まで大きくしなきゃいけないし、
結果として、いろいろなものが雑多になっていく。
いらない音を手放したら、
やっぱりなんか、頭が楽。
そういう、手放せるのに当たり前だと思って
選び続けているものってたくさんあるんだろうなって
思うのです。
それは例えば、思考かもしれないし。
それは例えば、願いそのものかもしれない。
そういう、無意識に近い形で、
選び続けているものを、
手放したらどんどん楽になるし、
奥の方に眠っている本音に気付きやすくなるんだなと思うのです。