日本の精神科関連年表 | まつり開発係

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2015.08.12 14:00
日本の精神科の関連年表を作ってみた。逐次更新しているため、更新した日付を上に入れてある。
わかりやすくするため、世界における動きも取り入れた。
なぜなら精神科の歴史は、日本の歴史とは言い難いため。


精神科の歴史を見て行くと、奴隷制や部落差別との関係が、見え隠れしています。日本で最初の精神科病院は、浅草の非差別部落民の長屋に作られました。そして部落差別といえば宗教との絡みもまた根強い。具体的にあげると浄土真宗、日蓮宗は特殊部落を最大の旦那場としていました。世界救世教なども新興宗教ですが創設者が浅草出身。昔は宗教団体が精神科のような役割でした。座禅を組んだり、滝に打たれたり。精神科病院の現状は、これに似ていますね。
 そうした意味では精神科病院というのは、宗教施設のようなものです。やっていることも実際に似通っています。
「差別の形態をどう変異させてゆくか」という命題が精神科という学問の根底にはあるよう。
それは、社会構造の改革、革命。

近代の傾向としてはもっぱら共産主義と親和性のある「働かざる者食うべからず(He who does not work, neither shall he eat.)」という考え方がどの国でも登場してくる。


また、精神科が作られる以前には必ず農業が廃業に追い込まれるような時代背景(産業革命)があり、浮浪者が急増したという共通点もある。これはどの国でも共通している。
農業で食べていけなくなったため、浮浪者が急増した。

精神科の歴史を見ると、登場する国はかなり限定されてくる。まずはフランスから始まり、その上のイギリス、近隣のベルギー、ドイツ、オランダ、そしてイギリスの植民地アメリカ、そのお隣のカナダ。そして最近は特に日本と韓国。


年表スタート!
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最初の精神病は、おそらくてんかん 。失神 でしょうね。あとはPTSDくらいですか。
日本の野口英世が発見した事が一番大きいのですけども。

中世アラビア医学では、心理学者イスハーク・イブン・イルマーン(Ishaq ibn Imran、908年没)が随筆「Maqala fi-l-Malikhuliya」の中で、メランコリアの一種として「phrenitis」(脳炎、狂乱などと訳される)を挙げている。彼はこの種の気分障害の診察を行い、その様々な症状を記述しており、主な症状として、突然の挙動、愚かな行動、恐怖感、妄想、幻覚などを挙げた。



1377年、イギリスの王立ベスレム病院(ベドラム、Bedlam)が精神病も扱い始める。やはり最初はイギリスです。
(→o←)ゞ


13世紀 アルノー(誰?)は「メランコリーは脳の病気だ。不摂生、濁った空気、犬の噛み傷(狂犬病?)、飢え、不眠、怒り、勉学の心配、財産を失う恐れなどの感情的なもので病気になるのだ」
ルネッサンスで高名な医師パラケルスス は「僧侶が何と言おうと、精神障害は魔物の仕業ではなく、自然の病気である。」

この時期、ヒステリーは「子宮が身体中を走り回るための症状」と考えられていた。ヒステリーという言葉はギリシャ語で子宮という意味。神経学の父とされるウィリス(1621-16 78) はこれを否定し「これは脳の病気だ」と断じている。




1656年、フランスのルイ14世の指導により精神障害者、犯罪者、浮浪者を収容する総合施療院、ビセートル病院(L'hôpital de Bicêtre、男性)、サルペトリエール病院(Hôpital de la Salpêtrière、女性)が建設される。イギリスの真下に浸食したという形ですね。ルネッサンス以降、西欧各地に精神病院が次々に作られた。当然、人権は軽んぜられていた。しかし、18世紀にはいると啓蒙主義による変化が起き始めた。「社会が悪いからこうなるのではないか」「障害者を治療する環境をきちんと整えることも大切な治療法だろう」という発想が生まれ始めた。
(→o←)ゞ



