6年の歳月 | エキスパートアイズのブログ

6年の歳月

気がつけばもう6月。
慌ただしい毎日に忙殺されていたら、前回からとっくに1ヶ月以上経ってた。
途中何度かブログを書こうかと思ったこともあったが、気分がもうひとつ乗らず、結局放置。

ちょうど1ヶ月前、世間がゴールデンウィークでバカ騒ぎしていた時、私の最愛のペットが急死し、悲しみのどん底にいました。
まさにペットロスに浸り続けたゴールデンウィーク。
テレビをつければ世間のバカ騒ぎを目にして癇に障るので、その一週間は一度もテレビをつけることなく、ネットもほとんど見ず、誰とも会わず、どこにも出かけず、ずっと家に引きこもって、静かに喪に服していた。

その時感じたこと。
友達って言っても、冷たいものだなー。
悲しみのどん底にいる私を慰めてくれたのは僅かに数人だけ、片手にも満たない。
それ以外の友人(らしき人)は、沈黙を固持し、見て見ぬふりに徹していた。
彼らは、楽しい事には反応するが、悲しい事、重苦しい事には一切関わりたくない、ということだ。
人生には喜怒哀楽が存在するのに、その楽しい事と喜びにだけしか共鳴できないとは、なんと幼稚で未熟なのだろう。
悲しみのどん底にいる友人に寄り添ってこそ、真の友人であろう。
ペットの死を通じて、友人の実態を知ることが出来た。
彼らのペットもいずれ死ぬ日がやってくる。

さて、話は変わるが、私の時間が止まってから6年が経つ。

先日大量買いした靴を整理した時に、しばらく眠っていた靴を何足も発見しました。
その内の一足を昨日久しぶりに履いて出かけた。
実に6年ぶりの靴だが、コンディションは悪くない。
しかし、歩き出して足に不快感を感じ始め、食事後にもう一度歩き出したら、足に締め付けられるような圧迫感に襲われ、あえなく半日でダウン、痛みを我慢できず帰宅して靴を交換してしまった。
この靴、以前もこんなに足にフィットしていなかったっけ?
考えられる原因は、この6年の間、ほとんど外出せず、ましてやパンプスやヒールの高い靴など履く機会も気分もなく、いつも裸足でいるか、外出ならペタンコ靴を履いているうちに、足の形状が拡がってしまったのではないかと思われる。
そして運動不足による体重増加も足への負担に追い打ちをかけ、先の細いパンプスや高いヒールにより足先への加重が倍増し、圧迫による締め付けで足の痛みは極限に達したのだと分析。

ロクなもんじゃないね。

6年間の私の止まった時間。
6年間の私の死んだ時間。

こんな無様に落ちぶれていく私の様子を読んで、大喜びしている数名の顔が浮かぶ。

そうです。
あんたらが人の不幸を面白がって大喜びするだろうと思って、わざわざ不幸な話ばかりを書いてあげているのです。
あんたらが今日もまた、他人を陥れることで優越感を得られるように。

靴の足の痛みと共に6年前を思い出す。
この6年間、一日たりとも奴らに対する恨みは忘れたことはない。
そして、いつか奴らのクビを締めに行く。
必ず行く。
6年という歳月がどういうものなのか、奴らは震えながら思い知ればいい。
社会的な抹殺に対抗できるのは、この世からの抹殺しかない。
クビを洗って待っていろ。
その日が明日なのか、1ヶ月後なのか、1年後なのか、10年後なのか。
いつとは言わないが、必ず行く。
この底知れぬ恨みを晴らすために。