齢 40過ぎにして、「色々と腑に落ちて」きました。

(まあ、時間の概念すら「幻想」なんでしょうけれどもね。)

 

「人間に自由意思は存在しないという考え方」

この考え方との出会いは大きかったと思えます。

 

しかしながら、

初めから「この考え方」に出会っていたところで、

私には「何の意味も無かった」、「腑に落ちなかった」のは確かで、

「自分の人生は自分で掴むものだ」

ある種、真逆に生きてきたからこそ腑に落ちたとも感じています。

 

「正反対を共に知るからこそ、中庸に至る」

それは確かですね。

 

私達は教育や社会で必ず「ジャッジを迫られ」ます。

特に「正解」と「不正解」

「正義」と「悪」

「優」と「劣」

「上」と「下」

これらは最たるものでしょうか。

 

「比較」という概念

「答えは2つの内の1つ」

はたまた、「答えは全ての中で1つしかない」

という

「擦りこみ」を教育や社会で受け、人によってはそれに全く疑問を持たず、

人によっては反発という形で生きる。

 

または、「自分は悪や劣のレッテルを張られたくない」。

「善や優を妬んだり、足を引っ張ろうとしたり」…。

そういった感情を煽ったりもするでしょうか。

 

おそらくは

「どちらもが正しく、どちらも誤り」

なのでしょうね。

 

というよりも、

「世界のすべてが「どれもが正しくもあり、誤りでもある」」

そういう事なのだと、今の私は感じます。

そういった意味でも「相対的」と言えます。

 

では、何の為にこういった「擦りこみ」が必要なのか?

まあ、幾つかあるでしょうけれども、

「従順である人達は管理し易い」

「「モデルケース」という価値観を植え付ける事で、対立構造での争い、差別、偏見、同調圧力…

を絶えず生み出せる」

こういったところでしょうか。

 

また、

「人の心や思考を不安や恐怖等で、かき乱す事で、各々から見える世界(宇宙)を絶望的なものとする為」

とも言えるでしょう。

 

こうする事で、

「明るい現実を創造させにくくする」、

「大きい存在に依存させやすくする」

(国家、政府、法、大企業、肩書、経歴、収入、資産、…)

というピラミッド型の搾取や管理のし易い主従構造が出来上がる訳ですね。

 

また、私達が絶えず争い合う事で、更にこの意味が強まる構造です。

日本の場合ですと特に「同調圧力」にて、監視し合う体制も作り易くなりますしね。

 

人によっては「大きな存在=救世主」にも見えるでしょう。

そうですね。

ある種、宗教的な概念を基軸として、作られた社会システムという事が見えてきます。

(宗教=悪という事ではありません。

人によっては、それで心の平穏が保たれるのですから、それは各々でしょう。)

 

更には「為政者」と「庶民」という対立構造でさえも、敢えて作り出しているとも言えるでしょう。

 

為政者達は常々、

「これらを意図的に続けている」

という訳ですね。

 

テレビやSNSでも「影響力がある」と言われる人達が「コメントやジャッジ」をする。

マンガやアニメでも「常に正義と悪に分れ、戦っている」とも言えます。

様々な「エンタメ」もしっかりと利用されていますよね。

 

私達の極々身近なところにそれらは存在し、知らず知らずの内に擦りこまれているという訳ですね。

 

最近、「某ウィルスは大したことは無い」、「ワ〇チンは危険」…といった講演会や冊子の投函がなされたりもしてきました。

勿論、善意にてそういった事を行っている方もいらっしゃると思いますが、

これまでの政府的な見解はそういった物の無料配布は止めると思うのですが、そうはなされていません。

 

政府や地方自治体の動きの様々な事に疑問を持ったり、カラクリに気付き始めた方も増え、

SNS上ではある程度鎮火しつつある為、こういった配布物による「煽り」にスライドしたのではないかと私は思っています。

 

正直、私も息子の事を考え、沢山調べ、加熱気味になってしまった部分もあると思っていますが、

「自分で調べ、納得して決めた」

それが重要だった訳ですね。

 

