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ご依頼を頂くお仕事の一つである「Mental follow」にフィードバックする部分もあり、

ただ単に昔から「論理的思考も出来るが、目に見えないもの、事に対しても興味が絶えなかった」訳で、

勝手に「精神世界」に関する学びを深めてしまう訳です 笑。

 

「精神世界」と言っても、

宇宙学、量子物理学、東洋哲学、心理学、脳科学、エネルギー学、波動、周波数…

あらゆる学問の総合学問みたいな感じなので、

所謂「スピリチュアル」とはちょっと異なるのですがね。

 

それらを突き詰めてゆくと行き着くのは最終的に

「自分の内側」

結局は、それが「宇宙のすべて」であり、

その各々の内側に基づき、

各々が各々の異なる宇宙を見(観)ているとも言える訳ですね。

 

では、「私にとって「生きる」とは何なのか」という事を改めて、

先日気付かされたというか、思い出した次第です。

 

そう、表題の通りで私にとってすべては「表現する事」という事。

これは公私関係なく、私にとっての「生きる」=「表現」という事です。

 

過去の記憶の断片で「ファッション」が好きになった時に鮮烈に感じた事があり、

それが「こんなに自分を表現して良い事、物があるなんて!!」と感じたのですね。

 

その前に「音楽」を好きになった時。

私にとって音楽は「歌う事」に直結していましたから、

バンドこそ組む事はありませんでしたが、

カラオケも大好きで、何時間でも歌ってられましたからね。

これも表現。

 

文字を綴る事も、料理や美術館に足を運ぶのも好きでしょうか。

 

ご存知の通り、fB、TRICEは私にとっては「総合的な表現の場所」です。

店全体が表現のすべてですし、

デザイナー、クリエイター、アーティスト…

「様々な表現者」と衣食住やカルチャー、テーマを交え「表現」してきましたし、

今この瞬間もそうです。

 

中でも「ファッション」は「公私」関係なく、常に「在る」ものです。

結局のところ

常に私の魂の根源、根幹から湧き出てきて、

「常に在るもの」は「表現」だったという訳です。

 

ビジネスとして、はたまた仕事は稼がなければならないという様に

今迄教育されてきた「常識」、「一般論としてのビジネス」傾倒し過ぎた事、

外側で起こる様々な事象に気を取られたり、打ちのめされてしまった事…

 

こういった事で魂の根源、根幹から湧き出、常にいた、在った「表現」という部分を

感じ切れていなかったのだろうなと

つい先日に改めて感じたという訳なのです。

 

そんな自我(エゴ)の肥大化した私に

ずっと寄り添い、常に共に在ってくれたのは「表現」でしたからね。

ありがたい。

 

人間は物質では残念ながら満たされません。

本質的な物質でなければ、満たされるのは一瞬です。

あくまでも、「手段でしかない」からです。

 

各々の「魂の根源、根幹から湧き出るもの」が何なのかに気付き、思い出す事で、

ようやく手段である「物質」が活きるという訳です。

言うなれば、「それでこそ、人も手段も輝く」という事。

 

逆に言えば、

魂の在り方を感じている人は存分に手段を使って輝いたら良いという事です。

「本質を纏った手段」ですから、それは。

 

これらの事象は

「究極の自由」がそこに在るとも言えるでしょうからね。

 

更には、

幾ら物質を手にしても、量で埋めようとしても、

内面の「魂」の根源、根幹から湧き出る事に気付いていなければ、

手段に溺れているだけという訳です。

ある種の「依存」と「執着」でしかありません。

(資産、お金、数字、量、権力、肩書、優劣、上下…諸々)

 

結局のところ、

私達の根源は「生まれた時から常に在った」と言えるのですね。

ですから、「方法論では無い」という事です。

そこには当然ですが、

「優劣、上下、上手い下手も無い」とも。

これらは生まれてきた時から一体だった、常に側にいてくれた、常に在ったのですから。

赤ちゃんを思い出せば、想像に容易いでしょう。

 

おそらくですが、時代的に

「これらに気付く、思い出す人達がどんどん増え続けている」のが、

今現在の世界だと感じています。

 

若いコ達はこれがデフォルト状態かなと。

だから、「世界が変わる」訳ですね。

「人間の内面の変化」が伴っているが故という訳です。

そちらが先ですから。

 

今も尚、どんどんと今迄の権力、利権、社会構造、社会システム、常識、倫理…

音を出して崩壊している様が表出してきている訳ですから、

今迄の様な価値観のままの時代ではいられない事は、

肌感覚でも皆さんも感じていらっしゃるのではないでしょうか。

 

更には、AI、ロボット化が進んでいる事もこれらに拍車を掛けています。

世の中の半分位の人達と言われている「ホワイトカラー(事務職メインの方々)」は

もう2、3年もすれば「働く必要が無い」状況になるでしょう。

2030年にもなれば、「今迄のスタンダード」や「モデルケース」、「方法論」の多くは崩壊しており、

新しい世界が見えている事でしょうから。

(おそらく次の世界のモデルケースは無い。

共通的な「モノサシ」、「モデルケース」は薄まり、多様化も極まり、

「各々の幸せの価値基準が異なって当然」なので。)

 

その間に「新しい仕事」も出来てくると思いますし、

「ベーシックインカム」も導入され、

一度、現行の米ドル体制がリセットされ、

濃厚とも言われる「期限のある共通電子マネー」が導入されれば、

「仕事=お金を稼ぐ事では無くなる」

でしょうからね。

(その頃にはある程度の利権構造も破壊され、現在の「国家」、「政府」概念も今とは異なるシステム、概念となり、

支払うものや徴収されるものも少なくなったりするでしょうからね。

今の流れですと政治家、公務員の削減も大いに起こるでしょうから、当然でしょう。)