1785年、イタリアで近代的精神医療をめざした聖ボニファチェ病院が開設された。
(→o←)ゞ



フランスの医師ピネル(1745-1826)
は、精神病者が鎖に繋がれ劣悪な環境で詰め込まれているのを見て、これを変えようとした。精神科医の戦いは「差別との戦い」であったと共に「どう差別の形態を変えて行けば良いのか」を追求する学問ではないか。
ピネルのメモでは「臨床で得た事実を冷静に見つめること」「病気の経過を見る場合、きちんと統計をとる」「治療では根拠のない決めつけを行わない」「医師としての博愛主義、倫理的な態度」などを重視している。
フランツ・アントン・メスメル (独: Franz Anton Mesmer, 1734年5月23日 - 1815年3月5日)
ドイツの医師。イエズス会の大学で学んだ後、1759年からウィーン大学で医学の勉強を始めた。
1766年『人体への惑星の影響について』(羅: De planetarum influxu in corpus humanum)というタイトルの博士論文を出した。動物磁気と呼ばれるものの提唱者。
現在の精神医学会の2大潮流「脳精神科タイプ」「心理主義タイプ」のうち「心理主義タイプ」の先駆者の一人。



1807年(文化4年)、漢方医の香川修徳が医学全書「一本堂行余医言(いっぽんどうこうよいげん)」を発刊する(第五巻が精神医学の項)。

1817年、アメリカ、最初の「道徳療法」を行う精神病院が開設される。


1818年(文政元年)頃、漢方医石丸周吾が私立の精神科診療所、石丸癲狂院(後の石丸病院)を開院(現・大阪府豊中市熊野町2丁目)。

1827年 ハンガリーのイェドリク・アーニョシュが electromagnetic self-rotor と名付けた電磁回転装置の実験を開始した。これが発電機の先駆けとなる。

1832年 フランスのヒポライト・ピクシーにより現在の仕組みの水力発電機が発明された。

1846年(弘化3年)接骨医奈良林一徳が私立の精神科診療所、小松川狂疾治療所(後の加命堂脳病院)を開院(現・東京都江戸川区西小松川町)。


1852年、フランスの精神科医ベネディクト・モレル (Bénédict Morel) によって統合失調症 が公式に記述されたとされる。仏Démence précoce(「早発性痴呆」)。しかしこの段階では、痴呆となっている。ようするに、時代背景、国によって精神症状の捉え方が極めて曖昧という事。いちおうこれが統合失調症の最初の記録という事にされている。


この時期、ドイツのエミール・クレペリン(Emil Kraepelin, 1856年2月15日 - 1926年10月7日) によって統合失調症と躁鬱病の概念が打ち立てられた。現在の精神科の学問体系は彼が作ったものが大半とされる。「脳精神学派」の主潮流。

1853年 黒船来航

1871年(明治4年) 東京府が裸体禁止令を出した。江戸時代まで、けっこう当たり前だったのですね。まずは、そこを禁止した。ちなみにこの年は日本の暦が、グレゴリオ暦に入れ替わった年です。
江戸時代まで続いた部落差別の産物。歴史の転換期ですね。非人は物ごい意外で食べることを禁じられていた。もう少し要点を書くと、非人は縄張りを持っていました。非人以外が物請いをするのを取り締まるのも、彼らの仕事だった。こう書けば、何の事なのかはわかるでしょう。ようするに精神科に入れられた人々というのは大半が、エタ、非人だったわけですね。そういう点から考えると精神科は部落差別の延長線上にあると言える。
(-_-メ


1871年、ドイツのエヴァルト・ヘッカー (Ewald Hecker) が「破瓜病」(Hebephrenie) を著す



1872年(明治5年)8月 東京府に営繕会議所が設置された。これは救貧事業を取り仕切る組織で、修路、架橋、ガス灯、共葬墓地などの公共事業に関わっていた。



1872年(明治5年)10月13日 東京府と営繕会議所の協議により、もはや路上の乞食や物もらいを放置できないという結論が出された。これはロシアのアレクセイ皇太子来日(生まれつき血友病だった)を翌日に控えての強硬措置だったとされる。この時に乞食を収容したのが浅草にあった非人溜。これが現在まで続く東京府東京市本郷の元加賀藩邸跡(現・東京大学構内)の空き長屋に開設された営繕会議所附属養育院(現・地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター)の始まりだった。明治12年(1879年)7月に東京府神田に移転する際、収容者120人中68人が精神疾患者であることがわかった。このため東京府上野の上野恩賜公園内に「狂室」が独立。。明治12年の段階で在院者525名、うち精神障害者は71名。これが「東京府癲狂院」、現在の東京都立松沢病院(明治22年には東京府巣鴨病院、その後大正8年に松沢病院と改称)の前身となる。(敷地約90坪、五病棟、定床百、開院時入院者数73名)



