「リンカーン」。複雑な気持ち。「表現」と「今」という問題。 | オッサン君の映画DEぼーん!

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(独断偏見ごめんくさい!!やな人はスルーのコトよ!)

  
ダニエル・デイ・ルイスの凄さは今さら言う気はない。
画面の中に
「リンカーンという名の俳優」が存在したのは間違いない。

ただしかし、
個人的な話で恐縮だが、
我が劇団の舞台、常日頃から
「解かり難い」「難しい」「舞台としてやっちゃ駄目」等々のご批判もありつつ
(もちろん、評価の声もあるのですよ・・一応言っておくけど笑)、

今回は「経済」をテーマにした娯楽演劇を目指したところ、
一部の評価は得たものの
「一般客」にはどーも「遠い目」を強いてしまったような感があり
「ちょっとマズったかなー」と思っていたわけ。

でもこの「リンカーン」を見て
「問題なし!」との結論に至った(笑)わけだ!

この映画で描かれる南北戦争、
さらにその中で展開される当時のアメリカ議会。
そのルール、そんなの日本人に分かるわけないし、
その法案成立をめぐる攻防もかなり難しい言葉が飛び交い、
人物の交錯も微妙な立場とか、

ホントにあれ、しっかり理解して観れた人、
そんなに居るのかなあ?
そもそも「奴隷制」をリンカーンは「否定」したわけじゃない、
そこを「解釈」で切り抜ける辺り、解かり難いよなあ。

それで冒頭、スピルバーグ本人が解説者として登場、
映画の背景を日本人向けに説明したわけかあ。

何でもスピルバーグ、
初めて撮影に臨んでダニエル「リンカーン」を見た瞬間、
いつもの監督ルックからスーツに着替えに帰ったという。

そこに「リンカーンが居る!」のに、
こんな格好で撮影なんて失礼で出来ないと思ったそうな(笑)。

いやー、元嫁は「眺めのいい部屋」からのD・D・ルイスの大ファンだが、
それも毎度、いた仕方ない。

障害者の役(「マイ・レフトフット」)でのファーストシーン、
足の指でレコード盤を掛ける障害者がルイスその人であり、
そこに「D・D・ルイス」は居ないんだもん。本物にしか見えないもん(凄)。

その後は(映画自体は下らなかったが)
「ラストオブモヒカン」ではシュワルツネッガーばりの肉体派に変身、
なんじゃこの人~!って思ったものだ。

「ギャングオブニューヨーク」のえげつない肉屋ぶり、
毎晩ホテルに響く包丁を砥ぐ音にディカプリオはゲーこわ、
と思って尊敬したそうな。

そのルイスの石油王ぶりと戦ったのが
「ゼアウィルビーブラッド」のポール・トーマス・アンダーソン。
前にも書いたがこの監督、
「マグノリア」で「天才」との評価を得たようだけど、
私はこの作品、全く評価できない。

しかし、世間はこの時点でこの人の才能を見抜いていた、ということなのか、
だいぶ時間が経ってからのこの「ゼア・・」、

正直言って、凄い映画であった。
狂気と才気溢れるこの映画、
天才俳優D・D・ルイスと天才監督P・P・アンダーソンの一騎打ち、
これはルイスの凄い芝居をなんと監督が上回ったと見た。
両者ともに凄いのだが、アンダーソンの策略勝ちであったように思う。

その点から言えば、この「リンカーン」の「天才対決」、
・・これは明らかにD・Dルイスの圧倒的勝利、というより、
スピルバーグは端から勝負を放棄してた感がある(笑)。

「敬意」を表しすぎて演出できなかったんじゃないか。
実際、演るまま放置してたというから、
どうもスピルバーグは、ダニエル・リンカーンに魅入られてる間に撮影終わっちゃったんじゃないだろうか。
そんな気がする。

と言うわけで、映画としては意外なほどに薄味で、
スピルバーグにしては「ストーリーテリング」が弱い地味な作品となっている。

話は変わるが、このスピルバーグ、
やはり「支配者層」のスポークスマンとの噂はあるが、
多かれ少なかれハリウッドの監督はその中で仕事をしていると思っている。

それでも私は、彼の「正義」を信じたいと思っていて、
今この時代に「リンカーン」を世に問う意味にもそれは顕れている筈だと思っている。
少なくとも「黒人」を「奴隷」から解放した大統領の実話として。

ただ、リンカーンは、
一方でインディアンには徹底的な虐殺と民族浄化を行なった事実もある。
そこは封印されているが、

やはり気にせざるを得ない、
「陰」の匂いを漂わしてもいるのである・・。