【冒頭サンプル】キュレムと過ごした二週間 | つうしんたいきちゅう

つうしんたいきちゅう

ポケモンの小説やゲーム状況や何かの感想など

「あっ、あのっ、……すみません、担当者をお呼びいたしますっ!!」

「え!? あ、はい……」

 一瞬戸惑った顔をして、でもすぐに頷いたお客様が首を傾げる。高校生だろうか、白いシャツと黒いズボンという制服に身を包んだお客様がポケモンと一緒にここ、フレンドリィショップに入ってきてから私に話しかけてくるまでに、そう時間はかからなかった。アルバイトとは言っても、お客様から見れば私だって店員の一人。わからないことがあったら尋ねるのは普通のことである。

 まだドキドキしている胸を押さえながら、休憩室へと繋がる無機質な扉を開く。中で休んでいる同僚さんが、膝の上のヤンチャムを撫でる手を止めてこちらを振り向いた。

「コチョウさん? どうかしましたか?」

「あ、えと、すみません……またお願いしても……」

「ああ、わかりました。すぐに行ってきます」

 かじりかけの菓子パンを机の上に置いて、パイプ椅子から彼が立ち上がる。隣の椅子に座っていたタブンネが、ペットボトルの蓋を閉める手を止めて目をぱちぱちさせた。

「本当に申し訳ないです……この前だってイオンさんが休憩中だったのに代わってもらっちゃって……」

「いいですよ。そんな恐縮しないでください、誰だって苦手なものの一つや二つあるもんですから……あ、そいつら頼みますね」

 そう言って、彼が扉を閉める。バタン、という音の後に残されたのは私と、同僚であるイオンさんのポケモン、タブンネとヤンチャムだけだ。置いていかれたヤンチャムが、遊びを中断されたことに怒るようにして私を睨みつける。ぎろりとこちらを向く大きな目に「ごめんね」と呟くも、ぽつりと響くその声はヤンチャムへと伝わらない。慌てて駆け寄ったタブンネが彼に代わってヤンチャムを宥める。

 やっぱり、ダメだった。

 お客様のポケモンを前にして、固まってしまった身体と思考に溜息をつく。高校生らしい明るい笑顔で、こいつに合うフーズとおやつってどれですかね、と尋ねてきたお客様が連れていたポケモン。それを見た途端、私は動けなくなってしまったのだ。

 俯いた私の腰のあたりを、イオンさんのタブンネがぽんと叩く。にこにこと優しいその顔に私は少しの間だけ元気を取り戻したけれど、視界の端、監視カメラの映像を流すテレビの中を見た途端にその気持ちはしぼんでしまった。

『お待たせいたしました! ええと、そちらのガバイト様のご相談ですね。フーズでしょうか? それとも、キズぐすりなど薬品関係でしょうか?』

 慣れたように接客を始めたイオンさんに、高校生の彼も安心したように声を返す。その様子に申し訳なさとふがいなさで胸が痛み出して、次こそは自分で何とかしなければと決意が湧いた。

 だけどその気持ちすら、画面に映った蒼のドラゴンポケモンを見ると瞬く間に消え失せて、足を動かなくしてしまう。きゅう、と鳴きながらカメラを向いたその黄色い瞳が私を見た気がして、そんなはずは無いのだとわかっていても、ぞくりとした感覚が全身に走っていった。

 私が生まれ育ったカゴメタウンには、一つの言い伝えがある。

 町のそばにあるジャイアントホールという洞窟に、遠い昔に宇宙から隕石が降ってきた。その中にはとても怖い、オバケのようなポケモンが入っていた。そのポケモンは夜になると冷たい風と共に現れて、人やポケモンをさらって食べてしまうのだ。

 だから、夜には外に出てはいけない。そういう教えが町にはあって、住民たちはそれを守っていた。オバケの存在など誰も信じなくなった現代でも、町の住民はみんな心のどこかでオバケに対する恐怖と、ある種の信心深さのようなものがあったのかもしれない。

 ……と、思っていたのは五年前までだ。

 なんであの時、よりにもよってジャイアントホールなんかに行ってしまったのだろうかと今でも後悔している。当時私は十五歳で、まだ小さかった弟が夕方になっても帰ってこなかったから慌てて探しに行ったのだ。

