地方議員定数削減→民意の反映機会が減るのロジック
そもそも、地方議会の議員が民意を議会に反映させているのか?そんなことが検証されたことがあるのか?
私は、そうは思わない。
民意とは何か? 人気議員、人気政党を支持することでは少なくともないはず。
むしろ、議員側が主体的に市民から信頼される存在になり、その信頼を勝ち取っていることがポイントであるはずだ。そうでないと、議員選挙とAKBの選挙に差がなくなってしまいやしないか?
仮に、定数が多くても、それが有益であることが認められていれば削減せよという議論にはならないだろう。数が問題なのではなくて、質の問題。
地方議会だって、地元の名士がふんぞり返って偉そうにするための費用を税金で支えるという傾向がまったくないと、言い切れるのか?
形式論でなく、実質、中身がどれだけ大事なのかの話が完全に抜け落ちてはいないか?
国民が怒っているのは、仕事もせぬのに議員が高い給料をもらっていることに対する怒りなのであって、制度そのものがおかしいということに対して怒っているわけではない。実際、一生懸命活動している議員は支持されており、非難はされていない。
議会の仕事は予算削減を訴えることだけではなく、地域が活性化され、市民生活をより豊かに、そして安全で、安心して暮らせる生活環境の実現に努めることであるはずだ。それができないなら、あってもなくても同じだろう。
首長の暴走を止めるためだけの存在なら議会という高コストな制度でなくても良いのだから。
そもそも、地方議会の議員が民意を議会に反映させているのか?そんなことが検証されたことがあるのか?
私は、そうは思わない。
民意とは何か? 人気議員、人気政党を支持することでは少なくともないはず。
むしろ、議員側が主体的に市民から信頼される存在になり、その信頼を勝ち取っていることがポイントであるはずだ。そうでないと、議員選挙とAKBの選挙に差がなくなってしまいやしないか?
仮に、定数が多くても、それが有益であることが認められていれば削減せよという議論にはならないだろう。数が問題なのではなくて、質の問題。
地方議会だって、地元の名士がふんぞり返って偉そうにするための費用を税金で支えるという傾向がまったくないと、言い切れるのか?
形式論でなく、実質、中身がどれだけ大事なのかの話が完全に抜け落ちてはいないか?
国民が怒っているのは、仕事もせぬのに議員が高い給料をもらっていることに対する怒りなのであって、制度そのものがおかしいということに対して怒っているわけではない。実際、一生懸命活動している議員は支持されており、非難はされていない。
議会の仕事は予算削減を訴えることだけではなく、地域が活性化され、市民生活をより豊かに、そして安全で、安心して暮らせる生活環境の実現に努めることであるはずだ。それができないなら、あってもなくても同じだろう。
首長の暴走を止めるためだけの存在なら議会という高コストな制度でなくても良いのだから。