平安時代の光と闇〜白壁王の即位〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

先日の日曜日は

「NHK文化センター青山教室」の日✨

関裕二先生の講座を受講いたしました♪



『第1回 平安時代の光と闇

〜長岡京遷都の意味〜





F氏が独裁を目指した理由

中尊寺の仏像はなぜ素晴らしいのか

平安時代の出発点とは

秦氏と源氏と平氏

巨椋池と紫香楽宮の持つ地政学的な意味

なぜ平安京に遷都したのか

などなど♪


天皇が権力を握った2度のタイミングのお話があったのですが(なぁるほど)と、とても分かりやすかったです。また関先生の視点での、中尊寺の仏像のお話がとても心に響き、今度は展示会ではなく中尊寺に行きたいと強く思いました。





今回の関先生の講座内容の中からちょこっとだけご紹介させていただきますね(^^)関先生の資料を元に書いております。



『白壁王の即位』

白壁王は志貴皇子の子で天智天皇の孫にあたる人物です。皇位継承争いが激化し次々と有力候補が暗殺された時代、白壁王は自身を守るためにお酒におぼれる生活を送り、わざと無能を装っていたといいます。

ところが称徳天皇(聖武天皇と光明皇后の皇女)の崩御にともない白壁王は皇太子に立てられます。この時白壁王は還暦を過ぎていました。

右大臣の藤原永手(藤原北家)は遺宣を受けて
「白壁王は諸王の中で最年長であり、天智天皇の功績もあるから、太子に定めてはどうかと奏上があり、その通りにしようと思う」
と述べ、62歳の白壁王は光仁天皇として即位しました。

ここでお家騒動が勃発。白壁王は天智系なのですが、妃の井上内親王を正妃に立て、他戸親王を皇太子に立てることで天武派は妥協するのですが、光仁天皇即位の2年後、井上内親王と他戸親王は天皇を呪詛したという無実の罪をきせられて幽閉先で同時に亡くなってしまいました。暗殺された可能性が高いとみられています。

他戸親王の後は、光仁天皇と高野親笠の皇子の山部親王が皇太子となり後に桓武天皇として即位し、皇位は天智系の血筋によって引き継がれていきました。

 

関裕二先生のお話と講座資料を参考に
書かせていただきました💖





個人的にこの時代が大好きなので、残り2回がどのように展開されるのかとても楽しみです♪ 







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