「好きなことを仕事にする幸福」 | エキスパートアイズのブログ

「好きなことを仕事にする幸福」

さっき、勝手に表示されるYahooニュースで、福原愛ちゃんのディズニーランド結婚式の写真を見て、「愛ちゃんって本当に可愛いなー」とほのぼのしてました。小さい頃から卓球一筋で一生懸命頑張ってきて、悔し涙も嬉し涙も何度も流し、しっかりと成績も残してきた偉大な女性なのに、威張ったり鼻にかけることもないどころか、男女国内外誰からも愛されて、本当にすごい。日本の宝だわ!
 
さて、今日はリサイクルでもらってきた森永卓郎さんの「好きなことを仕事にする幸福」(サブタイトル)という古い本をさくっと読み終わりました。
なかなか面白かった。
ポイントは、好きなことを仕事にしている人たちの共通事項は、みんな明るく前向き。内に秘める思いや他人に見せない苦労や努力はあっても、暗く後ろ向きにならずに、いつも前を向いていること。
それから「感性が経済を支える。そのことをエコノミストたちは過小評価しすぎている」という最後の締めの言葉も効いたなー。
これは、私が長らくモヤモヤと感じていた疑問への答えでもあったかも。
その疑問とは「相変わらず日本の政治家が掲げる政策は、モノをどんどん作って古いモノを捨てさせて新しいモノに買い換えさせ回転率を上げることで成り立つ日本の経済成長」ですが、この少子化時代で確実にモノは売れなくなっており、世の中はエコロジーに目を向けて日本語の「もったいない」が世界でも見直されリサイクル市場が活発になりだしているご時勢に、なんと逆行する政策なのかと、いつも呆れていたのです。だからといって、政府が求める日本の理想像は「金銭的な裕福」としか思えず、それを是とする人たちが多い以上、相変わらずモノを作って捨てて買い換える大手メーカー主導の従来の方法しか大衆が満足する「経済回復」は得られないのか、と残念に思っていました。

でもやっぱり違うわ。
お金の問題ではなく、心の問題(持ちよう)だよね。

好きなことを仕事にしている人は、たとえ目に見える収入金額が低くても、その何倍もの価値の満足を得ているから。イヤイヤ仕事をするサラリーマンが日曜の午後から気分がブルーになったり、自分が否定されるのがイヤだから営業に転属になるとすぐに会社を辞めたり、逆に理不尽なことでも会社に居座るためには(昇格するためには)自分を殺して会社命令に従ったり。仕事はあくまで「自分の生活を維持する手段」でしかなく、そこに夢も希望もロマンも楽しみなんてひとつも存在していない、ただただお金を稼ぐためだけ。それじゃ確かに感性なんて磨かれるはずがないですもんね。一方、好きなことを仕事にしている人は、休みを潰しても仕事に没頭したり、気に入らない仕事は引き受けなければいいし、同じような感性の持ち主が集まる場に積極的に出向くことも厭わない。彼らにとって仕事は生活維持の手段ではなく、好きだからやっていること。そりゃモチベーションが違いすぎるわ。
 
森永さんが本の中で解説してくれた「感性」は、イタリアを例に出していました。
イタリアには巨大企業はフィアットとオリベッティぐらいしかなくて、私たちがよく知っているフェラガモやグッチ、フェラーリなんかは実は中小企業レベル。でも世界の一流企業であることは誰もが認めているし、フェラガモの靴と中国製の靴は勝負にならないことなど誰の目にも明らかで、どれだけエコカーや電気自動車が世に出回ろうとフェラーリを買いたい人はフェラーリしか買わない。何が違うのかといえば、「感性の違い」だと書いてありました。そうして芸術性の高い感性で作り上げられた品々が世界を魅了し、巨大企業でなくともイタリア人は楽しく明るくこの世を謳歌しているというのです。
それはわかりやすい例で、非常に納得できる。
確かにイタリアで「金くれ、金くれ」とやってくるのはジプシーぐらいで、普通のイタリア市民はどれだけ稼ぎがあるのか知らないが、つねにオシャレで美味しいものを食べてワインを飲んで義務のように女性をナンパして、国の経済がガタガタになってユーロのお荷物の一員と言われてもぜんぜん気にせず、とても楽しそうですもん。
人々の主眼が「お金」にあるのか「楽しい人生」にあるのかの違いでしょうね。
日本人は残念ながら明らかに「お金」に主眼がある。だから楽しそうではないのでしょう。
 