1873年(明治6年) 文部省の医務課が医務局になり、明治政府が本格的に衛生行政に着手



1874年、ドイツのカール・カールバウム (Karl Ludwig Kahlbaum) が「緊張病」(Katatonie) を著す



1874年(明治7年) 文部省が東京府、京都府、大阪府に対し医制を発布し、癲狂院(てんきょういん、当時の精神科病院はこのように呼ばれた)の設立を規定。



1874(明治7)年、祈祷禁厭によって 医薬を妨げる者の取り締まり令が発布された。

1874年(明治7年)3月 創設されたばかりの警視庁は「狂病を発する者はその家族において厳重監護せしむ」という命令を出した。このあたりから、私宅監置という事が行われ始めた。


1875年(明治8年) 京都府の南禅寺境内に日本初の公立精神科病院「京都府療病院付属癲狂院」(現・川越病院)設立。



1875年(明治8年) 路上の狂癲人の取扱いに関する行政警察規則が制定。


1878年(明治11年) 東京府で日本初の私立精神科病院、加藤瘋癲病院が認可。


1879年(明治12年) 違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)
「裸体、あるいは肌をあらわにして醜態をさらすこと、身体へ入墨をすること、男女混浴の湯屋、春画の類を販売すること、男で女装または女で男装をし、あるいは奇怪な扮装をして醜態をなすこと、軒外に木石炭などを積むこと、往来に願いなく家を作ること、男女相撲や蛇遣いなどの見世物。(以上、違式罪)
あるいは往来で小便をすること、喧嘩口調で騒ぎを起こすこと、店前で幼児に大小便をさせること、蓋のない糞桶を搬送すること、汚辱物を投げ捨てること、婦人でいわれなく断髪すること、戸口を開け放ち、あるいは二階に簾をたらさない湯屋、巨大な凧をあげること。(以上、詿違罪)」


1879年(明治12年) 相馬事件


1879年(明治12年) 帝国大学医科大学(現・東京大学医学部)に日本初の精神医学講座設置。


1880年、フランスの医師ジェリーノ(Jean-Baptiste-Édouard Gélineau)がナルコレプシー(narcolepsy)を名付ける。これは睡眠障害の事かな。
Zzz…(*´?`*)。o○


1887年(明治20年) 東京の火力発電所竣工。


1890年(明治23年) 東京・横浜で電話サービス開始

1891年(明治24年) 京都市で一般供給用としては日本最初の蹴上発電所が送電を開始した。


1891年(明治24年) 日本最初の知的障害者の教育・福祉施設、「滝乃川学園」設立


1899年、ドイツのエミール・クレペリン (Emil Kraepelin) が独Dementia Praecox(「早発性痴呆」)を著し、破瓜病、緊張病に妄想病を加えてまとめる。ようするに統合失調症。旧称、精神分裂病ですね。


1900年(明治33年)3月9日「精神病者監護法」公布
精神病者は家族が管理しなければならないとして、私宅監置用の小屋などを作り、そこに監禁することを義務づけた法律。月に1~2回、警察官が臨検(りんけん)することになってはいたが、その際に医師が同行することはなかった。警察が注意したのは患者の容態や衛生状態ではなく、確実に監禁(かんきん)が行われているかどうかだった。つまり、現代の精神病院についても言えるのは、少なくとも医療施設ではないという事だ。


1902年(明治35年) 日本神経学会発足(後の日本精神神経学会)



1907年(明治39年) 警視庁は「監置届の出ていない、民家に自由に隠れているところの精神病者についての調査」を行った。そのとき見いだされた1717名の精神病者を注意人物として調査し、精神病者台帳というものを作成して各警察署で管理したとされる。

