弊ブログのタイトルを「横浜ではたらく英語学習者のアメブロ」から「power of the grassroots」に変更しました。


理由は今の自分のフォーカスが「英語学習者」から「学習者」へ、更に言うともっと広い生き方全般に移っているからです(Akiさんよろしく「英語で学ぶ」境地には行きたいけど全然行けてない)。


辞書的にgrassrootsとは、「(名)草の根, 一般市民, 大衆; 根本」と言う意味です。直訳すると「一般市民のチカラ」。


ぼくの解釈は、金をかけて留学に行ってどーこう、とか、バカ高いセミナーに通うようなスタンスの逆の志向で、SNSの仲間と協力してTOEICを解明し尽くしたり、意見交換の中でやるべき事を見定めたり、まったくの未開のジャンルを自発的に探求して行ったりするスタンスだと理解しています。


1つエピソードを話します。


2016年の11月、TOEICker的には何と言う事も無い865点を取った時、coboさんにお祝いしてもらいました。


当時は自分の学習会を立ち上げた時期で、9月のテストでは745点と暴落、日中は仕事にも力を割き、、、と精神的には充実してたけど、肉体的には限界だった結構なターニングポイントの回と言う事で鮮明に記憶に残っています。


その時にポロっと出た「僕はどうしてもゼロイチじゃなきゃダメなんですよね〜」という言葉が今でも自分のコアなんだと思っています。


当時、大物TOEICkerが開催する学習会は結構沢山あったのだけれど、どうしても他人の学習会に参加する事は、軍門に下るような気がして躊躇っていたのです。


それじゃあ全然自分の脚で立ってない(僕が個人的に大物TOEICkerと親しくさせてもらっている事とは全く矛盾しない)。


同様に僕が今所属しているスピーチ団体で気に入っている処は、「参加者相互の指摘やself awarenessに委ね、成長の機会を与える」と言うスタンスだからです。


オンライン英会話に躊躇しているのも「もし自分に普通にネイティブの友達が沢山いて四六時中ダベる中だったら、意識せずスピーキング上達のチャネルになるのにな。」と言う背景が有ります。   


これぞgrassroots的じゃないですか(speakingはこの考えを流石に捨てないといけないかな笑)。


そんなこんなの幾つかのトピックを書いて行くと、ジャッジメントの基準は「自分に捻出出来るだけのお金が有るか無いか?」は関係無く、「grassroots的か?」である事に気が付いたのです。


そんな自分で今後も在りたいと思った夜でした。