 弟が十三番道路にいるのを見た、という町の人の言葉にいてもたってもいられなくなったのは今でもよく覚えている。もしも弟がジャイアントホールに行ってしまっていたら、と考えるだけで身体が凍り付くような思いだった。

 既に傾いている太陽の下を走り、木々をかき分けて進む。いくら弟の名を叫んでも返事は無くて、気がついたら十三番道路を通り抜けていた私はジャイアントホールの草むらに入り込んでしまっていた。

 いけない、と思った時には既に遅いのが世の常というものである。町では感じたことの無いような薄ら寒い風に鳥肌が立った私は、どうにかして早く出なければいけないという思いと、もっと奥に弟がいるかもしれないという思いを交錯させて草を掻き分けた。時折じっとこちらを見つめるようにして浮かんでいるルナトーンやソルロックは、本やテレビで見た時にはミステリアスで素敵に思えたのに、何を考えているのかわからない瞳には不気味さしか感じられなかった。

 モンジャラやピッピを避けながら草むらを走るうち、もう方角すらも見失っていた。弟を探すことも十三番道路に戻ることも出来ず、私は洞窟を前にして立ち竦んだ。

 どうしよう、そう思った時、後ろから鋭い声がかかった。

「おいお前、そこで何してる?」

 振り返った私は、一瞬で全身を固まらせることになる。

 私に声をかけたのは紫色の分厚いコートに身を包んだ老人で、白髪を覗かせる大きな帽子の下の顔は、私を咎めるように険しかった。その一歩後ろには黒いマントを纏った長髪の男性と、変わった髪型をした科学者風の男の人もいて、長髪の方は忌々しげな目で、科学者っぽい方はさしたる興味も無さそうに、私のことをそれぞれ見ていた。

 勿論、その人たちも不気味だとは思った。町で見かけることなんか、いや、恐らくどこに行ったってそうそうお目にかかれないような怪しさを醸し出している彼らを、怖いと思う気持ちは当然あった。

 しかしそれ以上に、彼らに追従しているポケモンたちの威圧感は凄まじいものだった。マニューラの眼が、金色に光って私を射抜く。サザンドラの三つの首が、鋭い牙をがちがちと鳴らす。ギギギアルの歯車が、無機質な金属音を響かせた。

 こんな強そうなポケモンは、見たことがなかった。もし攻撃されたらひとたまりも無いだろうと、頭の中に警報が発せられる。

「答えられないのか! もう一度聞くぞ、お前はここで何をしてる?」

 苛ついたように老人が言う。しかしそれでも、私の喉は動いてくれなかった。弟を探してるんです、小さい男の子を見かけませんでしたか。それだけ言えば良いはずなのに、その一言すらも出てこなかった。

 黙ったままの私に、老人と黒マントはさらに苛立ったみたいだった。キン、と耳をつんざくような音がして、それを耳が認識した時には、私の首筋にマニューラの爪が突きつけられていた。

 気絶しそうなほどの恐怖を覚え、目を見開いた私に黒マントが言う。

「ワタクシは、貴方くらいの年頃の子供が嫌いなのですよ……嫌な記憶を思い出しますからね。痛い目を見たくないというのなら、何をしていたのか早く言いなさい」

「我々も暇では無いんだ。かと言って、こんなところに一人でやってくるような奴には少々心当たりがあってだな……奴の仲間という可能性を考えると、黙って見過ごすわけにもいかぬ」

 ぐ、と突きつけられた爪が肌に食い込んだ。サザンドラの三つの口が、今にも私を噛みちぎりそうに歯を打ち鳴らす。ギギギアルの歯車が、一層早く回転する。逃げなきゃ、言わなきゃ、と思っているのに身体はちっとも動かない。冷たい風が頬を打ち、身体の震えは恐怖によるものなのか寒さによるものなのかわからなくなってきた。

