いつの間にか、日が過ぎて行った。私は毎日することがあって、いろんな人と会ったりいろんなところへ行ったり切ったり貼ったり塗ったり縫ったりしてたんだけどなぜか、思い出せない。
断片的な記憶はあるのに、そこにいたのはほんとに私なんだろうか、夢なんじゃないだろうか、私が勝手に作った都合のいい記憶なんじゃないかと、貸してもらった角田光代の読み過ぎのようなことを考えつつ、Twitterなんかを見ると結構いろいろ思い出して来るもんだ。へんな一ヶ月だ、とにかく。

ひとりで作業をしながら、かなり何度も鬱な気分になって、ちょっとしたことで泣けてきたり自暴自棄になったりした。
投げ出されたみたいな自由は、ある程度縛られ、ルールのあったヴィレッジの仕事より辛い気がした。

いちばん辛かったのは、仕事を評価してくれる人がいなかったこと。良いと言われても、悪いと言われても、それは見てくれている証明だ。みんなが私がそこにいるのを忘れてしまっているように感じて、走り続けなければならないのはわかってるけど、向かう先はこっちでいいの?と、いつも不安だった。
わたしの好きなひとたちは、みんなまっすぐひとつを見つめていて、かっこいいなぁと思う。


それでも私は、できることをやるしかなかった。

いよいよつらさがピークに達し、誰にもいえず涙を堪えながら自転車で帰った日、昔から尊敬し、それ以上に大好きだった人から久しぶりの電話がかかってきた。

私の今の状況を何も知らないはずのその人の声は、なんの用件もなく私の元気だけをたしかめ、ただ、ごはん食べとるか?寝とるか?と子どもに聞くようにして、最後には何故か、えらいなぁと褒めてくれた。

声を聞くだけで涙がでそうだった。その言葉がぜんぶ、有難かった。

そしたら、その日の夜、
最近できた友達が長い長い文章を、LINEで送ってくれた。
ひたすら認め、この日々には意味がある!と、全肯定してくれるような言葉たち。
私が誰かに言ってもらいたかったことを、全部知ってるみたいだった。
優しくて、あたたかいこの関係を、
大事に大事にしたいと思った。



大切なマンガを、わざわざ車でたくさんもってきてくれた人がいた。ふがいない私を、がんばれ がんばれ と応援してくれる。その人の歌も、声も、心も、宝物みたいだ。お祝いに、一升瓶を持ってきてくれた。一緒に飲みたいなー!

きのうの夜飲みに行った時に、いちばんわかってもらいたかった人が、ひとつの言葉をかけてくれた。その一言で、私は心から安心する思いがした。気づいてないだろうけど、そうなんだよ。

今日は、できたてほやほやのカップルが、作業を手伝ってくれた。彼女はバイトに行き、彼は結局一日中手伝ってくれた。作業は、ひとりでやる三倍も四倍も早く進み、嬉しくて楽しかった。その、人を思うやさしい言葉に、いつも助けられてる。


こんなすばらしい、まわりのひとたちのおかげで私はだんだん元気になってきた。
そうか、見てくれてるんだなぁ。

のんびりしてらんない!もう、すぐだ!わくわくもそわそわもドキドキも、大きくなってきて気持ちがいい。

はやく、オープンしちまえわかば!
みんなと話がしたい、まんが、一緒に読みたい。意味をもたせるのも、蔑ろにするのも自分。まだ、始まってもない。たくさんの人に感謝しつつ、なおさら勇気がでるのだった。
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