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前回の話


 

 

続きです。

 

 

 

急に(今更)

ふーって逃す呼吸をやめろと言われても。

 

 

という気持ちで

 

 

「ふー」と息で逃すのを

やめるのが怖くてしばらくかかりましたあせる

 

 

 

たしか言われてからも

何度かの波は、

やろうとしても

怖くてできなくて

 

変えられないまま

それまでのスタイルのまま逃した。。

 

 

 

だってさ

これまで全集中の意識

&全力をかけて

長い時間繰り返してきた

「息で陣痛の痛みを逃す」

ということを

 

急にやめろって言われても

 

 

もう、体がこわがるというか

 

絶対痛いじゃん

 

って思って。

 

 

 

 

 

あなたは陣痛中

いきみたい

って感じたこと、ありますか・・?

 

 

 

私、まさかのないんですよねチュー

 

 

 

他の方の出産談を見聞きするに

 

「いきみたい感覚がずっとあるのに

まだいきんじゃだめと言われて辛かった」

 

とか

 

「いきみたいけど我慢して、呼吸で逃す」

 

みたいなのって

けっこう聞くし

 

 

たぶん、いきみたくなるのが

自然なんですよね。

 

 

体の声・本能をキャッチできてる

っていうことなんですよね。

 


 

これ、排泄欲・・って言ったら

赤ちゃんに悪いのかもだけど

 

赤ちゃんを「体内から出す」ために

体が波を起こして外に押し出す

運動が、陣痛。

 

  


う〇ちがもう少しで出そうなときに

いきみたくなるように

 

体が赤ちゃんを出そうとして

「うーん」といきんで

出したいという欲求が出る

 

 

 

それが正常なんだと思います。

 

 

 

んが!

 

 

私は今回だけでなく

 

1人目出産のときも

それを感じなかった。。

 

 

 

思うに1人目のときは

逃す呼吸を習得したのはいいけれど

 

上手く習得しすぎて

それが目的化してしまって

(手段でなく)

 

本来の「いきんで出す」の

感覚をキャッチできずに

ラストスパートを迎えた。

 

 

 

1人目出産レポにも書きましたニヤニヤ

 

いきむってどうやるの⁉

 

って思ったって。

 

 

 

幸い、あのときは

 

呼吸が上手かったのが

方向としては間違っては

いなかったからか

 

タイミングや助産師さんの指示に

救われたのか

 

娘が2800gとそこまで

大きくなかったからすんなりいったのか

 

結果として

いきみたい感覚をつかめなくても

指示に従っていきむことで

娘は無事に生まれてきてくれたけど

 

(出てくる娘が頑張ってくれた

おかげも、もちろんあるラブラブ

 

 

 

私、いきみたいって感覚すら

キャッチできないほど

 

全力で「衝撃を息で逃す」ことに

集中しまくっていたのかも?

 

1人目のときから。

 

 

 

いきんで出す

 

体の「体外に出したい」という

本来の排出運動よりも

 

「痛みを逃すための呼吸」

を優先して

全身全力そそぎ続けてきた

 

 

 

で、1人目のときは

幸いそれで上手くいったけど

 

今回、息子の場合は

私がいきみたい感覚を

つかめないことがまた

 

長引き&私が辛くなる方向に

働いてしまった感じなのかもあせる

 

 

 

なので

 

今思うと

この私の全然進んでこない段階での

案として

 

「すこしいきみを混ぜてよい

混ぜた方が下がるかも」

 

ってたぶんすごく適切な

指示な気がする真顔キラキラ

 

わかるんですよね。

 

 

 

呼吸は大事だし

息止めちゃって酸素が入らない

よりはずっといいけど・・

 

いきみたいって

本能の声を無視してたなら、

進みにくいよねアセアセ

 

 

 

 

 

このときの私の認識として

間違っていたと今思うのが

 

「いきんでよい」が、

=逃す呼吸をやめて

ほぼ息をとめて、うーん!って

力を入れることだと思っていたこと

 


↑いや、すごく間違っては

いないんだけど。

 

実際、このときの助産師さんの

説明もそうだったと思うし。

 

 

 

私、いきみたいって感覚を

知らないから

 

そして娘のときが

その流れだったから

(子宮口全開で、いよいよ産まれる

最後の段階でのいきみ)

 

 

「痛みを逃すのをやめて

(呼吸を大きく変えて)いきむ」

 

って思い込んでいた。

 

 

 

でも

 

たぶん、正しいのは

 

いきみたい、出したいという

体の欲求を私が感じて認知して

 

酸素を入れる呼吸をしつつも

 

それ(本能からの排出運動を

感じること)にシフトして

 

私の体が自然にやろうとしている

いきみという運動を通して

赤ちゃんをおろす

 

ってことだったんだと思います。

 

(↑5年以上経ってようやく

思いあたる「正解案」ゲラゲラ笑)

 

 

 

だから

私がこのとき感じた、

 

逃すのをやめて痛みを

防御なしで受ける(=こわい)

 

とにかくふんばる

 

って意識だと、

 

「違う」。

 

 

 

私の場合、この前に

 

「いきみたいという

体の本来の欲求を感じて!」

 

って誰かに言ってもらう必要、

気づく必要がまずあったのかも。
 

 

 

いきなり「いきんでみて」

って言われても、

 

「痛み逃す呼吸をやめる=

痛みをダイレクトに体に受ける

=絶対痛い・こわい」

 

としか思えなかったから

すぐにできなかったし

 

 

呼吸をこんなに

繰り返し続けてきたんから

急に言われても

やめ方が分からない!

 

って余計追い詰められた感が

ありました。

 

 

 

このときの私に

伝えてあげたい

 

「いきみたいって感じるのが

本能だから、

あなたの体の声のなかで

いきんで出したいって感覚を探して

感じてみて。それに従うのよ」

 

って。

 

 

 

↑でもこれ、

娘出産レポの時にも

「もし誰かがこう言ってくれたら」

って話を書いたけど(内容は別)、

 

娘のときのは本当に

誰か助産師さん

1人でも教えてくれたらっていう

内容だとは思ってるけど

 

この息子のときについては、

こんなことドンピシャで

教えてくれる人はなかなかいないよね

って話だと思う。

 

霊能力で私の体の状態を

分析して必要な言葉をかけてくれる

助産師さんでもなければ

難しい話でしょって。笑

 

 



 

 

ということで、怖かったので

しばらくかかって

 

指示を仰ぎまくり

指示に従いまくり

分からないまま

タイミングまかせまくりで

 

ようやく「いきみとやら」を

混ぜ始めたものの

 

やっぱりやってみても

自信がなくて

指示がほしいと強く思う・・

 

この時点でもう、

正しい方向に進んでるとは

言えないよね笑い泣き

 

 

 

そんな時間でした。

 

 

 

こちらへ続きます。