1908年(明治41年) 三宅鉱一と池田隆徳が「知能測定尺度(ビネー・シモン法)」を紹介。


1913年(大正2年) 野口英世が進行麻痺患者の脳に梅毒病原体を発見する。
この時代、精神病院の病床の大半はこの症状で埋め尽くされていたそうです。現代の統合失調症はほとんどいなかったのだそう。これ、物凄く重要なのですよ。つまり、これより以前にあった精神病なんて、どれも風邪だとか狂犬病だとか、あるいは虫歯だとか。そうした病気の症状であった可能性があるわけです。そうした事を気づかせてくれるという意味でも、野口英世氏の功績は、極めて大きい。


1917年(大正6年) ウィーンの医師ヤウレックが梅毒性精神障害の発熱療法を始める。

精神分析学者ジークムント・フロイトは1917年に著した「悲哀とメランコリー」(Trauer und Melancholie)で「悲しみ」(悲哀、喪)と「憂鬱」(メランコリー)を区別した。愛する者や対象を失って起こる悲哀の場合、時間をかけて悲哀(喪)の仕事を行うことで、再び別の対象へ愛を向けられるようになる。これに対しメランコリーは、「苦痛にみちた深い不機嫌さ・外界にたいする関心の放棄、愛する能力の喪失、あらゆる行動の制止と、自責や自嘲の形をとる自我感情の低下--妄想的に処罰を期待するほどになる--を特色としている。」メランコリーの場合、愛するものを失った悲しみは悲哀と共通するが、「愛するもの」が具体的なものではなく観念的なものであること、対象を失った愛は自己愛に退行し、失った対象と自我との同一化が進むこと、この過程で愛は憎しみに変わり、失った対象およびこれと同一化された自我に対する憎しみが高まり自責や自嘲が起こることが異なるとされ、フロイトはここに自殺の原因をも見ている。
現代の心理学では、憂鬱(メランコリー)の概念はうつ病(デプレッション)にほぼすべて置き換えられている。


1919年(大正8年)3月9日「精神病院法」公布(昭和25年、1950年廃止)
この法律は明治40年のライ予防法、大正8年の結核予防法、トラホーム予防法、昭和2年の花柳予防法といった、一連の予防法制定の気運の中で制定された。精神病院法のよる最初の公立病院は鹿児島保養院で、これは鹿児島に英国皇太子を迎えるにあたっての治安対策だった。なぜか日本の精神科は英国、アメリカ、ロシアなどの要人が来日する前に刈り込みを行うようだ。


1921年、アメリカ精神医学会設立


1921年 全国水平社(日本の部落解放団体)


1929年(昭和4年) 救護法公布(原泰一)


1933年、オーストリア出身のアメリカ合衆国の医師マンフレート・ザ―ケル (Manfred Sakel) が、インスリン・ショック療法を始める。


1935年 ポルトガルの神経科医エガス・モニス、外科医のペドロ・アルメイダ・リマ(Pedro Almeida Lima)がロボトミー(精神外科)を始める。精神外科が現在の脳神経外科の発端となる。

1935年(昭和10年) 世界救世教発足(教祖の岡田茂吉が浅草出身)。この年、大本や天理教などの宗教団体が次々に治安維持法で検挙された。

1937年(昭和12年)8月15日 日本政府が全面戦争を宣言

1938年(昭和13年) 日本で新潟大学の中田瑞穂が、ロボトミーを導入。


1938年 イタリアのU.ツェルレッティ(Ugo Cerletti)とルシオ・ビニ(Lucio Bini)が電気けいれん療法を開発


1940年 国民優生法(1948年に優勢保護法、1996年に母体保護法に移行)


1946年(昭和21年) 優生保護法「医師の認定による優生手術(ロボトミー?)」
<本人もしくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患もしくは遺伝性奇形を有し、また配偶者が精神病もしくは精神薄弱を有しているもの。本人または配偶者の四親等以内の血族関係にあるものが、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患、又は遺伝性奇形を有しているもの。本人または配偶者が、癲疾患にかかり、かつ子孫にこれが伝染する恐れのあるもの。>


1944年、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガー(Hans Asperger)が自閉的精神病質(アスペルガー症候群)を報告する。


