salon de non.nonのnoriです
 
 
久々のブログ投稿になります
暑くなりましたが、皆さまお元気でしょうかクローバー
 

私、とても悲しいことがありブログが
書けずにいました
皆さまのブログを拝見するのも少なく
なってしまって
 
 
けれど、いつまでもクヨクヨしていたら
母が困るから…
こちらで気持ちを綴らせていただくことで
私の中でどうしようもない寂しい気持ちに
一旦区切りをつけようと思います
長くなりますが
お付き合いいただけると嬉しいです



少し前に大切な愛おしい母を亡くしました
私にとって特別な味方でした
決して甘やかされて育った訳ではないの
ですが、私をよく理解してくれる
大切な人でした


大切な人を亡くされたご経験のある方を
思うと、尊敬せずにはいられません
こんなキツイことを乗り越えられて
こられているのだから…



母が居なくなることなど想像するのも嫌で
けれどいつか起こることで…私の中で
一番の恐怖でした
 
父を早く亡くしたせいか、母が生きて
くれていることが奇跡のように思って
いました
母が元気な時から一瞬一瞬を大切に
接してきたようにも思います
ああすれば良かったなど
後悔が少ないのは少し救われる
部分でもありますが、日が経つにつれて
寂しさが増しているのも事実です
 

子供に迷惑をかけたらいけないと言って
(迷惑なわけないのに)独り暮らしを
していた母は、去り方も格好よく
サッと居なくなりました…
私の介護は約5ケ月間、身の回りの
世話をしていたものの、トイレだけは
亡くなる1週間前まで自分でできていた
母でした
 
母は良くなると周りから言われていた介護
でしたので、私は他の介護のご経験がある方
に比べたら、そんなに大変なことでは
なかったのかもしれません
 
今まで母の影響が大きかったのか?私は
昔から人の気持ちがよくわかる人と
他の人から言っていただくことが多く
大好きな母のことなら余計に理解できる
だろうと、父の時は母と兄が中心になって
介護してくれたので、母の時は兄に代わって
私が介護すると心に決めていました
 
しかし、実際は、そんな簡単なものでは
ありませんでした
 
病気が言わせる言葉は、今までの母とは
別人のように思うことも多々ありました
母も不安で仕方なかったのだと思います
私が勝手に傷ついてしまうこともありました
母との穏やかな楽しい思い出が消えていって
しまいそうに思うこともありました
そして、私こそが、もしかして母をわかって
あげられていないのか?自分を責めてしまう
こともありました

病気は心と身体が密接しているのだと
実感した日々でした
 
その都度、話を聞いてくれた家族や
介護のご経験がある方の助言は
私の支えとなっていきました
 
穏やかな主人の側で母を診れたことにも
本当に感謝しています
介護は周りの人達の協力を得ないと
自分が潰れそうになることを身を持って
体験しました
 
 
母が亡くなって、今思うことは
母は最期に凄いことを私に教えくれたのだと
母の介護に係ることで最高の『自分に対する
許し』を私に教えてくれたのだと思います


母の最期は幸せそうな笑顔だったのです
だから私の介護も間違っていなかった
後悔など母は望んでいない
この私もオッケーであると
大好きな人を亡くしているのに
私はオッケーなんて…
こんなこと思える自分なんて
想像もしていませんでした
母は凄いことを私に教えて去って
いきました
私が、そう受け止めたから
それでいいんですよね
 
今までの人生で私自身に少し足りなかった
自分へのオッケーを母を通して
取り戻すことができたように思います
 
 
不思議なことがありました
母が病院で付けられた酸素吸入機械の
メンテナンス担当者の名刺が機械に
貼ってあるのが目に入り、よくよく
見ると
その方のお名前が亡くなった父と
全く同じ漢字だったのです
そこに父も居てくれているのだと
感じずにはいられない状況での
家族揃っての最期のお別れでした
 
 
父と母と意識が無くなる前日に
共通したことがありました
それは、お互いを思い合っていることが
伝わるラブラブな時間があったことです
気持ちが救われる大切な思い出の一つです
 
