クチばっかりな人が大半で・・・ | エキスパートアイズのブログ

クチばっかりな人が大半で・・・

昨晩から急に鼻づまりで寝苦しく、頭はボーっとするし、微熱もある。

きっと花粉症ですね。

まいったな、今週末は大酒飲みの予定なのに。

飲酒は鼻づまりを促進するし、抗アレルギーの薬は飲酒を控えなければいけないし。

さらに悪いことには、全身が痒くてしょうがないんですよ。

最初は首周りだけでした。

きっとユニクロの化繊バリバリのヒートテックのせいだと思います。

それが、なぜか全身に波及している。

手も足も、お腹も背中も、脇もお尻も、とにかく痒くてしょうがない。

もうこうなったら、化繊の下着厳禁で、グンゼと仲良くなって下着総入れ替えです。

でも、縫い目とかゴムの部分とかが相変わらずポリエステルとかなので、結局痒さは納まらないわけで。

もう、レースもオシャレも何もいらないから、綿100%の布一枚を体に巻きつけて過ごしたいです。そんな姿は誰にも見せられませんが。

 

最近、いろいろな友人と会うなかで、別々の二人の口から同じセリフが飛び出した。

 

「みんな、クチばっかりなのよね」

 

一人は、イベントを企画する女性で、「今度こういうイベントする予定で」と仲間内に漠然と話した時点では、「いいねー、行きたい」と前向きな返答が多数あるが、いざ本当に募集をかけると、そんな発言なんてなかったかのように、参加者がちっとも集まらない、ということです。

そしてもう一人は、来月から海外赴任が決まった女性で、同じように友人知人たちは「遊びに行くね」と言うのだが、「結局、実際には本当に来てくれる人なんてわずかしかいないんだよね」と下手な期待を持たずに冷静だった。

 

私は口に出したことは、かなりの確率で実行するし、特に相手がある場合はそうしなければ相手に失礼だと信じているのですが、世の中の大半の人は、そんなことひとつも思っていないのでしょうね。

なんか、またしても正直者はバカを見ています。

もし私が「行く」と言ったのに行けなくなった場合は、「ごめん」と謝って行けなくなった理由を伝えるし、それが礼儀だと思っています。

しかし、「クチばっかりの人」は、その場でいい顔をしたいだけなのか、それともその時は本当に行きたいと思って口走ってしまったが現実を振り返ると無理だから実行できないのか、どちらなのかはわかりませんが、いずれにしても、「行く」と言って行けなくなった場合でも、連絡もせずもちろん謝りもせず、ただ時間をやり過ごすだけ。

「そんな相手に失礼なことしたら、次にその人に顔向けできないじゃない」、と思うのはバカ正直な私だけで、「クチばっかりの人」は、その行為が相手に失礼だとは頭にもなく、平気な顔してまたその人と会おうとする。そしてまたクチばっかりの約束をして相手を裏切る。その繰り返し。

しかし、その手の人があまりに多く存在し、私みたいなバカ正直者は世の中の5%ぐらいしかいないということが、友人たちと話していてよくわかりました。

 

ああ、政治家は100%「クチばっかり」でしたね。

上がああだから、下々の人たちも、口約束なんて反故にしてもまったく意に介さないのでしょう。

 

バカ正直な人がクチばっかりの人と接触すると、非常に疲れます。

「世の中、クチばっかりの人だらけ」とわかった今は、調子のいいことを言われても適当に聞き流し、軽く受け流すようにし、相手にほとんど期待を持たないことにしています。

「せいぜいみんなの前でイイカッコして見栄を張りたいだけなんだろう」と醒めた目で見て、了見の狭い可哀相な人だと思うことにしています。

そして、そんな人を信用しないことにもしています。

逆に、本当に有言実行の人に遭遇すると、感動して涙に咽びそうになる。

だって、世の中の5%だからね。

もちろん、そういう人は信用に値するわけだし、この先もこの関係を大事にしていこうと思えるのです。

そして、そういう人が困っている時には、真っ先に駆けつけて助けの手を差し伸べたいとも思えるのです。

クチばっかりの人間には、絶対に助けの手なんて差し伸べませんよ、だってそういう人は、「自分さえ良ければ相手のことなんて関係ない」と思っている人ばかりなのだから、どんなに助けてあげてもこちらの苦境の際には、もちろん「見て見ぬフリ」。絶対に救いの手なんて期待できないもんね。

 

私は6年前に、私の信用を失墜して社会から抹殺させられる、という陰謀に嵌められ、酷い目に遭いました。そしてヤツらの思惑通り、信用は失墜し、社会から抹殺され、二度と陽の目を見られないようにされました。

