如何わしきこそ映画なり。映画の面白さってなんだっけ?! | オッサン君の映画DEぼーん!

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映画に愛を!
ゴジラから2001年宇宙の旅まで。
古今東西、思う存分映画を語るもんねっ!
愛と怒りをこめて、カーツ1発!
(独断偏見ごめんくさい!!やな人はスルーのコトよ!)

昭和生まれ、高度成長期に子供時代を過ごし、
成人の頃にはバブル全盛、
「谷間の世代」モラトリアム、
新人類、「不揃いの林檎」世代。

そんな有り難い(苦)名前で呼ばれた私の世代、
それはひたすら「面白いこと」、
日々「ワクワクすること」を本当に享受した世代でした。

怪獣ブームに始まり大阪万博は人生観を変える程のインパクトだったし
、仮面ライダー、宇宙戦艦ヤマト、インベーダーゲーム、マクドナルド、ガンダム、音楽ならディスコに始まりYMOのテクノポップ
(あ、サンタナとかビートルズとか、「伝説」は僕らより一つ上の世代なの。)

映画はその間、
洋画全盛「エクソシスト」「「燃えよドラゴン」そして「ジョーズ」に始まるスピルバーグ時代の到来。
「スターウォーズ」から「2001年宇宙の旅」まで宇宙SFも全盛だった
(サイバーパンクはその後のバブル期ね)。

この頃にワクワクしっぱなしで「なーんも知らない」私達少年は、
それら「サブカルチャー」の一体「何に」 ハマったかと言えば、
それはやっぱり「胡散臭さ」だったのじゃないかと思うんです。

私の場合大阪万博に狂喜したクチで、
大阪弁で言う所の「けったいな物」に目がないワケです。
あの太陽の塔から何から何まで「けったいな」建物(パビリオン)のオンパレード。
垢抜けない、もっさりした、そして「味わい深い」ヘンな物。

それと同じ「如何わしさ」を放っていたのがその頃の洋画だったのです。
「エクソシスト」の首180度回転とかも「見世物小屋」フレーバーに溢れてたけど、
なんと言っても個人的には
やたら「大そうな」仕掛けの数々(笑)、

例えば「大地震」(チャールトンへストン主演のA級映画)は
「センサラウンド方式」なんていう新音響システムを導入、
映画館のスクリーン前全面に超巨大なウーファーを並べて
(だって、その映画の単発興行だけの為に設置してた凄いシステム)
地震のシーンになると「ゴおおおおー」って物凄い超低音。

確かにその効果は絶大で、映画の中身は大したことないのに
(「日本沈没」の方が特撮凄かった)やたら迫力感じたもの。

「エクソシスト」で悪魔憑きブームになると
「サーカムサウンド」とかって「音が飛び交う」とか(タダの4ch)、
やたら何でもかんでも「何々サウンド」ってのが多かった。

B級映画なんか最たるもので、
「巨大生物の島」って映画は「TOD、AO」だったかな?
なんか新システムを謳ってたけど,
ただの画面合成に過ぎんし、

「スクワーム」の「マクロ写真方式」なんて何だかよく分からんかったけど、
映画自体はトンデモない映画だった(凄すぎ)。

そういえばマエストロ・G・Aロメロと言えば「ゾンビ」
(原題は「DawnOfTheDEAD」)の初版公開時はもう「卒倒者続出」という「胡散クサ」臭全開で、実際観に行くと・・

そこには確かに今まで観たことの無い、
宗教観を蹴破るような「タブー感」が
言い様のない退廃感、絶望感と共に展開されていて、

「釣り文句」とはまた違った決して「コケオドシ」では無い強烈な世界観が放し飼いになっていました。

その異様な世界は、
ゴダールやアランレネ等のヌーベルバーグの「高尚さ」や
アメリカンニューシネマの「気取り」なんかを寄せ付けない、
怒りにも似た知性を包含した「映画自体の破壊」を提示していたのです。

それは、ゴブリンというロックバンドの曲がガンガン鳴り響く中を主人公達の乗ったヘリが飛び去るラスト、
突然真っ暗になって何のクレジットも流れない、
最高にクールなエンディングに顕れていたし、

同じ感覚はコッポラの「地獄の黙示録」のラストも
何のクレジットも無い「突き放し」感が強烈な作家性を突き付けていた、

そういう映画たちの息遣いと脈動は、
今の映画に果たして「残って」いるのだろうか、
と考えてみるのです。