11月の最初の週末、友人のえび探偵と京都で紅葉を楽しんできました

洛北の鷹峯エリア

昨年は何かのキャンペーンで大々的に宣伝されたようで混んだみたいですが今年はどうかな?


北大路駅から市バス「北1系統」に乗って約15分

スタートは常照寺

おおっ、既に木々が色づき始めている!


空いてます(^∇^)

六条三筋町の2代目吉野太夫 が帰依し、寄進したと伝えられる朱塗りの山門


いいですね~

思っていたより紅葉が進んでいますよ!


目で見た真っ赤なもみじを写真で表現するのはだいぶ難しい!










源光庵


本堂は1694年の建立。

天井板は伏見桃山城から移築したもので、1600年(慶長5年)に

徳川家家臣鳥居元忠らが石田三成に破れ自刃したときの跡が残り、血天井となっています

(Wikipediaより)


四角形の窓は「迷いの窓」

四角形は「人間の生涯」を象徴していて、生老病死の四苦八苦を表しています

丸い窓は「悟りの窓」

円は「禅と円通」の心を表し大宇宙を表現しています

もう少し季節が進めばこの窓の向こうに綺麗な紅葉が見えるのですがまだ一部分だけでちょっと残念


枯山水の庭園

風情があって素晴らしいです




光悦寺

江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年(元和1)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、

法華題目堂を建てたのが起こりです

元々は寺ではなく、一族や様々な工芸の職人らの屋敷でした


ここは紅葉がかなり色づいていて綺麗です




光悦垣と呼ばれる、竹を斜めに組んだ垣根




光悦の死後に屋敷は寺となり、境内には光悦の墓があります




境内には本阿弥庵はじめ、7つの茶室が点在しています






ここからは鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望むことができます

いいところですね・・・






光悦寺からすぐ、25度もある傾斜の坂を下ったところにあるのが

吟松寺

観光寺院ではないため、拝観料は不要ですが色濃く鮮やかな紅葉を堪能できます


見頃にはまだ少し早いかんじですが十分美しい木々のグラデーションです


北大路通りまで下って来て、大徳寺にやってきました

その塔頭の一つである、高桐院(こうとういん)

開基(創立者)は戦国時代の武将 細川忠興(三斎)で、父・細川藤孝(幽斎)

のために慶長7年(1602)に建立した寺です


客殿の向こうにはまるで絵画のような庭が・・


高桐院の建造物には客殿、書院、庫裡などがあって

書院は忠興と親交の深かった千利休の邸宅を移築したものです








客殿前の庭園、通称「楓の庭」

一面の苔地の中に楓を主とした樹木によって構成された見事な庭

庭中央には鎌倉時代の石灯籠




ここは混んでます!!


緑、黄色、オレンジ、赤から深紅と複雑な色のグラデーションを織りなす紅葉は

私の撮影技術では手に負えません


とんでもなく美しく、時間が許せば何時間でも座って観てられそうです






細川忠興(三斎)とガラシャ夫人の墓


三斎の死後、細川家の菩提寺として庇護され歴代当主の墓が並んでいます


最後に紅葉とは関係はありませんが、せっかくなので近くの総見院

通常は非公開のようですが秋の特別公開中?でした

高桐院と同じく大徳寺の塔頭の一つで織田信長の菩提寺です

本能寺の変の100日後、10月10日に大徳寺において織田政権の覇権争いの舞台として

有名な大葬礼]が執り行われ、喪主は信長の遺児で、秀吉養子の秀勝が務めた。

その後の織田信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立した寺院

(Wikipediaより)






織田信長一族供養塔




これは1961年(昭和36年)に本山に安置されていた信長木像(重文)を総見院に再び迎え、

380年忌が行われた際に木像が乗った輿だそうです


総見院をあとにし、南東方向に少し行くと大徳寺の「玄関」ともいうべき勅使門(重文)があります

後水尾天皇より拝領したと伝えられます


その後ろに三門(重文)

応仁の乱後、一休禅師の参徒連歌師宗長等が一階部分を寄進、

のち千利休により二階部分が設けられ金毛閣と名づけられました

ここに自分の像を置いたために豊臣秀吉から「不遜である」と言いがかりをつけられ

利休は切腹へと追い込まれていきます


おっさん二人やけど実に有意義な一日でした!

2万歩を超えるいい散歩(^-^)

さて、駅前の王将で反省会しますかね~ビールビール