ここからのこと
ここ1年、何度となく
地元宮城に足を運びました
震災後、故郷は
一体どうなってしまうんだろう
何の前触れもなく
無くなってしまったあまりにも多くの事
これまでに全く感じた事が無かった感覚に
気持ちがふさぎこんでしまいました
それでも自分は生活のサイクルが途絶えた訳では無かったのですが
自分の生活や生き方、人生についての
これまでと、これからを整理する時間が必要になりました
(現場にいた人達の事を考えるとこんな風に書くのは本当に申し訳無く思います)
地震の事が無かったら
弁天湯で開催していた風呂ロックは
昨年の3月で終了する予定だったので
6月頃に再び飲食店を開店させる予定で準備を進めていました
いくつかの食材は宮城から送ってもらう様にと
少し前から生産者の方達と準備をしていて
東北の食材を紹介出来る場所が大きなテーマとなっていました
僕の祖母の家は石巻市の雄勝と言う場所にあり
その地域で多くの親族が漁業を営んでいましたが
雄勝地区の津波被害は本当に壊滅的で
実際に祖母の家があった場所に行ってみても
本当にその場所に来ているのかどうか
はっきりとわからない有様です
故郷である宮城県北部の栗原市は
ニュース速報で震度がもっとも高い地域として情報が流れたので
とても心配しましたが家族は全員無事でした
祖父が元気だった頃は専業農家として農業を営んでいて
周囲はひとめぼれやササニシキの産地としてとても有名な地域です
そんな事で
実家や周囲の農家さんから新鮮な野菜を
雄勝の親戚からはとりたての魚介を仕入れるつもりでした
地震の事から話は原発の事に変わります
原発が爆発してからの
地域による放射線量についての情報や
食品の安全については
1年経過した現在でも未だにがうやむやなままです
この様な状態は社会が成り立たなくなるからと言うのが
主な理由なのかも知れませんが
水の状態から徐々に沸騰していくと
気づかずに最後はのぼせ死ぬカエルの様に
黙ってこのまま何かの都合が良い状態で
いる理由など無いのです
私の家族や親戚
故郷を悪く言うつもり書くので無く
風評被害と言う都合の良い言葉にごまかされてはいけません
海や土が汚れてしまった事は事実
しっかりとその事を知るのが大切です
そして原発がこれからの日本に本当に
必要なのか考える事も大事です
母親が作ってくれたご飯を
これはもしかしたら毒かも知れないと思いながら食べる味や
放射線量が高いとされている地域に住む友人達に
それ以上言葉をかけれない気持ちは
(僕に放射能についての正しい知識がないため)
これまで感じた事のなかった深い喪失感です
(東京も安全とは言えない状態なのかも知れませんが)
今の日本でそんな事が起こってしまった事が残念でなりませんが
それでも僕らは前に進まないと行けないのです
地震後、色々と活動して行く中で
新たに素敵な出会いが多く有り
自分の気持ちをどんどん前向きにしてくれました
そして、その繋がりが少しづつ動き出し
いつかそこでしか出来ない何かの形になる気がしています
今回の事で、人との絆が人生において最も大切なんだなと
心の深い場所で深く確信をしました
想いを大切に生きて行く事
自分に出来るのはとてもシンプルな事なんだと思います
最後に現在5月の開店に向け準備を進めている
飲食店についてです
この1年間で多く考えた事の1つ
日本って何?日本人って?日本らしさとは?
やはりそこもシンプルに
それをお店をテーマに決めました
日本の事を意識し
考えていく場所になっていけたら良いなと思っています
上に書いた様に
予定していた食材使うのは
簡単では無くなってしまったかも知れませんが
時間をかけてでも信頼の出来る機関と
安全かどうか調べて行こうと思っています
少し長くなってしまいましたが最後に
もし、このブログを見ている方で
一緒に働きたいと感じた方おりましたら
是非ご一報ください。
宮城、岩手、福島の方大歓迎します!!
