【地位財と非地位財】「なりたい姿」のウソホント | カボチャの馬車でドリフトする方法♡

こんつあ!

コインパーキングに駐車したら間違って隣の人の料金を払った景呼です。


なんか高いな〜?とか思ったら隣ーっ!

が〜ん😂😂



さて。6月から密かに怒涛の流れが始まってました。もう10月やん、コワイ。

色々と挑戦することがあったりなとですっかり時間が空きすぎましたが元気です!


今日のトピックはなりたい自分になる!的なこと。


今日久しぶりの友人と話していて色々自分を振り返る感じになったので改めて感じたんですが。


昔の私がなりたかった姿って理想のライフスタイルをほしいままにしたわかりやすくキラキラした感じでした。


自分なりにそんな感じになったときの挫折感は激しく、コレジャナイ感はとても大きかった。


そして本当に欲しかったのは安堵感だったと気づいて、今に至ります。

めっちゃ、まとめたけど…🤣


何が言いたいかというと、昔の私がなりたかった姿と、真になりたかった姿とは違うかったということです。


人と比較できるお金とか地位とか所有物とかは地位財と呼ばれるんですが、それらを手に入れたら幸せになれると思っていたのですなぁ。


そうでない非地位財というのは人と比べることのできない主観的な幸せ感とか良好な健康状態とかそういうもので、それが本当に持続する幸せのモトだということで。


私は成功したら幸せになれるとおもてたけど、なんもなくても幸せと感じることが成功なんやなぁと思います。


今思えばわかりきったことなんてすが、枯渇感が強い時期にはなかなかそれは魅力的には映らなかったんですよね。


人から見てわかりやすく「いいなぁ」と思われる自分になりたい!って思っていたのです…笑


何を成功とするかは人によって違うと思うけど、私はただ幸せになりたい!とつよ〜く思っていたクチなので、今はなりたい姿になれたという自負はあります。


そしたらすっかり大人しくなってしまって、牙を抜かれたみたいに感じることも何度もありましたし、景呼節が炸裂しないのは自分らしくないのではないか?なども何度も思いました。


けど、自分らしいかどうかはそういうことじゃないんやなぁ〜と笑

ただ私の場合は未熟だったので外に向けて言いたいことや、誰かに聞いてほしいことがたくさんあったんやなぁと。


けど非地位財のそれは誰かに聞いてもらわないといけないようなことはないし、条件に左右されることでもないし、在り方の問題でしかなく、そしてとてもシンプルだからこそ難しかったりもするけども。


何かを追い求めるのをやめて、ただの自分でいる。

足掻かないで、取り繕わないで、武装しないで、装わない。


それって何者かになりたくて自己を啓発してきた私にはとてもコワイことやったんですね。


でも、きっとあの頃の私のように頑張っている人っていっぱいいるのではないかと思うんです。

そしてそれに疲れている人がいるとしたら、お役に立てればなぁと思う日々です。

 

個人セッションはこちらのラインから♡

お気軽にお問い合わせください☆

友だち追加