 何も言わないままの私に舌打ちしたのは、老人と黒マントのどちらだろう。マニューラに何かを命じるように口を開いた老人に、もうダメだ、と思った私は思わず目を瞑った。

「――――――――」

 その時だった。身の毛もよだつような何かの鳴き声が、草木と空気を震わせた。その声は、それまでに吹いていた風など比べものにならないくらい冷たいもので、この世のどんなものでもたちまち凍らせてしまうような、そんな力を持っているように思えた。

 びくりと反応したのは私だけでは無い。苛ついていた老人と黒マントも、そして我関せずというように始終そっぽを向いていた科学者風の男もはっと顔をあげる。マニューラも声のした方を向いたために爪の位置が変わり、私はその場にへなへなと腰を抜かした。

 ぎゅっと表情を引き締めた科学者風の男が、草を踏みしめて歩き出す。そして数歩進んだところで、まだ私を睨みつけていた二人をせき立てるように言った。

「そんな子供に構っている場合ではありません! 我々の存在に気がついているということです、一刻も早く行くべきでしょう!」

「しかし、……」

「アレが目覚めている今、その子一人に何が出来ると? 見た感じ、ちっとも戦えそうにないじゃないですか! 捨て置いても問題ないでしょう、行きますよ!」

 老人と黒マントはまだ何か言いたそうな様子だったが、科学者風の彼の言葉に渋々といった感じでついていく。後に残された私は腰を抜かしたまま、木の幹にもたれかかってしばらく呆然とするしか無かった。がくがくと震えてへたり込んでいる私を、草むらに住むポケモンたちは遠巻きに観察していた。

 あれからどうやって家に帰ったのか、今でも全く思い出せない。ほうぼうの体で帰路を辿った私は、どうやら入れ違いになっていたらしい弟と母がいる家の扉をくぐり抜けた瞬間、玄関に倒れ込んだのである。それから数日間高熱にうなされて、毎晩のようにあの場面を再現した悪夢を見ていた。

 その後、ソウリュウシティは嘘みたいな大寒波に襲われて、街全体が凍り付いた。同時にプラズマ団という組織がイッシュのあちこちに現れて、威圧的な態度をとるようになった。それより二年前にいたような、ポケモンの解放を訴える組織と同じ名前を冠しているのに服装も雰囲気も全く違う彼らは、イッシュ中を騒がせた。

 しかしそれも短い間のこと。詳しくは明るみに出なかったが、イッシュの平和は一人の女の子によって取り戻されたのだ。プラズマ団の姿はすっかり掻き消え、異常なほどの寒さはまるでそれが夢だったかのようにあっけなく過ぎ去った。

 その後のカゴメタウンで変わったことと言えば、『オバケ』はキュレムというポケモンだったとわかったこと、それとそのキュレムは少女がどこかへ連れていったため、夜に出歩いても大丈夫になったことくらいである。得体の知れない不安感に縛られず、行動が自由になったカゴメタウンの住民は喜んだ。出張の多い私の父も、夜に戻ってくるのを避けるべく仕事先に泊まる必要が無くなったと笑顔で言ったし、母親も嬉しそうな笑みを返していた。夜は危ないから旅に行ってはいけない、という風習も意味を成さないものとなって、旅立てることを知った弟の喜びようといったらなかった。

 カゴメタウンは、夜の恐怖から解放されたのだ。オバケにも凍てつく風にも怯えることなく、月の下を歩けるようになったのだ。

 だけど、私は違った。私は夜どころか、朝も昼も夕方も、いつだって怯えるようになってしまった。

 あの時、ジャイアントホールで私が見た人たちのポケモン。睨みつけてきた六つの瞳。ぎゅんぎゅんと勢いよく回る歯車。喉笛に突きつけられた、長くて鋭い爪。

 そして、全身を凍らすような寒風を引き起こした、あの咆哮。

 何度も何度も夢に出てきたそれは、私の心をどんどん巣食っていった。侵食された心はトラウマというものに変わっていって、私を強く締め付けた。彼らとは違う、あの時見たポケモンとは違うんだ。そう言い聞かせても、彼らに似たポケモンを前にするだけで、私は心臓を吐き出してしまいそうなほどの恐怖に苛まれるようになったのだ。