そこでふと日本を振り返ってみた。
かつては日本の製品は品質がよいのに比較的低価格で世界中から支持されていましたが、最近は中国製や韓国製に席巻され、日本の大手メーカーは東芝なんかもそうだけど、もうボロボロ状態ですよね。
その一方で静かにしかし確実に世界に広がっているのが日本のアニメやマンガ。
私はアニメなんて見ないからぜんぜん知らなかったけど、台湾はジブリをはじめ日本のアニメやマンガが日本の何倍も蔓延しているので、台湾の友人から「なんでこの映画を知らないの?」といつも不思議がられます。先日は「藤原とうふ店」の模倣カーの写真をアップしたら、「イニシャルDでしょ!」とフィリピンの友人からさっそく反応があり、これまたビックリだったし。
よく考えたら、そのアニメなんて「感性」の最たるものじゃないですかね。
「嫌いだけど、生活のために仕方なく」漫画家になる人なんていないでしょ。
みんな好きだからマンガを描いて、それが世界から支持されているのです。
日本で「経済政策」を考えるお偉い政治家や官僚や日銀頭取なんかは、そりゃもう見栄っ張りですから、アニメとかマンガみたいなオタク系サブカルチャーなんて認めたくないわけですよ。
「東大法学部を出た我々が、なんでオタクの後押しをしてやんなきゃいけないんだ」ってね。
でもさー、実際に世界で認められているのは、東大法学部なんかじゃなくて、彼らがバカにする「オタク」ですからね。それは事実なんだし。
やっぱり見栄っ張りの金の亡者には「感性」は理解できないのでしょうね。
 
でも、この「感性」に支えられて好きなことをしていれば、たいした収入がなくても心は豊かなままでいられるので、GDPが低かろうが収入金額がサラリーマンより低かろうが、ちっとも気にならないし苦にならないのです。そうなると、いよいよ人々の価値基準が「お金」ではなく「心の豊かさ」に変遷するはず。そしたら、国の税収はガタ落ちだから、もう高給取りの政治家、役人、日銀なんて支えてあげられなくなるし、実際そんなお荷物なんていらなくなるわけですよね。
そうなっちゃ困るので、政治家、役人、日銀頭取は必死に「経済復興」をバカの一つ覚えのスローガンに、低脳な国民を煽り立てているのです。
 
最近、久しぶりに出会う友人や、新たに出会う人たちの種類が、以前と比べて180度変化していることに気づきました。
 
以前はとにかく「金、金、カネ」のガツガツした意地汚い人間ばかりでした。
特に、就職の斡旋をしていたので、そういった「カネにしか関心がない人間」ばかりがやってくる。転職相談に来る人は「前の会社より高い給料がほしい」としか言わない。決して「やりがいのある仕事がしたい」とか「この分野が好きだからそっちに進みたい」という言葉が出てこない。「じゃあ、そんなにカネがほしいなら、こういう仕事はどうか?実績をあげた分だけインセンティブで高給を手に出来るよ」と保険会社の営業とかその類のを紹介したら、「営業は無理」とか「そんな苦労はしたくない」とか返ってくる。なんだ、結局自分は努力も苦労もせずに、タナボタで高給を手にしたいだけなのね、たださー、そういう高給をもらえる仕事は医者とか会計士とか特別な資格を持っている人や特殊な技術と経験を持っている人に限定されるわけだし、あんたの能力では無理よ、と本音がいつも喉から出そうになってましたよ。
そんな人たちばかりだから、転職紹介の仕事がどんどん嫌いになっていく。
だって、アホみたいな戯言ばかりの人たちに囲まれていたら、自分もアホが移るでしょ。
勘弁してほしいですもん。
かなり気分が滅入っていましたよね。
 
それに比べ、最近出会う人たちは、小規模ながらも自分の趣味を仕事にしている人ばかり。料理だったり、フラワーアレンジメントだったり、ソムリエだったり、はたまた考古学研究者だったり。どれもお世辞にも収入が高そうには見えない。でも「嫌いだけど生活のために仕方なく」考古学研究者にはならないですよね。好きだからこそたいした収入がなくても、プラマイゼロでも、仮に赤字だったとしても、それほど苦痛に感じない。なぜなら、そのぶん自分も楽しませてもらっているので。
こういう人たちは明るいし、前向きだし、不毛な愚痴は言わない。
もちろん「こんな勘違いのイヤな客が来た」という愚痴は時々出るかもしれないけど、イヤな客なら今後は断ればいいのだし、みんな強気で自分を失っていない。
そして、とりあえずちゃんと生活はできている。
なにも年収が1000万円もなくても、ぜーんぜん生活が楽しめているのです。
 
どうでしょう?この違い。
 
お金に執着し自分を殺し心を売った上での高給がほしいか、収入は低くても好きなことを仕事にして楽しみながら生きていくのと、どちらが豊かだと思いますか?
 
私は間違いなく後者ですね。
そして、自分がそういう気持ちでいると、周囲にも似たような感性の持ち主ばかりが集まるようになり、以前と180度違って、非常に明るく穏やかで協力的で建設的な人たちに囲まれて、そこには決して他人を陥れてやろうなんて嫉妬深い人間はおらず、とても安心した毎日を過ごせます。
そんな幸せなことってないですよね。
 
今どきお金に執着する人間なんて流行らないし、贅沢自慢も他人から見れば虚しいだけ。
日本は今までお金に価値基準を置いた生活しか推奨してこなかったから、いつまでも「景気が回復しない」とネガティブになって誰かのせいにしたがっていましたが、基準が「心の豊かさ」であれば景気なんて関係ないんですよね。
そして、その手段が「好きなことを仕事にする幸福」であったのか。
ようやく答えを見つけました。
 
みなさんも、金の亡者(政治家、役人、日銀)の言うことなんて無視して、もっと心の豊かな生活を送りましょうよ。
きっとその方が幸せですよ。