第一回『HUSKING BEE先輩と私』
第一回
『HUSKING BEE先輩と私』
皆様こんにちは。私、来年で結成20周年を迎えるLOST IN TIMEでドラムを叩いている大岡源一郎と申します。2020年12月20日に40才の誕生日を迎えます。(お父さんお母さん、産んでくれてありがとう。照。)
人生の折り返し地点(←?)の記念すべきその当日に「東京・新代田にあります素敵なライブハウスFEVERにて、ライブやろうぜ!」とスタッフからご提案いただきまして、恥ずかしながらもやらせていただけるのであれば、尊敬するハスキング・ビー先輩との2マンをやれたら良いなぁと思いましたので、ニューアルバムのリリース直後で忙しい時期だと思いながらも、ダメ元で声をかけさせて頂いたら、
なんとも快いお返事を頂きました。(嬉)
メンバーの皆様、マネージャー渡邊さん、有り難うございます。嬉しいながらも、ド緊張しております。
そんな私とハスキング・ビー先輩の思い出をつらつらと書かせていただきたいと思います。
高校生の私は、軽音楽部入部をきっかけにドラムを叩くのは好きでしたが、ブルーハーツ以外ほぼ聴いたことはなく、そこまでバンドに詳しい訳ではありませんでした。
その高校生の時にTVK(テレビ神奈川)でAIR JAM(お台場の1997年 or 1998年のベイサイド・スクエア、どっちだっただろうか…?苦笑)の映像が流れていて、そこでハスキング・ビーを初めて観ました。「男らしい人たちだ。」というのが最初の印象です。
その後、もっとドラムを学びたいと代々木にある音楽専門学校に入り、そこで知り合った海北大輔君と何故か(←笑?)盛り上がった勢いでLOST IN TIMEというバンドを始める直前の二十歳の頃、テレビ東京の深夜の音楽番組『HANG OUT』で「欠けボタンの浜」のライブ映像を観ました。メンバーが増えていて、ハーモニカも新鮮で、とても良い曲だと思ったことを覚えています。そして、「男らしい人たちだ。」と。(パート2。笑)
ハスキン先輩との共演歴ですが、すっかり忘れておりましたが(←っておい)、スタッフによると2003年8月23日岩手県小岩井ロックフェスティバルが初めてみたいです。
エレファントカシマシ、銀杏BOYZ、くるり、THE HIGH-LOWS、HUSKING BEE、MO’SOME TONEBENDER、e.t.c。
こんなそうそうたる出演者の岩手の小岩井農場でのフェスに奇跡的に誘っていただきました。東北で御世話になっているNORTH ROAD MUSICの皆さんのおかげで抜擢されたのではなかったのでしょうか。僕らの出番が終ったあと、残念ながら、僕はその場に同席していなかったのですが、海北君が当時のハスキンのドラムだったレオナさんにお酒を沢山ごちそうになって、ご機嫌な状態を超えた状態で宿へ帰る楽器車に戻って来て、宿に着く寸前、そして着いてから楽器車のドアを閉めた直後の当時の辛島マネージャーの事を思い出します(笑)。
つづく。