まあ、私の考えは

・遺伝子に関わる初承認のmRNAタイプだった事

・ワ〇チンにお世話になった経験がなく、頼ろうと思った事がなかった事。

・某ウィルスがインフルエンザ等と比較しても、体感として猛威をふるっている様に感じず、

食事内容等での免疫力を高める事で解決できると判断した事。

・治験段階で、緊急事態時での急遽の承認だった事。

・医療、製薬利権を感じた事

といった事で判断した訳です。

 

お客様方や知り合い、知り合いの知人の話では、

・全く何とも無い方

・直後にお亡くなりになられた方

・副反応が酷かった方

・副反応が酷かった為、1回目、2回目以降は接種を見送っている方

・「2回の接種で大丈夫」との事だったのに、3回目以降の報道にて不信感を持ち、見送っている方

・薬の開発を待っている方

 

という様に千差万別という事がご理解いただけるかと思います。

 

いずれにせよ、

厚生労働省では一貫して「任意」であるという事です。

 

こういった観点では、

「自分で調べ、自分で決める事」は大切の様な気がしますし、

自分の対極の考えや行動を尊重する事が重要ではないでしょうか。

 

~~~

 

また、ロシアとウクライナの問題の「ロシア=悪」のキャンペーンが凄いですね。

ネット上では「アメリカ=悪」キャンペーンもあります。

 

日本のテレビは「スポンサー」からの資金提供があって成立している訳で、

「スポンサー企業に対して否定的な事は言えない」事は皆さんご存知でしょう。

(ちなみに製薬会社の関連企業には、テレビや食卓でお馴染みの企業も。

CMバンバンやってます。

医療、製薬と食品添加物…繋がりますね。

しかし、何を食べても大丈夫な人は大丈夫、ダメな人はダメという点も然り。

要はバランスでしょう。)

 

また、日本は実質、英米に放送内容も実権を握られている様なものなので…お察し下さい。

 

私が調べた限りですが、

西ウクライナに某米国が「ネオナ〇ス」等の戦争屋の部下を送り込み、

親ロシアの東ウクライナへ侵攻させ、東ウクライナがロシアに助けを求めた。

それにより、ロシアは「無条件降伏を求めた」という話です。

(侵攻したのか定かでは無い。)

また、未だに話し合いの席が設けられていますよね。

(これら以前のNATO軍や米国が何をしたのかという背景もこれ以前に色々とあるらしい。)

 

天然資源の豊富なロシアは欧州に対して、それらのパイプラインを握っている。

それを制裁時に止めれば、逆制裁は完了し、欧州は大混乱になるが、それをしていないという事。

 

これらのいきさつを私がチラッとテレビのニュースを観た時、全く触れていないのですね。

 

「では、ロシアが正義ですね」

というのが、ネット的な考え。

 

しかし、

「英米にしろ、ロシア、中国にしろ国連常任理事国同士ですよね?」

 

つまり、

「その壮大な自作自演、政治利用も有り得る」

という考え方を持つ事も必要かもしれません。

(真偽のほどは分りませんが、ロシアは貨幣制度を「金本位制」に移行するかもしれないという話も含め、日本は触れていないですね。

これがもし本当ならば、結果的にドルは破綻し、紙幣は紙切れになり、金融リセットが起きる可能性もあるでしょうね。)

 

では、

「それらすべてが悪」

としたくなりがちですが、それでは「対立的な思考」、「争い」を生みますよね。

 

為政者の狙いに乗らない、同じ土俵に乗らない様に、

「責任の所在を明らかにせず、善悪で判断しない」

というのが、私の見解。

静観。

 

結局のところ、

「目の前で起きている事では無いので、分からない訳であり、

日本には本当の情報が回ってきにくい性質がある」

という事を押さえておいた方が良いという事です。

 

もしくは、

心が揺れ動かされてしまうという方々は、一切の情報を遮断するという事も手ですよね。

(それが一番の狙いな訳ですから。)

 

「二元論で判断する思考からの脱却」

「もしくは、何も情報を入れず、自分の目の前の生活、自分の心の平穏にのみに集中する事」

が大切かと思います。

 

~~~

 

ここからは自戒の意も込め、綴ります。

 

精神世界的な観点からすると

「私達一人一人は、一人一人異なる世界を見ています。」

 

ワンネスというすべては1つで、

宇宙に生命は1つしか存在しておらず、

この世、私達の存在、時間の概念でさえ、

「幻想」

でしかない。

(各々の自我や個性として、分離しているという錯覚)

 

では、

「この世」とは「私達一人一人の思考、心で作られた世界」

という事です。

 

「何故、為政者達は私達の心を揺さぶろうとするのか」

気付かれましたか?