1945年8月15日 第二次世界大戦終戦


1945年以降 戦後、軍備蓄のメタンフェタミンが市場流入。依存症者が大量に発生し、社会問題になる。


1949年(昭和24年) 日本精神科病院協会設立


1950年(昭和25年) 精神衛生法施行(1987年に 精神保健法 、1995年に 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 と移行)
同法施行に伴い精神病者監護法、精神病院法が廃止。
私宅監置の禁止と共に、医療保護入院や措置入院・緊急措置入院が新設された。


1950年(昭和25年)5月4日 生活保護法 施行


1951年(昭和26年) 覚せい剤取締法 施行


1952年(昭和27年) 日本電信電話公社が設立


1952年(昭和27年) フランスでジャン・ドレーという精神科医が統合失調症に対するクロルプロマジンの治療効果を認めた。これが近代向精神薬治療の始まりとされる。


1952年(昭和27年) アメリカ精神医学会が精神疾患に関するガイドライン「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」初版(DSM-I)を出す。


1952年(昭和27年) 新潟精神病院にて入院患者にツツガムシ病の人体実験が行われる(新潟大学におけるツツガムシ病原菌の人体接種問題)。



1951年頃からラジオの放送が始まり、1953年から1954年にかけて全国で民放テレビ局が本放送を開始。
ここからが、いわゆる高度経済成長期。メディアがそれを後押ししていたのは、言うまでもない。それまで「不良品の代名詞」とされていた「MADE IN JAPAN」の評価も変わり始めた。1950年に朝鮮戦争が勃発した事による特需、1951年にはサンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印という背景もあった。初期の娯楽番組は豆腐の投げ合いだとか、ナンセンスコメディと呼ばれ低俗なものが多かった。これを評論家の大宅壮一は「一億総白痴化(総国民ボケ化)」と表現した。


1954年(昭和29年)6月8日 警察法施行(旧警察法の廃止)、自治体警察 が廃止された。法改正案は、1954年2月15日、政府により提出された。


1954年(昭和29年)7月1日 日本で自衛隊発足。



1954年(昭和29年)精神衛生法の一部を改正する法律(昭和二十九年法律第百七十九号)により、それまでは公立精神病院にのみ認めていた設置、運営費の国家補助を民間にも拡大した。



1958年(昭和33年) 医療法特例、精神科特例(2001年まで)
精神科における医師の数は他科の三分の一、看護師の数は3分の2で良い。


1958年(昭和33年)学校保健法(現・学校保健安全法第11条)に基づき就学時健康診断。知能検査が始まる。


1960年(昭和35年) 医療金融公庫設立


1964年(昭和39年) 東京オリンピック開催の年 ライシャワー事件 により精神衛生法改正。
精神科の脱施設化に世論が傾き始めたなかでの事件だった。
このとき、警察は精神障害者の早期発見のために家庭訪問を徹底、精神障害者のリストを作成した。精神科医の猛反発があった。


1965年(昭和40年) 精神衛生法が改正。通院医療費公費負担制度が創設される。強制入院(措置入院)の国庫負担率を一気に十分の八まで引き上げた。精神分裂病や気分障害などの者の家族らでつくる精神障害者家族会の全国連合会組織、全国精神障害者家族会連合会(全家連)が設立。このあたりから日本の民間精神病院が爆発的に増えた。



1968年(昭和43年) 世界保健機関がクラーク勧告を日本に宣告する。



1971年(昭和46年) 向精神薬に関する条約(Convention on Psychotropic Substances) が採択される。(日本は1990年に加盟。)


1971年(昭和46年) 東京いのちの電話が開設される。


1974年(昭和49年) 厚生省、通知「療育手帳制度について」及び「療育手帳制度の実施について」を出し知的障害者向けの障害者手帳制度が始まる。療育手帳の項参照 第1回全国精神障害者交流集会が開催され、それをきっかけとして患者の個人全国組織、全国「精神病」者集団が結成される。精神科デイケアが医療保険の対象になる。



1975年(昭和50年)、日本精神神経学会が『精神外科』を否定する決議を採択。
ロボトミー手術の廃止を宣言。(脳神経外科に移行しただけ) 患者の通信・面会の自由に関する決議を採択。


