介護とケアーと看取りとアロマテラピー 備忘録 | gattoアロマテラピースクールのお知らせ

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ナードアロマテラピー協会認定校 
公益社団法人 日本アロマ環境協会総合資格認定校
薫物屋香楽認定校
東京都 江東区 森下

 

2024年3月29日 母敏子(84歳)が息を引き取りました。
生前gattoアロマテラピースクールに通われていた生徒様には大変お世話になりました。
玄関先で生徒様をお迎えすることが母の生活の一部となっており
皆様とたわいのないおしゃべりをすることも彼女の喜びとなっていました。

母敏子、祖母マツ(2010年3月28日老衰のため96歳で死去)を自宅で看取った経緯をまとめておくとともに
アロマテラピーの可能性、素晴らしさを実感しましたので備忘録としてまた、何かの参考として残しておこうと思います。

祖母はとても元気な人だったのですが骨粗しょう症により60歳を過ぎたあたりから何回か骨折を繰り返していました。
また、変形性膝関節炎があり水が溜まることも繰り返していました。
ちょうど私がアロマテラピーを学びだした時期と被っています。
へバーテン結節もありました。
ハンガリアンウォーターのことを知り、痛みのケアに使ってみるとなかなか良いようです。
膝のケアには近くの整形外科、整骨院に通ったり、お散歩をしていたのですがなかなか良くなりません。
ナード・アロマテラピー協会認定アロマ・アドバイザーを学んでいると鬱滞除去作用を使えることを知り
早速、日に数回、精油入りの足浴と膝のアイシング、
リビングの椅子を2台使ってトリートメントを始めました。
膝だけではなく、リンパの流れを促すことも考慮し肩回し、洋服の上からのおなかの軽い圧迫。鼠経リンパ節の圧迫などもしながら行いました。
最初は信じていなかった祖母も痛みが楽になり、水が溜まらなくなることを実感するとアロマテラピーのトリートメントを大好きになってくれました。
肌のきれいだった彼女はスキンケアも積極的に取り組みました
周りの方に肌がきれいだねーと褒められると
わたしの手作りクリームを見せながら
「アロマテラピーのおかげだよ」と自慢げに話していました。


ある日、お風呂場であおむけに転びそれが原因で脊柱の圧迫骨折をしました。
背中が痛いというたびにリビングの椅子に座らせクッションを抱かせて背中から、頭部にかけてのトリートメントを行いました。
背中は湾曲に曲がっていましたので脊柱周りの筋肉が固くなっていました。
トリートメントを重ねると少しずつ背中のハリは軽減し、曲がっていた背中が少しずつですが伸びてきました。
びっくりすることに、髪の生え際に黒い毛も出てきました。
精油のおかげ?トリートメントのおかげ?

90歳を過ぎたころ上腕骨頸部の骨折しました。整形外科の先生は
「年齢的につかないかなー、このまま経過観察をしましょう」
とのことでした。
知り合いの柔道整復師の先生と相談しながら自宅で精油を使いながらリハビリを行ってきました。
2~3週間を過ぎたころにレントゲンを撮ると先生が
「骨ができてきている!!!」と絶句されました。

そして93歳のある朝、脳出血を起こし入院、危篤状態となりました。
さすがに強い人です左半身に麻痺を残しながらも復活しました。
その間にわたくしが行ったケアは
まずレスキューのバッチフラワーエッセンスを使い魂のケア。
「あちらに行くの?戻ってくるの?どちらにせよ自分で決めてね」とベッドの傍らで語りかけました。
同時に脚、手のトリートメントをドクターの許可をいただいて行いました。
緊急時でしたのでドクターの許可は必須かと思います。
「私はアロマセラピストです。血行を良くするマッサージを行いたいのですがいいでしょうか?」
こんな感じでお話した覚えがあります。