そのとき私自身も「あー、終わったな」と思いました。

でも、不思議なものですね。

どんなに形式的に痛めつけられようとも、人間の本質までは変えられないし変わらなかった。

だから、わずか5%の人たちは私のバカ正直で約束を守り、相手を思いやる性格をよく理解しており、「どんなに社会から抹殺されようとも、この人の人間としての信頼性は損なわれていない」と見抜いて、私から離れなかったし、救いの手も差し伸べてくれた。そして、今でも良好な人間関係を継続できています。

きっとこの5%の人たちも類友のバカ正直者なのでしょうね。

 

正直者はバカを見るというのは、世間全般で考えると本当だと思います。

酷い目にも辛い目にもよく遭わされる。

他人からよく裏切られもする。

でも、自分から裏切るようなことをしないのが、このバカ正直者の特徴なのです。

裏切られるのと裏切るの、どちらがいいか?と考えると、クチばっかりの人は「裏切るほうが良い」と思うでしょう。だって、裏切られたら自分が辛くなるから、それなら自分から裏切ったほうが自分の心は痛まない。いっぽうで、バカ正直者はもともと自分から裏切ることはないので、裏切られるのは辛くて大変だけど、結局いつも裏切られているんだよね、ってことです。もう、いいとか悪いとかじゃなく、運命としか言いようがない。

 

ただ、そういうバカ正直者は損ばかりしているかというと、そうでもないんですよね。

なぜなら、絶対的な人間の信頼性があるから。

信用できる人間だと周囲から認められるから。

 

わかりきっていると思いますが、「信用」って得るのはとても難しいです。

だからこそ、信用のない人は、信用のある人を妬み、信用を失墜させようと画策するのです。

でも、人間性としての信用は、そんな小手先の企みではそうそう失墜できないものなんですよね。だって、その人の性格なんだから。性格なんて変えられないでしょう。

 

世の中の大半を占める「調子のいいことばっかり言う人」は、きっと本当は自分に自信がなく、そのため何とかして世間に認めてほしいと思うあまり、いつも八方美人の発言ばかりして、結局その場をやり過ごすだけで、かえって信用を失っていることにも気づいていないのでしょうね。可哀相なばかりです。

でも、これもその人の性格です。

 

ここ最近感じることは、人間関係ってキャパが決まっているのかな?と。

つまり、キャパって人数のことですよ。

本当にお互い信じあって心を許せる友人なんて両手ほどいれば十分でしょう。

そして、そこまで濃厚でなくとも、時と場合によってはまあまあ付き合っていてもいいかな、と思える人でもせいぜい50人が限界かな。

それを超えると、人間関係が非常に希薄になり、わざわざお付き合いすることに意味が見出せなくなってしまう人が続出するのです。

そう考えれば、「一期一会」とか、「来るもの拒まず去るもの追わず」というのも納得。

去っていく人とは、ある時期たしかに友人であったのかもしれないし、そう勘違いしていただけかもしれないが、もうどちらか一方または双方にとって相手が必要なくなったために、キャパから除外されてしまったのだと思います。

そして、そういう不要な人間関係を整理できたことによって、また新たに現在必要である人間関係を追加することができる。キャパが空いたので、そこに補填するようなものですね。

 

今の私の状態は、不要なもの(人)がどんどん離れていってくれるおかげで、性格がよく信頼できる良好な人たちとどんどんお近づきになっている。しかも、5%のバカ正直者ばかりが増えてきている。

こんなに嬉しいことはないですよね。

なぜなら、バカ正直者は、何の警戒も持たずにリラックスしてお付き合いすることができるのですから。

例えば、何か質問とかお誘いとか投げかけて仮に数日返事がなかったとしても、クチばっかり人間は「既読無視」あたりまえなんだけど、バカ正直者は多少時間差があっても必ず返事をくれます。OKかNGの返事を明確に。そしてNGの場合でも代替案を出してくれたり。とにかく安心して待っていられる人間関係なのです。

 

理想は、私の友人すべてがバカ正直者で固まることです。

 

そのためにも、疑念を抱かせるような行動をとってくる人や、クチばっかりの人間なんて相手にせず、大事な人間関係のキャパをたくさんあけておかなければいけない。

私のキャパは50人です。

それ以上は、ふるいにかけて整理整頓することにします。

昨日まで友人だと勘違いしていた人も、ある日突然私の態度が冷たくなっても、それは気が合わなかったと思ってください。

クチばっかりの人間を相手にするほど私はヒマではないので。