 

こういった時代を見据えている事もあり、

損得やお金を稼げるか否かを抜きにした上での今迄でいう「自分の仕事」とは何かと

自分の内面と向き合ってみたという訳です。

 

ある種の「魂から湧き出る欲求の様なもの」。

 

それが「表現する事、表現するもの」。

 

自分にとって、

既存の価値観的に言えば、

お金を払ってでも「やりたい」となる事とも言えるかもしれません。

 

精神世界的に言えば、

生まれた時からずっと側にいた魂の根源を思い出す時、

もっと言えば、本当はそれと一体だったと感覚的に思い出す時とも言えるでしょうか。

誰一人例外なく、そういったステップに進んでいる、導かれていると思いますよ。

 

すべて起きるべくして起きており、

全体のバランスとして、完璧な事が起きている。

今迄も、今も、これからもそうだったし、そういう事。

今なら、素直に受容でき、自我(エゴ)は無くなりはしませんが、

宇宙全体に委ねられますかね。

 

流れに身を委ねていると

「本当に何も問題なんて無かったんだな~ぁ」

と感じる瞬間が多くなります。

 

この世は二元。

仮に「問題」が起きれば、「問題の解決、消失法」も同時に生まれているという事。

また、「闇」が在るから「光」も認識される…

すべては陰と陽が同時に生まれており、相関関係にある。

はたまた同時に生まれているが故、和としてはニュートラル、ゼロ(無)とも言える。

(当て字ですが「令和」になるのよね~ 笑。)

 

つまり、

二元的なジャッジを極力減らせば、ニュートラルとなり、

比較による優劣、上下的思考も薄まり、争いや今迄の資本主義的な思想も薄まるという事。

 

争いの根源は「正義感」ですから。

「正義」と「正義」がぶつかり合う。

どちらから見ても、相手が「悪」という仕組み。

「二元的思考」が故に生まれる訳ですね。

(人間の脳は私達が思う程利口じゃないな~ぁ 笑。)

 

自我でジャッジせず、

「どちらも同時に受け入れる」

=「受容」

即ち「愛」という事。

(「自我に愛は到底理解できない」という所以。)

 

今の私達の統合意識はもれなく

「愛」

に向かっているとも言える訳ですね。

 

ま、信じても、信じなくてもどちらでも良いですし、

参考になさりたい方はどうぞ。

 

ちなみに

「みんな天使みたいになる」訳ではないです。

在るがまま、我がままをお互いに受容し合う方向に向かうので、

今迄の旧来型の価値観、常識からすると、

「ウソでしょ?!」

「これ、アリなの?!」

「人に迷惑かけても良んだ~。

よくよく考えればお互い様だもんな。」

みたいな、

ちょっと世の中は破天荒になると思います 笑。

なので、アーティスティックな人は生き易くなるんじゃないでしょうか。

 

ホワイトカラーの人達の一部は「何したら良いか分からない」、

もっと言うと

「何もしていない自分はダメ人間なんじゃないか」

という錯覚に陥る人もある程度出てきそうですね。

真面目に「モデルケース的価値観」を歩んできた人達程そうでしょうね。

(とは言え、全体のバランスや「愛」への導きの為に必要だから、起きているのでしゃあない。)

 

 

 

 

 

結局は

誰一人例外なく、生きたいように生きれており、「これで良いのだ」状態という事。

 

「不足感」は「錯覚の分離」によるものと、「自我(エゴ)」からのジャッジによるものとも。

 

結局、特別な「神」や「ハイヤーセルフ」はいないよって話です。

何故ならば…という部分にピンときた方は、

今迄のBlog、今回の内容もよく読んで下さっている方ですね 笑。

 

「自分(統合意識として)の内側」=「宇宙」=「目の前に現れている世界」

 

自我による思考、ジャッジ、感情と上手く付き合う、ある程度手放した上で、

(勝手に湧き上がる物だけどね、これらも。

「湧き上がった事」、「在る事」を受容してあげる「だけ」が一番。)

善も悪も無い、二元で無い、ニュートラルで「在るがまま」の世界。

 

つまりは

「Do」ではなく、「Be」

の世界にスライドしているという事でもあります。

 

「~ができているから幸せ」という様な「条件付きの幸せ」は自我(エゴ)的でどちらかというと今迄の時代的価値観。

「生まれた時から常々在った魂の根源、根幹から無限に湧き上がるもの、こと」、

それらに気付き、思い出し、

「本質的な魂、在るがまま、我がままを受容するだけ」で良く、

「それが他者や様々な価値観の受容に繋がる」というのが、

これからの時代的価値観という訳です。

 

どこまでいっても、

「受容」、「赦し」、「尊重」、

即ち「愛」主体の世界ですね。

 

他者がいなくとも帰結するから「愛」。

つまりは

「生まれた(在る事)」も「死ぬこと(無い事)」も「愛」とも言えるでしょうか。

(この二元も発生した時点で完結しており、

実際は時間も存在せず、本当は「今」しか存在していない。

ニュートラルで言えば、在るが無い、無いが在るともいえます。

この世は「幻想」たる所以。)

 

誰一人例外なく、人に限らずどの存在も

「常に愛の存在」

が故にね。

 

お時間を割いて下さいまして、いつもありがとうございます。