山本伸一は、「龍郷支部歌」をもう一度聴いた。それから、「では、今度は、ぼくの作った歌を聴いてよ」と言って、東京、関西などの方面歌のテープをかけた。

その音楽の流れるなか、伸一は奄美の同志(とも)に贈るために、激励の色紙を書いた。

「友よ起て 此の世の歴史と 龍郷城」

「勝ちいくさ さらに上潮 たのむらん

   因果の理法 強く信じて」

伸一は、最後に、「皆さんに、くれぐれもよろしく!」と言って参加者を送った。

 

この九州研修道場滞在中、伸一は、離島本部の幹部から相談を受けた。

「可能ならば、学会本部で離島の代表者会議を行いたいと思っております。

実は、各島々を回らせていただいて感じましたのは、島と島とのつながりが、あまりないということでした。

一部の方面では、各島の代表が集って懇談会などを行ってきたところもありますが、全体的に見ますと、孤立したなかで必死に信心に励み、健闘しているというのが実情です。

したがって、全国の代表が一堂に会し、それぞれの島の同志が広布のモデル をめざして、奮闘している模様を語り合えれば、皆が元気になり、学会活動の勢いも出るのではないかと思います」

一人立つことから、広宣流布の闘争は始まる。そして、一人立つ勇者の連帯がつくられる時、幸と希望の大潮流が広がる。

伸一は、即座に言った。

「大賛成です。各島々の同志は、孤軍奮闘している。それだけに、ほかの島の人たちも懸命に戦っている様子を知れば、勇気が湧くでしょう。しかし、どうせやるなら、極めて限られた代表が集う会議でなく、全国から大勢の人が参加できる総会にしてはどうだろうか。私が応援します。いつにするかは、よく検討し、一番良い季節を考えてください」

早速、離島本部で協議し、総会の開催は、10日の土曜日と決まったのである。

 

-2015年9月25日付聖教新聞より-