 ポケモンが、怖い。

 とりわけ、あの時目にしたような強いポケモンや、ドラゴンポケモンが、怖くてたまらない。

 イッシュが寒くなったあの日を境にして、私はポケモンに恐怖を抱くようになってしまった。

「なんとか、しなくちゃ……」

 バイトのシフトが終わって、信号を待つ私はポツリと呟いた。その声に反応したのか、隣のお兄さんが手にするリードに繋がれたポチエナが幾度か吠える。一瞬びくりと身体を震わせて、私は思わず逃げ出しそうになった足をどうにか踏みとどまった。

「あっ、すみません……こいつ、吠え癖がいつまで経ってもなくならなくって」

「いえ……こちらこそ、びっくりしちゃって申し訳ないです」

 謝ってきたお兄さんに急いで返し、足下のポチエナにしゃがんで視線を合わせる。単に吠えただけのようだ、敵意の欠片も無い瞳がこちらを向く。はっはっ、と舌を出して私を見るポチエナはかわいいと思えた。毛並みの良い頭を少し撫でさせてもらったところで信号が変わり、私はお兄さんに会釈をして向こう側へと渡る。

 どうにかしなくては、と思って五年間。ポケモンに対するトラウマは、徐々に克服出来ているはずだ。

 あの日から間もない頃は、どんなポケモンでも見るなり発狂しそうになった。たとえそれがいかにも無害そうなルリリやププリンだろうと、はねるしか使えないコイキングだろうと、見た目も中身も優しさで溢れているミルタンクだろうと同じだった。ポケモンというただそれだけのことでも、私の恐怖を引き起こすのに十分だったのだ。

 それでも、カウンセラーやセラピー、通院を重ねてトラウマは少しずつ薄れていった。ポケモンを見ても心を乱さなくなったし、大人しいものなら触れるようになった。大学に上がる頃には自分のポケモンを持つという目標を達成し、今はミネズミと一緒に暮らしている。そこまで変わることが出来た。

 だけど、まだダメなのだ。あの出来事、あの恐怖を想起させるような怖くて強いポケモンと、私はちゃんと向き合うことが出来ないままなのだ。

 どんなポケモンとも接することが出来るように、と始めたフレンドリィショップでのアルバイトでも、さっきみたいに結局逃げてしまうことばっかりで、同僚の方々や店長には迷惑をかけっぱなしである。ドラゴンタイプや強そうなポケモンが来る度にあんな調子なのだ、これでは本末転倒も甚だしいだろう。

「やっぱり、このままじゃいけない」

 もう一度、そっと呟いた。私の右手には一つのモンスターボールが握られていて、傷のほとんどない表面は光沢を放っている。中にどんなポケモンが入っているかは、まだわからない。このボールに入っているポケモンは先ほど、バイト先に併設しているポケモンセンターの交換サービスでもらってきたばかりなのだ。

 グローバルトレードステーション、通称GTS。世界中誰とでもポケモン交換を可能にするそのシステムの一つに、ミラクル交換というものがある。

 交換相手は指定出来ず、交換希望ポケモンの特定も不可。誰とどのポケモンを交換したのかは、ボールを開いてのお楽しみというわけだ。ポケモンセンターのパソコンを使ってボールの中身を確認することも出来たのだけれども、私はあえてそうしなかった。

 どんなポケモンが来ても、その子を受け入れる。

 それが私の決意だった。何タイプのポケモンでも、どんな姿を持っていても、どれくらいの大きさでも関係ない。旅の途中に私の家へ立ち寄った弟が、「こいつ交換に出そうと思ってるんだよね」と一つのボールを示したのが三日前。その時にミラクル交換の話を聞いた私は弟に、自分に交換をさせてくれないかと頼んだのである。

「ま、どーしても無理だったら俺が引き取るよ」

 何が来るかわかんねえんだぜ、と不安気に念を押してきた弟は最終的に折れてくれて、そんな言葉を残して旅の続きへと向かった。ふがいない姉でごめん、と心の中で言う。言葉にも顔にも出さなかったけれど、弟はパートナであるオノノクスを、私の部屋で一度たりとも出さなかったのだ。