(東京に来た事がほとんど無いけど
興味が有るって方もしいたら
何か良い方法を一緒に考えましょう)
food-info@heiseiikki.com
更に詳しい詳細は追って連絡いたします。
*詳しい内容はこのブログのトップページを確認してください。
1年前に起こってしまった事にについて
何度も書こうと思ったのですが、やっと今日書ききる事が出来ました。
-風呂ロック企画 佐藤-
地元宮城に足を運びました
震災後、故郷は
一体どうなってしまうんだろう
何の前触れもなく
無くなってしまったあまりにも多くの事
これまでに全く感じた事が無かった感覚に
気持ちがふさぎこんでしまいました
それでも自分は生活のサイクルが途絶えた訳では無かったのですが
自分の生活や生き方、人生についての
これまでと、これからを整理する時間が必要になりました
(現場にいた人達の事を考えるとこんな風に書くのは本当に申し訳無く思います)
地震の事が無かったら
弁天湯で開催していた風呂ロックは
昨年の3月で終了する予定だったので
6月頃に再び飲食店を開店させる予定で準備を進めていました
いくつかの食材は宮城から送ってもらう様にと
少し前から生産者の方達と準備をしていて
東北の食材を紹介出来る場所が大きなテーマとなっていました
僕の祖母の家は石巻市の雄勝と言う場所にあり
その地域で多くの親族が漁業を営んでいましたが
雄勝地区の津波被害は本当に壊滅的で
実際に祖母の家があった場所に行ってみても
本当にその場所に来ているのかどうか
はっきりとわからない有様です
故郷である宮城県北部の栗原市は
ニュース速報で震度がもっとも高い地域として情報が流れたので
とても心配しましたが家族は全員無事でした
祖父が元気だった頃は専業農家として農業を営んでいて
周囲はひとめぼれやササニシキの産地としてとても有名な地域です
そんな事で
実家や周囲の農家さんから新鮮な野菜を
雄勝の親戚からはとりたての魚介を仕入れるつもりでした
地震の事から話は原発の事に変わります
原発が爆発してからの
地域による放射線量についての情報や
食品の安全については
1年経過した現在でも未だにがうやむやなままです
この様な状態は社会が成り立たなくなるからと言うのが
主な理由なのかも知れませんが
水の状態から徐々に沸騰していくと
気づかずに最後はのぼせ死ぬカエルの様に
黙ってこのまま何かの都合が良い状態で
いる理由など無いのです
私の家族や親戚
故郷を悪く言うつもり書くので無く
風評被害と言う都合の良い言葉にごまかされてはいけません
海や土が汚れてしまった事は事実
しっかりとその事を知るのが大切です
そして原発がこれからの日本に本当に
必要なのか考える事も大事です
母親が作ってくれたご飯を
これはもしかしたら毒かも知れないと思いながら食べる味や
放射線量が高いとされている地域に住む友人達に
それ以上言葉をかけれない気持ちは
(僕に放射能についての正しい知識がないため)
これまで感じた事のなかった深い喪失感です
(東京も安全とは言えない状態なのかも知れませんが)
今の日本でそんな事が起こってしまった事が残念でなりませんが
それでも僕らは前に進まないと行けないのです
地震後、色々と活動して行く中で
新たに素敵な出会いが多く有り
自分の気持ちをどんどん前向きにしてくれました
そして、その繋がりが少しづつ動き出し
いつかそこでしか出来ない何かの形になる気がしています
今回の事で、人との絆が人生において最も大切なんだなと
心の深い場所で深く確信をしました
想いを大切に生きて行く事
自分に出来るのはとてもシンプルな事なんだと思います
最後に現在5月の開店に向け準備を進めている
飲食店についてです
この1年間で多く考えた事の1つ
日本って何?日本人って?日本らしさとは?
やはりそこもシンプルに
それをお店をテーマに決めました
日本の事を意識し
考えていく場所になっていけたら良いなと思っています
上に書いた様に
予定していた食材使うのは
簡単では無くなってしまったかも知れませんが
時間をかけてでも信頼の出来る機関と
安全かどうか調べて行こうと思っています
少し長くなってしまいましたが最後に
もし、このブログを見ている方で
一緒に働きたいと感じた方おりましたら
是非ご一報ください。
宮城、岩手、福島の方大歓迎します!!
(東京に来た事がほとんど無いけど
興味が有るって方もしいたら
何か良い方法を一緒に考えましょう)
food-info@heiseiikki.com
更に詳しい詳細は追って連絡いたします。
*詳しい内容はこのブログのトップページを確認してください。
1年前に起こってしまった事にについて
何度も書こうと思ったのですが、やっと今日書ききる事が出来ました。
-風呂ロック企画 佐藤-