クライ歌 | Hack or Fuck ?

Hack or Fuck ?

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photo credit: RaSeLaSeD - Il Pinguino via photopin cc



最近、「クライ」歌を耳にしないような気がする。



「クライ」歌とは、単純に失恋や人生の儚さを歌った曲のことだが、そういう歌がテレビ、ラジオで流されなくなったような気がする。



自分がテレビやラジオから遠ざかったからなのかもしれないが、何となくそんな気がする。



たまに家族が観ている歌番組をチラッと観ることがあるが、「クライ」歌を聴いた記憶がない。



あなたに捨てられて私は途方に暮れてるのとか、いいことなんて何もないとか、夢も希望も涙も枯れ果てましたというような歌は流れない。



洋楽のパクリのような曲や「無闇」に明るい前向きな歌ばかりだ。



まさに無闇だ。



つまり、闇がないのだと思う。



まるで、すべての歌にLEDライトでも仕込まれているかのような明るい歌がテレビで今日も流される。



もちろん音楽好きな人々はテレビなど観ないで、それぞれ自分の趣味、嗜好に合った歌なり曲なりを聴いているのだろう。



今話しているのは、そういう「意識的」に音楽を選択して聴くような人々のことではなく、音楽と言えば、主にJポップなどと称される歌謡曲を聴くような人々に関することだ。



そのJポップの多くに、闇がないと思う。



闇が歌われていない、と思う。



少なくともテレビから聞こえる歌には闇など存在しないかのような、深夜のコンビニの照明のような、歌ばかりだと思う。



仮に闇があったとしても明日に向かってまた走り出そう!というための取るに足らない扱いをされている。



結果、闇はあるのにないものとされていく。



クヨクヨするな、前を向け、暗闇なんて存在しない、24時間明るくあれ、というような流行歌をテレビや街で浴び続けるうちに人は次第に存在しないものを抱え込んでいることに罪悪感、孤立感を覚えていく。そして無意識の中に押し込み忘れようとする。



夜が明るくなるにつれ、闇などあってはならないものとされる。



停電が直ちに復旧を要請されるように心の闇は理解されることもなく、ただ明るくなれと要求される。もちろん自己責任で。



心の闇は全体の歩留まりを低下させるのだというように、工業製品のように人が弾かれる。



挙げ句の果てには心療内科に回される。



救いを求めて処方された錠剤を噛み砕く。



異物混入を検査する機械のように、「明るい」歌がその効果をスキャンする。



警報が鳴る。闇が、心の闇がまだ残っているとラインから外される。



最近、「クライ」歌が聴こえないと思う。



心の闇をそっと照らす「クライ」歌が少なくなったと思う。


心の闇を掬いとる歌が少なくなったと思う。