はじめましてシリーズ 個人的映画館回想 その1 | オッサン君の映画DEぼーん!

オッサン君の映画DEぼーん!

映画に愛を!
ゴジラから2001年宇宙の旅まで。
古今東西、思う存分映画を語るもんねっ!
愛と怒りをこめて、カーツ1発!
(独断偏見ごめんくさい!!やな人はスルーのコトよ!)

やっぱし、まずはどんな「映画」を遍歴して来たことか、この「記念すべき(!)」・・というより「恐るべき」日に、書き始めるのも悪くないかも。

実は私、本日あらフィフ(・・って世間では言うんだよね?知らんけど)50才の大台に、なんと乗ってしまうのだ!ホントに恐ろしい・・・(汗120%)。

元妻にも「いつまで内気な少年やってんねん!」と叱られる情けないおっさん君である。
その通り、私はウダツの上がらん、未だにただの映画少年だ・・ああトホホ。

だが娘には、これでも時々は現に映像で食っている、と虚勢を張るもしっかり見抜かれていて、「(ゴタク並べずに)早く映画撮れよ!」と、これまた叱られる情けないおっさん君でもある。
ああトホホ。

考えたら酷い話で、生まれて目を開けた途端目に飛び込んで来たのは
「ウルトラQ」の怪獣であり、あの不可思議極まる世界、そんなもの「嵌まらぬ」方がどうかしている、
あのモノクロ特有の暗く不気味で異様な世界は、子供心に鮮烈だったことは言うまでもない。

何から何までが面白く、ワクワクが止まらない、おそらくもう3歳の頃には怪獣という怪獣に嵌まり、実際小学校に上がる頃には怪獣博士だの怪獣基地外だのと異名を取るようになって行くのだが、

ある日、神戸のローカル局で怪獣博士決定戦みたいなクイズ番組をやっていて、
そこでは「ゴジラの体重は?」とか「ガメラの出身地は?」とかの質問に子供達が次々答えて、優勝者は博士とあいなるわけだが、
それを見ていた両親が

「あんたも怪獣キチ外なんだからいっそあれぐらいになってTVにぐらい出なさいよ(というような言い方だったように思う)」と言った。
少し悔しいような気はしたのだが、私はむしろ「そういうことじゃねえ!」と心の中で反発したのを覚えている。

前回書いた映画のパンフやチラシなどの収集と同じで、怪獣の身長だの武器だの秘密兵器だの、そんなことには全く興味はなかったのだ。

私はひたすら
「ラドンが風を起こすと一枚一枚吹き飛んで行く民家の瓦」に驚嘆し、
「キングギドラが吐く光線が工場を破壊する映像処理のカッコよさ」に痺れまくり、

そのギドラが初めて街の上空に現われるシーンの、
市民のパニック描写のリアリティに釘付けになり、

ゴジラが接近しているというのにカネで争い、結局ガレキの藻屑となる愚かな大人達の描写にショックを受け、

何より伊福部昭氏の強烈な音楽は、耳から(恐らく初見から5年ぐらいは)離れることはなかったであろう、
そんな体験をしてしまった私にとって

物語の内部の設定である「怪獣のデータ」なんぞどうでもいいことだったのである。

怪獣ならなんでもいいと思ったのか、
初めて親に連れられて行った怪獣映画は何故か怪獣ブームに乗っかった「亜流」ばかりで、

東宝ゴジラの向こうを張って作られた松竹の「宇宙怪獣ギララ」、
日活の「大巨獣ガッパ」といった
今ではかなりコアなファンしか知らないマニアックな怪獣映画ばっかり見ていた。

初めて観たゴジラはようやく5歳の頃、
「怪獣総進撃」という東宝怪獣総出演といった
いかにも東宝が子供に擦り寄り始めた頃の、

マニアが言う所の「ゴジラの弱体化」が始まって
実際この頃以降ブームは翳り始めてゴジラのシリーズが終焉する時期のものであった。

そのゴジラをいまだに愛してやまない少年は、45年の時を経て、今50才になる。

そしてその年は2012年。
12月に地球はまさか滅亡はしなくとも。

イスラエルは緊迫し、民主は政権から降板し、アメリカは再びデフォルトの危機を迎える。

・・この後の世界は、何を僕らに見せるのだろう。