随分前になってしまったが、Facebookで知り合った関西の女子高生の田村皇陽さんが、自作の詩を集めた手作りの小冊子を送ってきてくれた。「Utopia」(本当は「U」の上に点が2つある書体なのだが、僕のPCでは出せなかった)というタイトルで、わら半紙に印刷されて真ん中で綴じられているのだが、結構なボリュームがある。縦書きの「I side」と横書きの「U side」が背中合わせになっていて、真ん中に先生方の寄稿と、田村さんご本人のインタビューが入っている。結構凝った作りだ。
また、写真も入っており、カラーではないのが残念な位である。



収められている26編の詩は、どれも田村さんが日々感じていることや体験等をベースにして書かれていると思われる。しかし、だからといって、よくある自己陶酔的なものではない。女子高生の書く「ポエム」の多くは、僕のような年齢の人間が読むと赤面してしまうものである。田村さんの詩は、それとは一線を画しているように思う。
勿論、ストレートで10代の女の子っぽい恋愛の詩の中には、ハイテンションで可愛い言葉を選んでいるものもあり、そのあたりは正直ついていくのが難しいものもある。(ものを書く僕にとっては、ある意味興味津々ではあるが。)だが、同じ恋愛の詩でも、婉曲的かつ過激な性的描写のあるものや、不実の恋を描いたものある。自今的には、片思いに悩む心情を描いたものは共感しやすい。
恋愛だけではなく、彼女がこれまで生きてきた中で出会った人達や、遭遇した出来事から想を得て書いたものも多くある。先生等、彼女より結構年上の男性を描いた詩が複数あるのも特徴的である。
「ピアス」等の小道具の使い方や、「多目的トイレ」といった場所の選び方のうまさも見られる。
紙面の構成もそうだが、全体のコンセプトを「どうしようもないこと」において、それで作品を書き、またそれに合う作品を選んで載せている。さらにそれを、「I side」は人生・世の中、「U side」は恋愛とテーマ分けしている。これなどは、アーティストがアルバムの構成や曲順を考える作業と同じであり、如何に彼女が自分の作品を「読ませる」「届ける」ことを意識的にやっているかが分かる。



彼女の言葉の選び方、並べ方も面白いものがある。

 縁の綾を取りましょう

とか、

 きっと友達以前に友達以上だから/うまくいかないんだね

といった、何かをすくい取ったり、はっとさせられたりする表現も結構ある。
これは、彼女が単なる心情吐露ではなく、明確に「他人が読む」ことを前提に書いていることを意味する。つまり、自己の「表出」ではなく、「表現」として言葉を紡ごうとしていることの現れなのだ。
僕は、母校の高校の文芸部に後輩がいて、そこが作った作品集をいくつか見せてもらったが、「表現」までいっているものは少ないと感じた。それこそ、「ポエム」の類が多かったのである。
また、田村さんの詩は、所謂「芸術」=「文学」に属する詩とも違う気がする。僕の演劇仲間が文芸誌に発表する作品は、明らかに「芸術」の方に寄っており、一般の人にはなかなか理解しにくい言葉の並べ方をしている。田村さんは、将来シンガーソングライターを志望しているようなので、そのあたりも関係しているのだと思う。
個人の感情や考えを、普遍的に伝わるものに昇華させる。彼女はそれを考えているのだ。



僕の目から見ると、もう少し工夫すればもっと効果的になるのに、という部分も結構見受けられる。「表出」と「表現」のかなり際どい線の部分の言葉遣いである。
彼女はおそらく、この先作詞・作曲の勉強をしていくことになるのだろう。まったくの独学ではなく、何らかの学校に通うことになるようだ。そこで問題になるのは、テクニックを身につけた時、自分の素直な感性や、独自の言葉の選び方、並べ方との折り合いをどうつけていくのかということである。前に小林未郁さんに関するブログで書いたが、「Aメロ、Bメロ、サビ、みたいな書き方にできないの?」という話になった時にどうするかである。「Utopia」に収録されている詩は、多くが「Aメロ、Bメロ、サビ」のパターンにはまるようにも書かれている。メロディを乗せることが想定されているのだろう。そう考えると、田村さんは最初から結構ポップスを指向していると言えるのかも知れない。
それでも、より多くの人に受け入れられるために、この言葉遣いはよいとは言えないとか、これは避けた方がいいといったことは出てくるだろう。そこで何を選ぶか。きっと彼女は葛藤することになるだろう。しかし、それが表現者としての成長の第一歩となる。



今は割と身近な題材が多い。そして、まだ人生経験も浅く、これから本格的に社会に触れていこうという段階でもあるので、人間や世の中に対する洞察力がまだ限定的ということもある。これから幾多の試練を乗り越え、様々な世界の人達と出会い、多くの芸術作品と触れていく中で、彼女の生み出す作品がどう変化していくのか、興味深いところではある。
前述した母校の文芸部の冊子は、部員数人で誌面を構成してて、1人が3~5作品書いていたのだが、それだけでもみんな苦労していたようである。田村さんは、1人でこれだけの作品を出した。しかも、掲載に漏れた作品の何点かを別冊に載せている。さらに言えば、これは彼女として2つめの作品集なのだ。第1作は「dystopia」というタイトルである。こうなると、こちらも読んでみたい気がする。
シンガーソングライターのみならず、広く芸術・表現活動に携わっていきたいという彼女。その意志さえ捨てなければ、きっと未来は切り拓けると思う。今後の彼女の活動にも注目していきたい。
そして、いつか彼女の詩(詞)にメロディが乗った歌を、彼女が歌うのを聞きたいと思う。



memuさんもそうだが、こうして若い世代が頑張っているのを見ると、僕も負けられないなと思う。自分の錆び付きかけた感性をもう一度磨き直して、僕もよりよい作品を作っていかなくてはならないと思う。



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