■離婚・借金・闘病…救ったのはいつでも歌
まさに「人生いろいろ」だった。8日死去した歌手、島倉千代子さんは数々のヒット曲に恵まれたが、私生活では幾度も試練に見舞われた。そんな島倉さんを救ったのは、やはり歌だった。
7歳のとき、左手に生死をさまようほどの大けがをした。外出しなくなり、笑わなくなった島倉さんに、母親が入浴中に歌を教えてくれた。歌が心の支えとなり、島倉さんの人生を決定づけた。
島倉さんの代表曲がヒットした昭和30年代。島倉さんの歌声は大切な人を思いやる優しさに包まれ、私たちに大事なものを思い起こさせた。
船村徹さん作曲の「東京だョおっ母さん」(昭和32年)では、「久しぶりに手を引いて」などの歌詞に多くの人が自分の母親の姿を重ねた。心の温かさや郷愁を表現する歌では、独壇場だった。哀感あふれる、ささやくような泣き節は聴く人の心を揺さぶった。
ヒット曲から遠ざかった時期があったが、再び表舞台に引っ張り上げたのが、浜口庫之助さん作曲「人生いろいろ」(62年)だった。プロ野球阪神のスター選手だった藤本勝巳さんとの結婚・離婚、多額の借金…。そうした体験が生きた「人生いろいろ」。自らに歌いかけるような歌詞は、世代を超えて受け入れられた。
平成5年には乳がんの告知を受けたが、手術後にカムバック。今年6月4日のブログには、「70歳になった時に体力が“ガクン”とおち、仕事を減らさなくてはならない現実、本当はもっともっと唄いたいのに… 悩みました!!」と記し、情熱を語っていた。最期まで、歌とともに歩んだ人生だった。
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◆支えたい気持ちになる方
歌手の五木ひろしさん(65)の話「昨年12月の遠藤実先生のメモリアルコンサートでご一緒したのが最後だった。少しお元気がないように感じ、心配したが、病気とは知らなかった。着物がよく似合い、女性らしく、どこか支えてあげたい気持ちになる方だった。歌も力強い歌ではなく、島倉さんにぴったりだった。本当に寂しく、残念です」
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◆礼儀を教えてくださった
歌手の都はるみさん(65)の話「デビューして間もないころ、楽屋で小林さっちゃん(幸子)と走り回っていると、『ここはお仕事の準備をする場所よ』と島倉さんに怒られました。大先輩ばかりの楽屋で、まだ10代の2人を注意するのは自分しかいないと思ったのでしょう。私たちに礼儀作法を教えてくださった、優しく大好きな先輩でした。安らかにお休みください」
◆かけがえのない人失った
島倉さんのものまねをしていたタレントのコロッケさん(53)の話「誰にでも優しくて、みんなのお母さんのような人だった。芸に対する姿勢も教えてくれた。島倉さんがいたからこそ、今の僕がある。かけがえのない人を失った。(舞台で早変わりできるよう)大切な着物を作り替えてくれたばかりか、『もっとふざけてまねしていいのよ』と優しい言葉をかけてくださった。今は、ゆっくり休んでくださいとしか言葉が出ない」
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◆常に背中追う存在でした
歌手の金田たつえさん(65)の話「いつも静かでニコニコしていらして、美空ひばりさん亡き後は常に背中を追う存在でした。今春に復活した『コロムビア大行進』でお会いしたときは、しっかり歌われていたし、一本締めの音頭もとられた。まさか…と驚いています」