もう…子どもたちの夏休み入ると

全然ブログ触れないですね!

だめだった笑い泣き

(集中して書きたいから気持ち的に難しい)


毎回スローすぎて

申し訳ありません…


お久しぶりです!星




はじめから読む方はこちら


 

 

前回の話


 

 

続きです。

 

 

 

そんなわけで

後半にいくにつれて

どんどん迷走というか

不安や、体の声を自信持って

拾えて進めてない感が

増していった私の陣痛。

 

 

 

でも、それは私の

1人目出産の前半のような、

 

「恐怖と不安。

先の見えなさ。

生むんだという前向きな気持ちが

へしおられたままで

常に受動的に苦しんで

助産師さんにすがるしかない・・」

 

みたいな

「自分で前に進める意志というか

前向きの矢印が私の心のなかに

ゼロだった」あのときとは

 

似てるようでけっこう違って。

 

 

 

助産師さんに

励ましてと頼んだり

 

どうして進まないのかという

不安を弱音として伝えたり

 

いきみ方が分からないと

不安になって弱気に

すがってみたりはしつつ

 

でもそこは

1人目のときの経験や、

 

自分が事前に


「私が生むんだお願い

 

「助産師さんはサポートして

くれるけど、主役は息子と私」

 

って意識を持ってのぞんでたことで


それが

かろうじて芯になっていたのかな

 

 

「受け身」「ネガテイブ」

に100%は浸食されきらなかった

とは思うんです。

 

 


心弱くなって助産師さんに

心頼りすぎそうになるときも

あったけど

 

「産むのは私!」

 

「主役は、私と息子!」

 

(↑もちろん心の中では

既に決めてる実名で

息子を呼んでる)

 

って、自分を何度も

心の中でふるいたたせようと

ていたのは本当。

 

 

 

 

 

でももう

毎回の波を受けるだけで

精一杯で★苦笑

 

 

 

前向きな意志をもって

能動的にのぞんだというよりは

 

波のパワーがすごすぎて

(弱まることなく

毎回毎回容赦なくて)

 

もう、私の体の状態的に

心が「後ろ向きになって留まる」

選択肢もなかったというか笑

 

 

 

体は前に進もう進もうとあがいていて

そのパワーは強いので

 

心の余裕はもうなくて

ある意味そこは受動的ともいえるけど

 

心が打ちのめされきる前に

私のかろうじて残ってる意識が

一応自分を励ます・・

 


でも、ちょっと心の中で

唱えるので精いっぱいだから

 

私が何かそれ以上の

「前向きの意識」を持つことで

陣痛を良い方向に進める変化を

起こすような余裕はなかった・・

 

みたいな、

そんな構図だった気がする。笑

 

 

 

たしか

辛すぎて長すぎて限界こえすぎてて

ついネガテイブに

持っていかれそうなのと

 

そうやって自分の心のなかで

自分に声をかけカツを入れて

意識する・・

 

の、繰り返しだった気がします。

 

 

 

 

 

ただね、もう余裕で思いましたよ。

 

 

 

つらい

 

 

もういや

 

 

早く終わってほしい

 

 

って。

 

 

もう、

全然出産楽しんでない笑い泣き

 

(当初の目標よ・・)

 

 

 

 

 

あとこれも

すごく思ってたんですが

 

 

 

出産はこれで最後にしよう 


 

 

って笑い泣き




もう、太字ですよ。


太字で思ってましたよ。

 

 

 

きつすぎて・・ゲッソリ

 

 

 

子どものころから

体力なしの、筋肉なし

 

妊娠してからはさらに体が

きつくなり横たわることが多く

運動も全然してこなかった

 

そんな私は

32歳のこの出産で

もうとっくに限界超えよ・・

 

ってね。

 

 



 

妊娠中も、元気!


って人、いますよね。



毎日1万歩あるいたり

運動したり


いつも通りに家事育児できちゃうぐらいの

妊婦さん。

 



もし私もそういうタイプで


めっちゃ歩いて鍛えて・・


っていうのができてたら

 

こういう強い陣痛のときに

ふんばる筋力とか持久力とか

違ったんだろうな


って

あとから思いました。

 

 

 

 

 

でもね

 

強い陣痛の波が何度も続くのに

進まない怖さや不安、

体力の限界超えの強さとかに

押しつぶされそうになってるなかで

 


ある瞬間、ふっと気づけたんです。

 


 

「この強い衝撃は、息子が元気ってことだ

 

息子のエネルギーが強いってことだ」

 


って。

 

 

 

そう思い当たったことは

私を前向きな気持ちにさせてくれました。

 

 

 

 

 

あともう一つ

 


 

神様たちが安産になるよう

守ってくださってるんだから、

安産になることは決まってる

 

 


ということも思い出して

 


それで安心感が

ふわっと出てきた。

 

 

 

これは大きかったなぁ。

 

 


そう、私はこれまで

妊娠中のことや

無事な出産を

神様にお祈りし続けてきて

 

神様が

見守っていてくださると

信じきっていて

 

もちろん、安産のお守りも

持ってきていて・・

 

 


そんなことを

ふと思い出せたときにね、

 

 


なんだか「大丈夫だよ」と

言われている感じというか

 

 


「あ、そうだ、

無事に出産できる・

安産になる っていうのは

決まっているんだった」

 

みたいなのを

妙な確信感で

思い出すといいますか、

 

上手くいえないけど

そんな感覚があって。

 


 

落ち着きを取り戻せた。

 

 


色々あって思わず

めっちゃ不安で

怖くなっていたけど私、

 

「そうだ、大丈夫なんだった

 

神様がついていてくださっているんだった

 

安産できるんだった」

 

みたいに急に気づいたというか

思い出したというか

 

あのときの

ものすごく安心していく感じは

けっこう5年たった今でも覚えてる。

 

 

 

 

 

でも、体の方は

全然落ち着いてないんですけどね滝汗

 

 

 

ホント容赦ない波。

 

 

 

だから別に、

 

流れとして

 

上に書いたような不安や辛さ

でもふと気づけたことで

ポジティブになって

そこから気持ち的に辛さが消えた

 

とかのシンプルな順番があったでは

たぶんなくて

(もう忘れちゃって曖昧だから

違うかもだけど)

 

 

 

私の心境としての

 

・「不安だけど、1人目のときとは違う」

だったのも

 

・「生むのは私!」「主役は私と息子!」

と自分を時おり励ましたのも

 

・ネガテイブと自分にカツを入れるの

繰り返しだった気がするのも

 

・早く終わってほしい つらい もう

出産はこれで最後・・ って思ったのも

 

 

この2つの気づき

(息子が元気だからだってことや

神様がついててくれてるってこと)の

前後に混在してたんだと思う。たぶん。

 

 

 

少なくとも

「ある気づきを境に

意識も流れもガラリと変わった」

とかのキレイな流れではなかったというか

 

そんな記憶・認識は全然ない。笑

 

 

 



こちらへ続きますイエローハート

 

次回、果たして私は

陣痛中に

「赤ちゃんと会話してたのかどうか」議論(?)!

 

 

今年は子どもたちと花火が見られた!ラブ