もしかすると、

「為政者という存在も私達が勝手に作り上げた幻想でしかない」

とも言える訳です。

 

分かり易くする為に、もし仮に存在しているとして、

「社会的通念、モデルケースこそが基軸であり、不安や恐怖、過度の興奮の様な感情を煽り、外側に常々目を向けさせ、

「全ては1つである事」を忘れさせる為」。

はたまた「後天的に授かった幻想でしかない自分」が「本当の自分である」と錯覚させる為。

という事です。

(もしかすると、逆に人類の霊性、精神性を段階的に高める為の役割なのかもしれませんしね。)

 

そうする事で、

「各々に見えている外側の世界が自分の世界(宇宙)であると錯覚させ、

内面、深層意識化でも共通の認識を持たせ、コントロールし易くする為」

という訳ですね。

言ってみれば、この世はRPGの様なゲームであり、超高度なヴァーチャルリアリティの様なもの。

 

 

結局のところ、

「今の目の前の世界、現実を作り出しているのは紛れもない自分」

という事です。

 

「幸せで素晴らしい世界」と感じている人がいたとすれば、それを作り出しているのは紛れもない自分です。

その真逆も然り。

「この世も幻想」

ですから。

 

「統合意識」

という一人一人の意識の集合体の様なものが一人一人の意識の変化により、

書き変われば精神世界では総合的な宇宙、世界の流れも変わると言われています。

(サーバーみたいなものですよね。)

 

つまり、

「この世での「幻想の自分」を通して、見ている自分に気付く、その事を思い出す」

という事が重要になる訳ですね。

 

この考え方が「自由意思はない」に繋がる訳です。

 

「この世での幻想の私」はスクリーンの映画そのもの。

映画を観ている観客としての自分が実は「本当の私」という事。

(分かり易く言うと「ハイヤーセルフ」とも言えるでしょうか。)

それを映画に没頭するあまり、「本当の私」が我を忘れるという事になる訳ですね。

(まあ、「ワンネス」ですから、例外なく皆同じ存在が観ている訳ですけどね。

つまり、一人全役です。)

 

私達の概念の過去、現在、未来というものすら存在せず、

バラバラの細切れの1カットが同一線上で存在している。

それが映写機で放映され、順番に進んでいる様な錯覚を起こしているのが、私達が体験している出来事。

実は順番に起きているのではなく、勝手に繋ぎ合わされている錯覚。

 

過去は記憶でしか無く、

本当は「今、この瞬間」しか存在しておらず、

一瞬一瞬で、その世界には

「目の前の事、物、人しか、存在していない」

という訳です。

(テレビやSNSも錯覚や混乱を起こしやすくさせる為のものと考える事が出来ますよね。)

 

もっと言えば、すべては幻想ですから、本来「自分すら存在していない」とも言えます。

宇宙では「生命は一つ」とされていますからね。

 

「自由意思が無い」と仮定すると、

「宇宙は完璧な調和を常に保ち、必要な事、物、出会い…すべてを提供している」

という訳です。

 

「無い物ねだりをしたところで、今必要ない物は手に入らない」

「今、不必要な物は離れてゆく」

ただそれだけ。

 

ですから、

「外側」に没頭すると、様々な錯覚を起こし、

「自分に必要な存在するもの、すべてに対しての感謝を忘れ、不満を募らせ、そういった現実を作りだす。

そう見えてしまうという事に繋がる」

という訳ですね。

 

宇宙の流れとして、「転換期」となっている事は間違いないと思います。

だからこそ、「こういった情報が私達の目に触れる事になっている」とも言えます。

 

