「起きることには原因がある」

 

これって本当でしょうか?

もし、起きることに絶対的な原因があるなら、

イジメ問題も、

浮気不倫問題も、

芸能界のあのニュースも、

少子高齢化問題も、

あの戦争も、

問題の原因をクリアにすれば解消するはずです。

 

でも、実際は衝動的だったり、

複合的なことの積み重ねだったりで起きていると思うから、

解決出来るような絶対的な“原因”って少なくとも僕にはわかりません。

これはカラダに起こることも同じだと思うけど、

「〇〇は〇〇が原因。だから、〇〇すると良い。」

みたいな情報をよく目にします。

 

でも、人によって

生まれた環境も、

育ってきた環境も、

日常の習慣も、

消化吸収の得意不得意も、

運動の得意不得意や習慣も、

思考のパターンも、

家族構成も、

睡眠の質も、

現在の仕事や住環境も

当たり前だと思っている常識など

 

パッと思いついただけでも、

全く違うと思うから、

 

実際は

“症状”“病気”

とかの絶対的な原因なんか僕にはわかりません。

ただ、“症状”“病気”が起きた時に、

原因を考えることは無駄なことではないと思っています。

 

というのも、例えば

朝起きた時に

“肌が荒れていた”として

なんで肌が荒れたんだろう?

昨日、夜更かししたからかも。

今日は早く寝よう

 

みたいに、

これくらいの行動が起きるのは寧ろ好ましいと思うからです。

 

ただ、大切なのは

それが正解ではないし、

 

それどころか、

そもそも正解はこの世になくて、

あくまで可能性の一つだと知っておくことだと思うんです。

 

だって、これが

「絶対早く寝ないといけない。」

「私は早く寝ないと肌荒れする。」

とかになったら、

同じことをしていても僕なら急に生きづらく感じます。

 

だから、

「原因は考える。でも、正解は探さない。そこにも縛られない。」

という一見矛盾しているようなスタンスがカラダに対しても大切なのかなと思っています。

(僕が出来ているということではないので、悪しからずm(_ _)m)

このお仕事をしていると

「次の施術までに私に出来ることはありますか?」

とよく聞かれます。

 

流石の僕も

「ないです。」

と言うと角が立つことに最近気が付きました笑

 

なので、最近は

「当たり前のこと(食事・睡眠・運動・入浴・趣味・掃除など)を当たり前に気を付けるくらいですかね?」

とお伝えしています。

 

あっけらかんとされることが多いけど、

症状の原因がわからないなら、

カラダのベースを整えて、

何が起きてもある程度大丈夫な状態に保てている方が建設的だと思うからです。

 

ただ、それも症状が悪い訳じゃなくて、

「カラダにとって必要なことが必要なタイミングで、必要なだけ起きてる。」

っていう前提なので、

 

結局は“生きやすくいられること”が一番大切だと思うから

「何をするか?」

ではなく、

「そこに対する“スタンスが大切”じゃないでしょうか?」

と時間のある時は自分自身もわからないことを投げかけるようにしています笑

 

そうすると大概の場合、

「生きやすいってなんですかね?」

という話になり、

禅問答みたいな会話になるので、

結局“答え”は出ないんですが笑

こんなことを書きながら、

ホロソフィー®︎の本講座では最初から一貫して

カラダに起こっていることの“原因”を

カラダの繋がりや仕組みから

考える練習をします。

 

もちろん、そこに正解はありません。

 

あくまで一つの可能性です。

 

ただ、面白いのが最後のプロフェッショナル講座まで行くと、

液体や電磁場、エネルギーといった世界にアプローチしていくので、

施術対象が曖昧になった結果、

 

あんなに必死に考えて来たのに

「原因ってなくない?」

ってなるという大どんでん返しを採用しております笑

ないものをあるように見て考える。

 

でも、実はないんじゃないか?と考える。

 

それでも可能性として何かないか?

と考える。

 

でも、やっぱりないんじゃないか?と考える。

 

このプロセスって無駄なようだけど、

結構大切だと思っています。

 

「カラダに起こることってスタンスによってどうとでも取れるし、

答えがある訳ではないある種のパラドックスが本当に面白いんだよなー。」

と思うことが最近多かったので、

こうして書かせていただきました。

 

長文、乱文にも関わらず、

読んでいただきありがとうございます。

 

中壽賀宣行

 

 

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