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昨日だったか、鎧を身に付けた武人が群馬の遺跡から発見された事は、まだまだこの日本も知らない事だらけだと認識できた。話は変わるのだが、現在、日本中で500個程発見されている謎の青銅器・銅鐸の謎を解明する鍵は、雲南市にある加茂岩倉遺跡(日本最多・銅鐸39個内流水紋9個)やそこから3.4キロ離れた荒神谷遺跡(銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本)、そしてその加茂町に集住する謎の舟木家(舟木刃物工場、舟木木工所など松江・雲南・奥出雲周辺で200件)の存在だと思っている。

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さらに、出雲から少し日本海を北上した北陸道(特に石川、福井、富山地区)には謎の舟木家が100件程ある。天平勝宝5年(753)10月に調として貢進された布の墨書『越中国鳳至郡大屋郷舟木秋磨呂』、大伴家持の万葉集で『舟木伐る』や『新羅斧』と詠まれた舟木部のあった能登・国分寺出土の木簡には『上日郷戸主舟木浄足戸□□』などと確かな名前を残し、全国各地の海沿いや湖周辺で栄えた海人系の古代豪族・舟木(船木)氏は、造船と銅・鉄・銀・金の精錬に携わり、銅鐸(サナキ)祭祀にも関与したとの記述は多い。

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今、私の関心事は、大阪万博の開発で銅鐸鋳型が発見された東奈良遺跡(弥生時代の日本最大級・銅鐸工場、銅製品工場)のすぐ傍にある舟木町の存在なのであるが…。

自身のルーツ探索が、中世からいつの間にか古代へ至った時、古い地名、古い寺社などに遺る記録に思わぬ発見がある事が解った。もう少しで『銅鐸の謎』も謎ではなくなる気がしている。


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