 
病院へ運ばれてから私達の気持ちを
整える時間を母は作ってくれました
しかも私達が疲れないような時間で…
どこまで気遣いのある人なんだろう
 
 
耳は最後まで機能しているそうです
意識が無いようでも聞こえているそうです
私も母に色んな気持ちを伝えました
残された皆で仲良く過ごしていくことも
伝えました
母から一筋の涙が流れた時には
本当に聞こえているのだと感じました
 
 
母を亡くしてから、外に出ても
ふと、母との思い出に触れ
突然涙してしまう私がまだまだいます
変な奴だけど、もう何でもいいや…
 
 
私との待ち合わせには、必ず早く来て
私を見つけると嬉しそうに大きく
手を振ってくれた可愛い母の姿が
目に焼きついていて
外は、あまりにも思い出が多く
あんな風に私にしてくれる人は
もう居ないのだと思うと喪失感が半端なくて

そんな中で、支えてくれる主人を始め
家族のサポートと、励ましてくださる方々の
お言葉のお陰で、私の心の中で母は不滅となり
最強の力となってくれそうです
 
 
まだまだ足取りは重い所もありますが
元気に幸せな方向を選び進んでいきます
 
 
出逢えた皆さまに本当にありがとうございます
この人嫌だな…苦手だな…と思った人達にさえ
私に何かを教えようと悪役になりきってくれた
人だったのだと思えるようになってきたのが
不思議です
そう思うと何より自分が楽になれるから
どうしても嫌な時は、離れたらいいだけ☺
全てに感謝ハート
 
 
バラが大好きだった母と見に行った思い出の
写真です、


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母の通夜では、ずっとAKIRAさんの歌を
流してくれた兄
AKIRAさんの曲は主人も大好きで
最高に私達の心を癒してくださいました
 
 
その内の一曲
毎日のように聴いています
添付させてください
 
youtubeもあります
是非聴かれてみてください
こちらです→☆☆☆
 
 
『PUZZLE』by AKIRA
 
おまえはなにをしに
この世にやってきた?
吹きくる風がぼくに問う
胸のすき間を埋める
たったひとつのパズル
探しだすために旅している
 
焼けつく砂の国
凍てつく石の町
汚物まみれの路地裏
片腕の乞食 年老いた娼婦 
きっとやつらも
自分のパズルを探している
 
ぼくは待っていた
千年も待ちつづけていた
おたがいの準備ができるまで
出会いは許されない
運命は決まっていないが
出会いは用意されてる
避けられぬ必然が 
 
たったひとつの
パズルが欠けても
今のきみはいなかった
たったひとつの
奇跡が欠けても
ぼくはきみに会えなかった
 
きみはもうじゅうぶんに
傷ついてきた
傷つけたよりも傷ついた
罪を許すんじゃなく
人そのものを許してあげて
きみ自身を許してあげて
 
今の自分を愛せないことは
すべての過去を否定すること
きみのおばあちゃんの恋 
お母さんの恋
無数の愛を
きみは受け継いで 此処に在る
 
きみの流した涙が
まなざしを深くする
きみを曇らせた雨が
笑顔を輝やかす
むだなパズルなんかない
まちがいは存在すらしない
不幸こそきみが試されるとき 
 
たったひとつの
パズルが欠けても
今のきみはいなかった
たったひとつの
奇跡が欠けても
ぼくはきみに会えなかった
 
ぼくらは世界の
パズルのひとかけら
世界は宇宙のひとかけら
そして宇宙はぼくらの
胸のなかにある
出会いの数だけ
銀河はある
 
きみの孤独がそっと滲みだし
白いシーツに影を描く
ぼくは生まれたての赤ん坊が
乳をのむように
きみの子宮へとくちづける
 
そうひとりひとりが
不完全だからこそ
ぼくらは求めあい
そして愛しあう
きっとパズルは終わらない
永遠に完成などしない
愛に終わりがないように
 
たったひとつの
パズルが欠けても
今のきみはいなかった
たったひとつの
奇跡が欠けても
ぼくはきみに会えなかった
Lalala
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これからのsalon de non.non
また新しく楽しく変わっていく予定です
 
これからも、どうぞよろしく 
お願いいたしますリボン
 
ブログを見てくださる皆さまに
ありがとうございますハート