1975年(昭和50年) 断酒ミーティングアルコホーリクス・アノニマス開始。



1978年(昭和53年) イタリア、通称「バザリア法」が成立。180号法案。世界初の精神病院廃絶法。病院では患者が可愛がっていた「青い馬」がシンボルとして掲げられていた。


1979年(昭和53年) ロボトミー殺人事件


1984年(昭和59年) べてるの家が発足。宇都宮病院事件発覚。


1987年(昭和62年) 宇都宮病院事件を受けて、精神保健法施行。
精神保健指定医制度が発足し、任意入院制度確立。


1989年(平成元年) 社団法人日本自閉症協会設立。

1989年(平成元年)「保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則」が改正。
これまでは男性看護師(旧称・看護士)は女性看護師(旧称・看護婦)と異なり、精神科病棟での勤務を前提とした教育体制が取られていた。改正後は男女とも同一の教育カリキュラムとなった。


1993年(平成5年) 全国精神障害者団体連合会(全精連)結成


1995年(平成7年) 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律施行。精神障害者保健福祉手帳制度制定


1996年(平成8年) 優生保護法が母体保護法に改組され、強制断種等に係る条文が削除される。<本人もしくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患もしくは遺伝性奇形を有し、また配偶者が精神病もしくは精神薄弱を有しているもの。本人または配偶者の四親等以内の血族関係にあるものが、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患、又は遺伝性奇形を有しているもの。本人または配偶者が、癲疾患にかかり、かつ子孫にこれが伝染する恐れのあるもの。>


1995年(平成7年) 茨城県で虐待等による強制労働「水戸事件」が発覚


1995年(平成七年)に日本放送協会(NHK)が、1999年(平成九年)に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化した。もちろんインターネット上の広告や動画は対象とならない。

1997年(平成8年) 大和川病院(医療法人北錦会)に人権侵害の疑いで立ち入り検査。入院患者の不審死26件が発覚し、同年10月1日に廃院処分。


2000年(平成12年) 介護保険制度施行


2001年(平成13年) 池田小学校事件、朝倉病院事件(埼玉県)が発生。

2002年(平成14年) 精神分裂病の診断名が統合失調症へ変更。

2002年(平成14年) 全国精神障害者家族会連合会(全家連)、補助金の目的外使用が発覚し返還命令を受ける


2002年(平成14年) 道路交通法改正で、運転免許証の欠格が「絶対的欠格事由に基づく方式」から「相対的欠格事由に基づく方式」に改められる。


2005年(平成17年) 心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)施行 発達障害者支援法施行。


2006年(平成18年) 障害者自立支援法が施行。精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律が成立 。精神障害者保健福祉手帳が写真が添付できる新様式に更新された。


2007年(平成19年) 全国精神障害者家族会連合会(全家連)が負債10億円を抱え倒産、解散。リタリンの不適切処方問題が表面化。リタリンの適応症からうつ病が外される。翌年にリタリンの流通規制制度。


2007年(平成19年)11月、イギリス政府は、数種類のタール色素の安息香酸ナトリウムと合成着色料の入った食品がADHDを引き起こす可能性があることを発表し、ドリンクやお菓子に入っていることが多いとして注意を促した。(自主規制対象のタール色素:赤色40号、赤色102号、カルモイシン、黄色4号、黄色5号、キノリンイエロー)


2008年(平成20年) 日本精神神経学会が「注意欠如・多動性障害(ADHD)」という言葉を集中的に使い始める。


2009年(平成21年) 貝塚中央病院(大阪府貝塚市)にて精神科患者が拘束死。看護師に有罪判決。


2010年(平成22年)、国際麻薬統制委員会は日本でのベンゾジアゼピンの不適切な消費について警告。
障がい者制度改革推進本部等における検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活を支援するための関係法律の整備に関する法律(障害者自立支援法の改正案)が成立2012年(平成24年)、障害者自立支援法が障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)に改正され、2013年(平成25年)4月1日から施行される2013年(平成25年)、国際連合人権理事会は日本に対し、精神障害者の非常に大勢が自らの意思に反して長期間に渡って社会的入院されていることや、身体拘束と隔離が過剰に用いられていることを警告。


2014年(平成26年) 、障害者権利条約を日本国が1月20日に批准。