何だかんだ言っても、

私は幸いにも、どこにも所属する事無く、自分の会社で、自分のしたいと思った事をし、

館の営業時間はあるにせよ、お店や商品もあり、それで商売をし、お金も頂けています。

面白い人や物との出会いもありますし、

好きなペースで働き、好きに休みながら働けています。

正直ストレスフリーです。

 

売上には正直悩みますが、それは「私の捉え方の問題」とも言えるでしょう。

(ない物ねだりなのかもしれませんね。今でも充分と心が満たされている事が重要なのでしょう。)

ただ、そういう現実が在る、流れとして「今そう」というだけ。

 

また、こういった状況でも続けられている訳ですから、ありがたい事に周囲の方々にも助けられる宿命なのかもしれませんしね。

(人によって「役割がある」という事とも言えるでしょうか。

「今迄の基軸や尺度が当てにならなくなる」ので、各々が得意な事や余っている物、事を提供し合う、受け取り合う、

循環させる事が大切と感じます。)

 

プライベートも家族で助け合いながら、好きな育児、家事も楽しみつつ、息子とも過ごせていますしね。

 

「モデルケースや世間体に囚われず、そういった環境に身を置いている」

とも言えるでしょうか。

 

この「転換期」としての宇宙の流れのベースに沿った事柄がまだまだ「各々に起こる、起こっている」とも言えるでしょう。

今迄綴ってきた様に、

今迄以上に「超管理」と「自由」の振れ幅が広がってゆくと思います。

勿論、「自由意思はない」ので、

「各々、自我や個性が各々の方向に向かってゆく形」にはなるでしょうけれども。

 

そこで

「各々の人達の幸せを感じる形は違う」

という事を肝に銘じておく必要があると思います。

 

私が今迄に綴ってきた様な「好きな事をしながら、楽しく過ごす世界」

をチョイスする人もいるでしょうし、

今迄以上に

「徹底的に管理される世界」

「徹底的に争う世界」

それこそが幸せという方もいらっしゃるとも思います。

 

全ての方々が自分自身、各々を尊重してゆく事が重要となると思います。

ですので、

コントロールや過剰なジャッジという様に

「善悪」や「正誤」

から一歩出た観点、中庸の視点が大切になってゆくのではないでしょうか。

(それらに気付くと、自分が作り出しているに過ぎない

そういうコントロールしようとする幻想としての存在もいつの間にかいなくなっているのかもしれません。)

 

まあ、

「宇宙は常に完全な調和を保っており、必要な出会い、事、物を瞬間瞬間に存在させたり、起こしている」

そして、「その宇宙自体が私自身」

でもあるという事ですから、信頼し、身を委ねると

「見える世界が変わってゆく」

かと思います。

 

人によっては

「全く訳が分からない」

話だと思います 笑。

 

勿論、

「自由意思はあるんだ!!」

という方が生き甲斐がある方は、私の話は参考に全くなさらないで下さいね。

突き進んで下さい!!

 

そして、

すべての人達の思考や行動が一気に変わる訳ではなく、個人個人のペースで変化が伴い、

結果として世の中が転換している、ゆく気がします。

若い人達は既にこういった概念を潜在意識的に知っており、それをベースに生きていると思いますしね。

 

「この世、私達にも特に意味は無い、存在すら本来していない」

「全てが幻想」

肩の荷がおりませんか? 笑

 

思考を止めてみたり、自分のペースを主体として生きると

「今迄の自分と思っていた存在」

を俯瞰しつつ、流れに身を委ねながら生きれると最近の私は特に感じています。

 

自分を尊重すれば、他者も尊重できますしね。

外側に揺さぶられずに平穏な心で参りましょう。

結局は

「今この瞬間しか存在していない」

ので、

俯瞰し、一瞬一瞬をジャッジせずに感謝ですね。

(私も時に忘れてしまいますが。)

 

完璧な調和を保ち、しっかりと世界、宇宙は変化していますね。

「人=宇宙」

ですしね。

 

 

宜しければ、聴いてみて下さい。

 

平和と心身の健康があってこそ、衣食住、娯楽を楽しめます。

そういった根幹の為にもお役立て下さい。

 

本日もお読みくださいまして、ありがとうございます。

感謝、感謝です。