体験としてのスピリチュアルの探究をすすめていくと



深海の底にタッチをし


暗闇を抜けきったあとは、


同じ濃紺の世界に繋がり


そこは無限の宇宙が広がっていた。




というストーリーを体験したあと





非二元、ノンデュアリティに出会った。





2年位前だったかな、


見るもの、見られるものて


分離がないという事に気付いて


「わたし」はほんとうは存在してないことに気付き


自我が消滅し

(自我が消える時、エゴは抵抗する)



驚愕だった。




それまでの過去が全て


否定されるかのような気分になって


受け入れがたかったのだけど。笑






「個性を活かそう。じぶんを生きよう。」という


「個」と「じぶん」の部分が消え


これまでのコアメッセージ(信念)が


あっという間に崩れ





なんて、コントなんなんだこの世界は!と


おかしくなって笑った。





しばらくしてまたストーリーに戻り、真理を忘れた。笑







思考も感情もわたしではないって所までは



良かったけど...




肉体も実はわたしではなかったから驚いたよね。




「肉体の中に意識がある」のではなく


「意識の中に肉体がある」ということを


「識っている」


状態を思い出したの。





思考がわくと


????て軽いパニック。笑






思考や感情が自動にわいては消え


どこへ消えるのか、その行き先を観察していたら、



「無」や「空」があって


なにも湧いてはこない静寂のとき



そこにあって、今もある。



探していたはずのものが全て



じぶんとの距離0cmのところにあった。



例えば、この空の写真を見た時に

「羽のような模様だなぁ」

「きれいだなぁ」

「空て大きくて広いな」と思ったとき

それは、思考であって事実が見えていない状態。




思考のおしゃべりが静まった時に


はじめて感じることができるそれ。




その時あなたは何を感じるだろうか。






スピリチュアルもノンデュアリティも


頭で理解をしようと


「ワタシ」という存在はまた情報を集め


探究に入ろうとするパターン。






知識と真理はいつも平行してすすみ


その差が埋まることは決してない。






スピリチュアルは(二元性として現れた)


「分離の意識を愛す」ことだけど




ノンデュアリティは(分離を赦したあと)


「非分離の意識を受け入れる」







ワタシたちは思考でこねくりまわしているとき


そこでとめどなく行われている命の動きや


目の前にある


ほんとうに大切なものを見落としている。



五感で感じず、本質を見誤り、忘れている。






思考や感情はわたしそのものではないし、


ワタシはほんとうは存在しない。







ワタシというストーリーの中で


幻の何かを追い求め


もっともっとと


次から次へと



いろいろ学んだはずなのに


なかなか現実が変わらない。


たくさんの知識はあるけれど、


体感が伴わない。



「生きている限り悩みや苦しみからは

逃れられないのだ」と


絶望を繰り返しては

目新しいメゾットに飛びつく。


そんな人も多い。




今を見落とす生き方


幻想の中には探しているものは決してない。





五感を感じて生きることの喜びを思い出して。





2018年、5年前の記事ではこんなこと書いていた☝️ちょっと今とはニュアンスの違いはあるけど、

ストーリーの一部。

https://ameblo.jp/gold-sss/entry-12401092642.html