【御礼ブログ】
十周年記念公演『残響』にお越しくださった皆様、応援くださった皆様、ありがとうございました!

石川温子こと、ぬるこです。

もともと「人の気持ちを汲む」ということが苦手で、
こんな時、こういう性格の人は、どんな行動をとってるんだろう。その時どんな気持ちになるのかな。
という事が気になって気になって、

たどり着いたのが「架空の人を演じてみる」演劇でした。

「目立ちたい」「褒められたい」よりも
「人と向き合いたい」のほうが強いんですよね。

「しょう」はお見合いうんぬん以外であまり目立たない役かもしれませんが、町の人たちがどういう考えを持っているのか。
それぞれの気持ちを受け取りながら、見守る役どころが好きでした。
外部の人役なので観客目線に寄り添って演じられていたら幸いです。

彼女のしなやかさは、「きっとこの人はこういう気持ちに違いない」と知ったかぶって同調するのではなく、
「自分が同じ立場だったらこうだったかもしれない」と相手を慮りながら意見を持つ。当事者と対等に向き合おうとする姿勢なのではないかと感じました。
今後の人生でも身につけていきたいとても素敵なテーマをもらえました。宝物です。
束さん、みずきさんありがとうございます。

そんな「しょう」も、終わると切なくなるんですよ。
もうこの人物はこの世にいないんだな。みたいな。

地続きの世界が途切れるって虚しいんです。

そこにあった建物も、そこにいた仲間も、
つながりが途切れると自分単体が戻っただけではどうしていいか分からなくなるんですよ。
仮想の世界ですが、演劇でも役をやるとその虚無感が毎度やってきて怖くなるんです。

だから、卒論で「生の記憶を保存する方法はないか」をテーマに選んだんだと思うんです。

あーだんだんとっ散らかってきましたね…

なんでこんなことを書くのかって、
アタカが時計を直して塔の鐘を鳴らすのが私には救いだったんです。

最後にアタカ以外の役はいなくなりますが、アタカが物語の舞台になった時計塔を修復して後世につなげた事、そこで何があったのか時計塔にまつわる記憶を子供に話してつなげた事。

そこで何があったのか、思いを馳せる。
その気持ちを分かち合える存在が、人であれ、場所であれ、風化していくあらゆるモノにとって救いになるんじゃないかって思うんです。

…やっと締めです。
長文になりましたが、
最後までお付き合いありがとうございました。
次回劇場のどこかから皆様とお会いできるの楽しみにしております。