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better than better

彼は、私の死んだママのことが忘れられない。
一方通行の片思いたち


素人小説です

    夏は暴力的な速さで春を蝕む。
 結局私は1学期中に進路を絞ることができず、東京と地元の大学を両方受験できるように勉強していくしかなかった。模試の成績表に東京の大学名が志望校として混ざっているのに気が付きながらも、未だに祖母はそのことを無視し続けていた。祖父は時折心配そうに私たち二人を見比べていたが、意志も定まらない状態では、祖母と話し合うことは到底無理だ。
 とにもかくにも、勉強は大変だし、家にいても膠着状態の空気で疲れてしまうし、学園祭の準備で忙しいし、夏は暑いしで私は随分と参っていた。蝉の鳴き声が、耳から入り込んで脳を掻き混ぜる。
 今は久しぶりに部活から予備校の夏期講習まで時間が空いて、縁側に寝ころんでいた。庭から吹く涼しくもない風が、熱気のこもった部屋や冷房の効きすぎた予備校の教室で疲れた体を癒していく。床に頬を付けると、ひんやりとして気持ちがいい。
 毎年時間があればこの場所で一人ぼんやりするのが夏の習慣なのだが、ある年だけは、それができなかった。ママの死んだ年。
 あの年の夏、この縁側にはほぼ毎日のように千歳が座りこみ、何も言わずにじっと庭を見つめていた。私も隣に座ってみたりするものの、話しかけることもできずにじっと自分の足の爪を見つめていた。まだマニキュアも塗っていなかった、薄桃色の柔らかな爪。
 ある日祖母に麦茶の入ったグラスを二つ持たされて、私の千歳の隣に座った。
「これ、おばあちゃんが飲みなって」
そう言って差し出したグラスを千歳は一瞥した。
「俺は、いらないよ」
「脱水になっちゃうよ」
色の無い声音にひるみながらも押し付けると、彼は渋々と汗をかいたグラスを受け取った。それが残していった水滴が私の手首から肘へと伝う感触。どうしてそんなものを覚えているのだろう。
「春海もちゃんと飲めよ」
やっと私の姿を認めたみたいに千歳は額にそっと触れた。
「春海は、たくさん汗をかくんだから」
離れていく指に縋るように思わず言葉が口を飛び出していた。
「ママは、汗をかかなかった」
千歳の瞳の奥が、揺れる。
「ママは夏の間、外に出たがらなかった」
「ママはちょっと近所に行く時でもしっかり日焼け止めを塗ってた」
「ママは夏が嫌いだった」
「ママは春が好きすぎたから」
「ママは夏の間、足の爪を真っ青に塗ってた。海の色だって」
「ママは、」
「ママは、」
「ママは」
「知ってるよ」
まるで散弾銃のように飛び出す私の言葉を千歳の冷静な声が遮った。
「全部。千春さんのことなら、何でも知ってる」
 悔しくて、悔しくてたまらなかった。私の気持ち、知ってるくせに。そんな暴力的な気持ちで最後の言葉を投げつけた。
「ママは、パパのことが好きだった。死ぬまで、ずっと」
あからさまに傷ついた顔をする千歳に暗い満足感を感じたのを覚えている。他の誰でもない、ママでもなく私自身が千歳につけた、見えない傷。幼くて無邪気なはずのそのころの私は、けれどしっかりとそんな感情だって持ち合わせていた。
「知ってるよ」
ぽつりと返した千歳の声が、蝉の声を聴くたびに今も蘇る。高校生になった私の爪は、ママと同じ、真っ青な海の色に塗られている。


次話


久しぶりの更新となりました。
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