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最近ネットで特定秘密保護法案の話題をよく目にする。
特定秘密保護法案、適正評価制度で「内心の自由」を侵害【争点:安全保障】
秘密保護法案の「適性評価制度」 一般国民の「プライバシー」を侵害するか?この秋の臨時国会で、政府が成立を目指す「特定秘密保護法案」。外交や防衛、スパイ活動やテロ活動の防止など、主に安全保障に関する情報...
昨夜も元官僚の古賀さんが報道ステーションで何やら解説していたが、時間不足なのか局の思惑があるのかどこか消化不良の印象を受けた。
Twitterなどで見るとその危険性について多くの人が語り、廃案を訴えている。
曰く、特定秘密保護法案は現代の治安維持法である、あるいは言論の統制である、表現の自由の封殺である、などと物騒な意見がその多くを占めている。
山本太郎議員は全国各地を飛び回りこの特定秘密保護法案が成立すれば原発反対運動も取り締まりの対象となるだろうと説いているようだ。
何が秘密であるのか国民には知らされず、偶然「特定秘密」に触れてしまう可能性もあるかもしれない。
そしてある日突然その理由も明かされず警察に逮捕されるということもあり得るのだという。
まるでカフカが描いた「審判」のような世界である。
詳しい内容は忘れたが、「審判」では主人公のヨーゼフ・Kがある日やってきた官憲によって拘束され、自分が何を犯したのか、犯さなかったのか分からないまま処刑されるという不条理極まりない話だった。
仮に特定秘密保護法案によってこうした不条理世界が現出すれば誰も「表現」をしようと思わなくなると山本太郎議員は訴える。
そうかもしれない。
結果として当たり障りのない退屈な「表現」が溢れかえるのかもしれない。
それはすでに現出しているようだが。
まあそれはさておき、「政治的」な言論はかなり萎縮することになるだろうというのは想像できる。
今のような脱原発運動や官邸前のデモはできなくなるのかもしれない。
そうなるとどうなるか。
「今まで通り」である。
デモはなくなり、テレビはアイドルたちの歌やお笑いや景気の動向を放送し、海外の悲惨な状況を紹介し、日本はまだマシだと喧伝し、最新のワクチンが認可され、格差は努力の結果だと容認され、官僚や権力者たちは今まで通りこの世の春を謳歌していくことになるだろう。
何が危険なのか。別に何も変わらないじゃないか。表現の自由って何だ。おれは、私はそもそも表現者じゃないし。今まで通りでいいじゃないですか。大体、そんな国家機密なんてどうでもいいんですよ。こっちは日々の生活を送るのに精一杯なんですから。
多くの人がそんな感想を持つだろう。
そしてそれは間違っているわけではない。
この法案は治安維持法ならぬ、「現状維持法案」でもあるからだ。
逆に言うと、こうした法案を成立させる必要を感じるほど権力者層の考える「現状」は危ういということだ。
同様にわれわれ一般庶民の生活の「現状維持」も困難になっていきつつある実感があるのではないか。
その内容はどうであれ、「現状維持」を望むという点で官民の心が一致していればこの法案は通過、成立するのかもしれない。
おれは今、「審判」で最後に描かれたヨーゼフ・Kの心情を思い出している。
「犬のようだ!」