 次にあなたが来る時には、ちゃんとお出迎えするから。頭の中の弟にそう言って、私は手のモンスターボールにもう一度目を落とした。大丈夫。どんなポケモンでも、ちゃんと、向き合う。

 あれこれと考えているうちに、下宿先であるアパートに辿り着いた。学校からもほど近いこのアパートは学生や若者の一人暮らしを対象としていて、ポケモンの規則もかなり緩い。あまりにも臭いが強かったり高温だったりする場合は手続きが必要だけれども、持ってはいけないという決まりは無いのだ。

 だから、どのポケモンが来ても問題無い。改めて確認して、私はドアに刺した鍵を回す。ガチャリという音を立てて開いたドアの中に入ると、お留守番をしていたミネズミが駆け寄ってきた。

「ただいま、ナッツ」

 抱き上げて頭を撫でる。大学に連れていくことは勿論出来るのだけれども、どうやら悪い意味でトレーナーに似てしまったらしい。ナッツと名付けたこのミネズミは私と一緒に過ごすにつれて、引っ込み思案の人見知りになってしまったのだ。外、取り分け人の多い所に行くことが苦手な彼女を無理に連れ出すのもどうかと思い、基本的にはこうして留守を頼むことにしている。

 みはりポケモンなだけあってお留守番は得意らしいけれども、他のポケモンとも仲良くなれればいいと思っていた。だから今回のこれは私だけでなく、ナッツにとってもチャレンジなのだ。

 そう思うと勇気が湧いてくる。大きな目をくりくりさせて私の方を見ているナッツに、「がんばろうね」と声をかける。ナッツはわかっているのかわかっていないのか、小さな耳をぴくぴくと動かして、片手で私の頬を軽くつついた。

「よ、よし。いくよ、ナッツ」

 手洗いとうがいを済ませ、荷物を軽く整理した私は早速ポケモンを出してみることにする。私の緊張感をナッツも察したのか、半ば私の背中に隠れるようにしてボールをじっと観察していた。ごくり、と同じタイミングで私たちの喉が鳴る。

 一旦深呼吸をして心を落ち着かせる。どんどん速まっていく呼吸はちっとも収まってくれなかったけれど、これ以上ドキドキしたって仕方ない。ふん、と覚悟を決めて、私はボールのボタンを押した。

 ボールからポケモンが出る時特有の、赤い光が部屋に走る。鋭く眩しいその光に、私は思わず目を瞑ってしまった。

 瞼の裏に見える明るさが弱まってきた頃を見計らって、私はゆっくりと目を開ける。光が形作っていった像は実体化を始めていて、徐々にはっきりと姿を現していった。

「………………え?」

 クリアになっていくフォルムに、私の喉から声が漏れた。

 ボールから飛び出した、新しい、私のポケモン。

 

 このポケモンを、私は知っている。

 忘れたくて、忘れられなくて、どうしようもなかった、そのポケモン。

 半分以上が凍った、巨大な体躯。

 部屋を埋め尽くすほどの影を落とす、氷の翼。

 灰色の手足から伸びた鋭い爪と、口から覗く長い牙。

 空洞のような隙間に光る、二つの瞳が、私の身体を一瞬で突き刺した。

 あの日、私がポケモンに近づけなくなった日。あの時聞いた声の主の姿は見えなかったけれど、騒ぎが収束した後、イッシュに大寒波を起こした存在として姿形が公開された。三番目の竜は本当にいたのだと、世間では研究者を中心として大ニュースになっていたようだが、当時の私はそれどころでは無かった。テレビやインターネット、新聞などで見るその姿にジャイアントホールでの出来事を思いだし、震えるだけだったのだ。

 それ以降も、幾度もそれを見ることとなった。ポケモンに慣れてきてからも、その姿は見る度にあの日の恐怖を想起させた。だから、なるべく見ないようにしてきたのだ。あの日のことを忘れようと努めるように、悪い記憶は一掃してしまおうと。

 それなのに。

 その、姿が、私の目に映っている。

 私の部屋で、息をしている。

  

「……キュレム、」

 あの日の咆哮でイッシュを凍りつかせ、拭いきれない恐怖を私の心に植え付けたそのポケモンは、私の目の前で、氷の身体を誇示していた。