個室でしたので芳香もできました。皆さんが好むローズウッドとオレンジ、フランキンセンスだったかなー
祖母にとっても感染防止と魂に働きかける香りとしてチョイスしました。
手足の拘束をしないために24時間家族で付き添いをしました。
夜中に看護士さんが点滴を取り替えにお部屋に入ってくるたびに
大きく深呼吸されていました。
厳しいお仕事の中でよい香りに包まれ一瞬でもよいのでリラックスしていただく大事さを学びました。

少しずつ状態が落ち着いてきて祖母の意識も戻ったとたん
「これはアロマテラピーで治す!」
と言ったのには正直驚きました。
元気なころから精油に親しんでおくことの重要性を感じました。

理学療法士さんによるリハビリも開始されました。
「拘縮がないので、リハビリが楽に進みます。事前に家族によるマッサージが良かったのですね」
と言われました。

病室には
普段使っていた手作りのスキンケアグッズ、精油入りの石鹸、シャンプー、ハーブウォーターを持ち込み
彼女のお部屋はいつも良い香りがしていました。
看護士さんは皆さん、「このお部屋はいい香り」とニコニコされていました。

自宅に戻り約3年の介護生活が始まりました。
我が家では初めてのこと。母を中心に祖母の介護が始まりました。
私は強い祖母ですので再度トイレぐらいは自分で行けるようにリハビリをしてほしいと思ったのですが
祖母に
「もう、これ以上頑張りたくない」
と言われてしまいました。
わたしの気持ちの押しつけはNGであることも祖母から学びました。

嚥下障害にはペッパーが良いとの論文はいくつも出ています。香りだけで効果がありますので、パジャマに精油がしみこむシールを張りお食事のたびに滴下していました。
飲み込みは問題なくできるようです。
おむつも使っていましたので便臭に関しても精油をお部屋に芳香することで解決をしていきます。

ただ、祖母の場合、お医者様の判断でお薬の治療をやめていましたので精油は問題なく使っていました。
お薬をお使いの方、病気の種類によっては精油を使えない場合もあるかと思います。
介護生活の3年間風邪もひかず老衰で2010年3月28日に永眠しました。


我が家では精油の力を皆知っており
母が体調を崩しても精油の導入は問題なく行うことができました。
母も元気なころから、スキンケアはわたくしが作っている基礎化粧品を使っていました。強い香りは好まないのですが精油の香りは問題なかったようです。
ヘルペスケアで精油を使ったりもしていました。

母はもともとやせ形で偏食がち、また運動嫌いでもあったため80歳を過ぎたころからフレイル状態になっていました。
筋力低下によりちょっとした段差でつまずき転ぶことが増えてきました。
日々の買い物には自転車で行っていたのですが、転んで帰ってくることも。
顔や、肩にあざを作って帰ってくることが多くなってきました。
精油を使いあざのケアを行っていました。
(骨が強かったのでしょうか?一度も骨折はしませんでした)

2022年頃より咳が止まらなくなりクリニックの先生から肺炎であることの診断が出ました。
熱が出ては病院に行き抗生剤のお薬を飲むを繰り返してはいたのですが
あまり良い結果が出ません。
精油の感染症予防ブレンドを作ってはあるのですが
オイルは洋服が汚れる、ジェルは冷たいとのことであまり使ってくれませんでした、
なぜ使わないの?とは思ったのですがこれも本人の意思。。。。こだわりの強い人にアドバイスするのが難しいことも学びました。
高熱が出るたびに緊急外来に飛び込んではいたのですが
2022年12月に担当してくださった先生が
「この肺炎は大きな病院で診た方が良い」
とのことからようやく積極的な検査を行い
突発性間質性肺炎と具体的な肺炎の名前が付きました。
血球のバランス(血小板、白血球各種)がとても悪く出血傾向であること、免疫力が低下していることもわかりました。
原因は自己免疫疾患?もしくはMAC肺炎?とのことから精油の使用が難しくなりました。
精油は免疫に働きかけてしまいます。免疫が高くなると自分で自分の細胞を攻撃する可能性もあるかも?
祖母の場合と異なり慎重に精油の使用をするようになりました。
確定診断をするには骨髄穿刺を進められた。
母と妹と相談し痛い検査をして確定診断をし、辛い治療をするのであればこのまま温存で行こう
との決断に至りました。
積極的な治療を行わないため自宅での介護が始まりました。
ケアマネさんを筆頭に訪問医療のドクター、看護師さん、理学療法士によるケアーが始まりました。
祖母とは違い自力で歩くこと、お風呂に入ることはできます。
体力を落とさないために自宅での動きはしっかりとしてもらうようにしました。
各所に手すりの設置をしました。

