「経済はとっくに右肩上がりではないのに、
いまだに上を目指せ、もっと働けという教育が
まかり通っているのは、そうしてもらわないと
困る人たちがどこかにいるからです。」
もうずっとずっと
繰り返し読んでその都度
自分を確認しつづけている
吉本ばななさんの
『「違うこと」をしないこと』
より
学校ができたのが、
産業革命の頃。
読み書き計算できて
上の指示を理解し聞いて動く人が
いないと困る人たちがいたのだ。
だから、それを育てるためにできた。
それは搾取する側の理論。
ある意味、地の時代はそれでもよかったのかもしれない。
それを通じてみんなが学ぶ時代だったのだと思っている。
時代は移り変わっている。
みんなが同じ成功を目指す時代から
それぞれの価値観を生かし満たしていく時代へと。
しかし、多くの人が自分の価値観の迷子になってしまっている。
日本人の一般的な生活レベルは
確保する方へと導かれがんじがらめになって
自分が人生で大切にしたいものを霞める
一般的な生活レベルは確保しつつ、
自分のやりたいことも手に入れたい
それがスケベ心
純粋な自分はそこを差し置いてもやりたいことがあるかもしれないのに
どんなにモノや立場を失っても
わたしの人生と切り離さないでください!
そんな風に切に願うもの
切り離されないものたちと生きている人たちは
とても輝いている。
例え、一般的な生活レベルではなくとも。
本当に自分の人生に大切なものと
生きたいのなら
スケベ心は捨てて生きていくのだ。