第二次大戦中に起こった、戦争ではない「戦死」があった事件です。
「カウラ事件」山陽女子中学・高校サイトより引用、加筆~
http://www.sanyogakuen.net/cowra/index.html
今から70年前(1944年)8月5日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州・カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件。この事件での日本人死者者は231名。
なぜ、これほど大規模な脱走事件が起きたのか?
A地区:イタリア人
B地区:日本人(脱走事件が起きた地区)
C地区:イタリア人
D地区:日本人将校、台湾人、中国人
カウラ捕虜収容所での生活
衣・・・オーストラリアの軍服を加工したウール入りのもの。冬でもかなり温かかった。
食・・・3食とも十分すぎる食事。食べきれずに捨てていたほどであった。また、「魚が食べたい」といえば翌日には新鮮な魚が出された。
住・・・ハットと呼ばれる宿舎は大部屋であったが快適だった。強制労働などはなく、昼はグラウンドで野球や相撲を、夜には自作のトランプやマージャン、ギターやマンドリンの演奏を楽しんだ。
「衣食住」、何ら不足のない快適な生活を送っていたはずの日本兵捕虜たち。
(ジュネーブ条約:捕虜を人道的に扱うことを定めた国際条約による)
彼らはなぜ、脱走を試みたのか?
その原因を、次の二点から考察します。
1.日本人の捕虜観
●「戦陣訓」
当時の陸軍大臣・東条英機が出した文書。
「生きて虜囚の辱めを受けず・・・」
すなわち、「敵の捕虜となるくらいなら死を」という意識を、兵士や国民に植え付けていました。
●「捕虜は恥である」
戦陣訓が広まり、国民全体に「捕虜になるのは恥」という意識が浸透していました。
捕虜になると、国元の家族にまで迷惑を掛けるということで、多くの捕虜たちは、「偽名」を使っていました。
●批准しなかった「ジュネーブ条約」
日本は、捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約に批准しませんでした。
その理由は以下の通り。
1.皇軍は、死ぬまで戦うのが当たり前であること
2.捕虜の優遇は、作戦上、不利になること
3.外国人捕虜を日本軍人より優遇することは、本末転倒であること
2.日本人の集団意識
カウラ収容所には、1000名以上の日本人捕虜がいました。
陸軍、海軍、年齢、軍属、階級もバラバラで、当然、考え方も様々でした。
脱走に関しても、強硬派と穏健派、さらに、日和見グループもいたようです。
強硬派の一人が大声で叫びます。
「貴様はそれでも、帝国軍人か!?」、と。
・・・こう言われて、「いや、俺は違う」と否定できる軍人はいません。
帝国軍人であるなら、「戦陣訓」に従わねばなりません。
この一言で大勢は決してしまいました。いわゆる、場の空気ですね。
一応、無記名投票という形で各人の賛否確認をしたものの、「俺一人が反対するのは・・・」という集団意識からか、「反対票」を投じるのをためらった人も多かったようです。
その結果、集団脱走が決定されました。
事件発生と終末
8月5日深夜、突然、日本軍の突撃ラッパが鳴り響く。
それを合図に、次々と日本人捕虜が走り出る。
「ダッダッダ」という機関銃の射撃の中、彼らは有刺鉄線の柵を乗り越えようとする。
脱走する彼らには武器らしい武器はなく、野球のバットやら果物ナイフを手にしていた。
翌朝10時頃、銃撃が止んだ。柵を乗り越えた者も、みな捕まった。
銃撃による死者186名、自殺した者45名・・・。
オーストラリア退役軍人の証言
トニー・ムーニー氏:
今の若い人たちに知ってもらいたいことは、歴史を学ぶこと。歴史は繰り返す傾向にあります。
両国の立場で学ぶことは視野を広げることになります。かつての敵が友になる。教育を通じて平和を追求してほしいです。
戦争では勝者はいません。対立が起きた時、戦争以外の良い解決法を考えるべきです。
以上、引用終わり~~~
本当にやるせない事件です。(´・ω・`)
戦闘行為ではないのに、なぜ自ら命を絶たねばならないのか?
「戦陣訓」
このブログでも何度も紹介していますが、
当時、この文書の影響がいかに大きかったのかが改めて分かりますね。
その文書を出した張本人(東条)や、軍上層部の人間たちは、
戦陣訓に反して、おめおめと「辱めを受ける」・・・なんと理不尽なことでしょう。
(東京裁判では、互いに罪を擦り付けるという無様なおまけつき)
これが、先の戦争の実体です。
戦争を、決して美化してはなりません。(`・ω・´)
もうひとつ
この事件での教訓は、
声の大きな、勇ましい言葉に流されないこと。
「貴様はそれでも帝国軍人か!?」の一言が、結局その場を支配してしまいました。
場の雰囲気、空気に流されやすいのが、日本人の国民性です。
みんなの言うとおりにしよう!という安易な考えが、大きな悲劇をもたらすのです。
現代においても、ネトウヨたちは言います。
「中国・韓国など劣等民族である!ぶっこ○せ!」
「日本は正義の国だ!日本民族は優秀なのだ!」
「軍備増強せよ!核武装だー!」
武力を基にした強硬路線こそ、彼らにとっての「愛国心」なのです。
こうした勇ましい大声に、つい流されてしまう人もいるでしょう。
一方、対話や平和協調を口にしようものなら、容赦なく、
「反日」「在日」「左翼」「売国奴」「国賊」などというレッテルを貼られます。
しかし、当時のカウラ収容所にも、「穏健派」と呼ばれる人がいたのです。
彼らは勇気を持って、脱走に「反対」しました。
無駄死にすることは国益に反すると信じていたからでしょう。
私たちが、先の戦争から学ぶべきはどちらなのか。
一時の感情に惑わされず、冷静に判断しなければなりません。
さて、第二次安倍内閣。
ヒークンさまブログより
【日本会議シリーズ】改造前の第2次安倍内閣はどうよ?
日本会議というロクでもない「珍走団」のメンバーが多数を占めます。
彼らが取り戻したいのは、「戦時中(昭和10年代)の日本」だそうです。
戦時中、国民は、”お国のため”徴兵され戦地に送られ、勤労奉仕という名目で徴用されました。
国民の人権など、存在しない時代です。
ぶっちゃけ、「ただ働き」「使い捨て」ですから、国民は。
そんな日本なんて、
取り戻さんでええわ!(`・ω・´)
と思うのですが、
現在、「為政者」の立場にいる彼らの本心がそうであるならば、
国民のための政治なんて、期待できるはずがありませんよね。
今回引用させていただいた「カウラ事件」サイトをまとめて下さったのは、学生さん(山陽女子中・高校生)です。
戦争からきちんと教訓を学べる彼女達が、これからの日本を背負って行くことに期待を込めたいと思います。