精油のケアはスキンケアーのみとなりました。
熱が出るたびに点滴が行われます。点滴が終了するまでの数十分の間に看護士さんがスキンケア用のクリームを使って足のマッサージをしてくださりました。
点滴をすると足のむくみがひどくなりました。脚浴にも少しの精油を垂らして行います。
免疫力がないので外に出ること、コロナ禍でもあったので感染症にかからないように厳戒態勢を取りました。
家族も徹底的なうがい手洗い、人ごみに行くときにはマスクの着用
日々感染予防ブレンドを使ってのケアを徹底的に行いました。
おかげさまで母が病気になってから風邪にはかかっていません。
ティッシュソルト、フラワーエッセンスは日々使っていました。

秋風が吹くころから少しずつ体力が落ちてきました。熱を出す回数も増えてきました。
お正月も点滴が取れず看護士さんにはお世話になりました。

2024年3月上旬39度の高熱を出しました。
高熱のため意識も少し混濁したようです。
ドクター、看護師さんによる手厚い治療をしていただきました。
皮膚筋炎の症状か脚から内出血が多くなってきました。ますますアロマトリートメントは難しい状態になりました。
血中飽和酸素酸素濃度が下がっても最初は苦しくはないと言っていたのですが
流石に80台になると苦しがるようにもなってきました。
痰も出すのも一苦労。
口腔ケアでペパーミントウォーターを使いだしました
酸素吸入器も2台になりました。
夜中も目を離せない状態になってきました。
苦しい状態なので鎮静剤の投与をドクターにお願いし意識レベルを下げてもらいました。
3月29日未明なくなる日の直前になってようやく母の手足のトリートメントをすることができました。
わたしを生んでくれてありがとう。いつも見守ってくれてありがとう。
眠るのが下手の人でしたのでゆっくり寝ていいんだよ。苦労しなくって良いんだよ
そんなことを語りかけながら優しくトリートメントを行いました。
トリートメントを終え、ハーブウォーターでふき取りました。
その日の朝6:45妹と私が見守る中で息を引き取りました。

すぐに看護士さんが来てくださりエンジェルケアーを行ってくださいました。
ホーウッドの香りのついているタオルで清拭。
ミルラ、フランキンセンスの入っている手づくりクリームでスキンケアを行いました。
看護士さんが
「白い粉が舞い散る方が多いのですが舞い散りませんね。
そしていい香りがしますしきれいなお肌をされていますね」
と言ってくださりました
久しぶりに唇に紅を差し
お気に入りのワンピースを着せ旅立ちの準備をしました。

夜になり少し落ち着いたところで妹と一緒にお焼香を作りました。
通夜、葬儀と母の旅立ちのための香りづくりをしました。
沈香、白檀、丁子、龍脳、霊陵香、安息香etc
亡き人の魂も、残されたものの心も和む香りに仕立て上げました。

戒名は慈愛敏照大姉をいただきました。
家族を思い、身の回りの人を思い生きてきた彼女らしい戒名です。

今年は桜が遅くまだちらほら咲き出したような
4月1日に家族のみで自宅から出棺しました。
玄関には伽羅を焚きました。
葬儀屋さんの計らいで桜の棺、祭壇も桜を供えてくださり
ちらほら桜が咲く中、空に上がっていきました。



この記録はまだまだ書き進めていこうと思います本日4/6現在のものです