大地震の瞬間の記憶は何年経っても消えない
消えないどころか鮮明なままである
阪神淡路大震災の瞬間
1994年1月17日5時47分私は奈良のマンションでオープンシフトで家を出る直前でネクタイを締めている最中だった
みなさんはあまり記憶にないかも知れないが福岡西方沖地震
2005年3月20日10時53分福岡市西区の能古島のまさに震源地から数キロのマンションに住んでおり、自宅は大変なことになった 私は佐世保基地へのストアーツアーで部下の運転で佐世保インターの出口渋滞の中におり高速が揺れて崩れ落ちるのではないかと感じていた
爆弾が何かが当たったのかと思った
東日本大震災の2011年3 月11日14時46分はたまたま仕事がオフで東京調布の自宅でソファーに座ってテレビを見ていた
自分の店は仲間が守ってくれていてめちゃくちゃ心配だが任せてあの津波の映像をテレビで見ながら呆然としていた
体験体感した地震は鮮明にその一瞬の記憶が消えずに自分の中にある
阪神淡路大震災以降も鳥取西方の地震や新潟中越の地震、北海道の地震、近くは熊本の地震等大きな地震は至る所で発生している
自分が東京に住んでかなりの時間を過ごしているが大阪の北部が震源の地震もあった
元日の石川能登半島での地震
約30年ほどで私の記憶にあるだけでもこれだけ多くの地震が私が直接体験しただけでも3つの大きな地震があった
正月元日の午後6時頃羽田空港のC滑走路に着陸してからほぼ24時間後同じ滑走路でJALと海保の痛ましい事故が起きた
地震や災害、大事故はいつ自分の身に降りかかるかはわからない
ましてや小さな事故や事件ややまいかや怪我はどんな形で遭遇するかわからないと改めて心に刻み私は今を生きて行こうと思った
愛するこの国に新しく生まれる命の数が減り続け
大好きな人が亡くなることが増え続けている現実を嘆かす恐れず自分に出来る挑戦を
自分がやるべきことを伝え続けて行くべきことを
愚直にやり続ける人生を貫いて行こうと思う
ええもんはええ、あかんもんはあかん❗️
好きなもんは好き、嫌いなもんは嫌いと❗️
正しいことは正しいと、間違えている物は間違えていると言い続けて生きて行きたいと強く思う
どんなことがあろうともどんな状況になろうとも
やっぱり『ポジティブに!正直に!!可愛らしく!!!』
今を生きて行きたい
出会って出会って出会いまくって
コミュニケーションコミュニケーションコミュニケーションで
学んで伝えて育てて愛でて
生きて生きて生きまくりたい
大きな地震と大きな事故で明けた辰年2024年令和6年昭和99年
年男辰年生まれ藤本孝博
今年も愛のカタマリとして新しい喜びを創造し新しい喜びを共有して行きます❣️

今年も本気出すで❗️毎年本気やけどな笑笑笑❗️❗️❗️