Greatchain

2019/12/26

 

私はこれを書くべきか否かを随分迷った。これは人を傷つけるかもしれない。たぶん傷つけるだろう。しかしこれは他人事でなく、私自身が患者として体験した、まさに稀有な出来事であり、同じ(と思われる)患者がかなり多いらしいことも、その後徐々にわかってきた。しかし私には、どうしても解せないことがいくつか浮上してきた。私は現在、言語障害と言えるものは、ほぼなくなり、不自由なく話せるようになった。これは医師の方々のおかげだと感謝しなければならない。また、私がある期間「意識混濁」状態にあったことは確かなので、間違いはあるだろう。また、もちろん、私は医者ではないことをまず断っておかねばならない。

 

私の病名は「左皮質下出血」、症状は「高次脳機能障害」というらしい。「らしい」というのは、私は一度も担当医からそれを聞いたこともなく、そもそも一度もお会いしたことがないからである。そのような出血状況の説明は、もっぱら私の娘が承った。私は完全に痴ほう状態にあると間違われたようである。私がその状態に全くなかったとは言わない。しかし意識の完全な期間は長かったと思う。別の医師(の方々)についてもそうだった。これが謎の第一点である。

 

「高次脳機能障害」というのは「せん妄(状態)」と同じものではないだろうか? 区別があるのだろうか? 特別、区別がないものだとして、「脳出血」と「譫(せん)妄状態」=deliriumとは関係があるのだろうか? これらは別物ではないだろうか? なぜなら、deliriumについて英語の文献を調べてみても、脳出血に当たる言葉は一語も出てこなかったからである。

 

Deliriumというものは、大昔から存在することが知られているが、結局、治療法はわかっていない(inconclusive)と書かれている――Evidence for the effectiveness of medications in treating delirium is inconclusive.

 

これに対して、ドラッグによって引き起こされるせん妄は、よく知られているらしい。MedLinkというサイトのDrug-induced delirium4つのキー項目の1つは、「せん妄はドラッグによって引き起こされることがあり、年配者に非常に多い」とあり、もう1つは「対処のさまざまな方法の1つは、やさしくケアすることと、不快なドラッグの投与をやめることである」と言っている。この部分は注目すべきである――supportive care and withdrawal of the offending drug. 原因も分からぬものに、余計なことをするなということである。

 

もうひとつ、病院側にとっておそらく聞きたくない、日本語の寸評を引用しておこう:――

 

入院すると、せん妄が起こることがあります」(市立豊中病院 せん妄予防対策チーム)——これは誰が読んでも、入院しなければ起こらない、という含みである。

「…それまで認知症もなく元気でしたが、入院翌日から様子が変わりました。看護師が病室を訪れると…「早く家に帰らなくちゃ」…(ハートクリニック・こころの話)入院した途端、急にぼけてしまって、自分がどこにいるのか…というエピソードがきわめて典型的である。」(せん妄——ウィキペディア)

入院中は、せん妄が起こる可能性があります」(入院患者様とご家族さまへ)

英文でも:——「入院中、突然suddenly during hospitalization...)起こる」

 

こうした記事から考えると、せん妄の患者は、安静にして、安らかな環境で十分にケアされ」るべきで、何かの過激なドラッグのような処方を、(ひそかに)病院側から与えられない限り、たいていは快癒する、と考えられるのではないだろか?(私のような)高齢者では、死ぬ率もかなり高いようだから、事態は深刻である。症状が始まったから、これに対処する強い薬を更に試みるというようなことは、当然、考えるべきではないだろう。これは “もってのほか” であろう。そうであるかないかを、この病院に聞いてみたい。

 

以上、私はまったくドライに、基本的な私の疑問を述べてみた。実はもっと言いたいことがあるのだが、それは差し控えておく。ただひとつ、ここには病院にあるまじき、ある不穏なものがあったとだけ言っておきたい。

 

この問題は、医療倫理的な観点から、人間の魂とは何かという問題にまで、きっと発展していくものと思われる。私の体験したような、恐ろしく不気味な体験を、単に「意識の混濁」と説明していいのだろうか? それとも何か意味があるのだろうか? そもそも「単なる無意味なもの」が、正常にせよ非正常にせよ、我々の意識の世界で起こるのだろうか?

 

MedLinkの著者は、「せん妄」Deliriumについて、こう書いている:——

 

せん妄は、記述された、最初の心の混乱の1つで、2,000年以上に及んで認知されている。せん妄の本質的な特徴は、ヒポクラテスによってphrenitis(脳炎)と説明され、肉体の病気を伴い、不安、不眠、それに気分や感覚や”wit”の混乱という、特徴をもっている。セルシウスは、せん妄を、マニアや、うつ病とは区別した。ガレノスは、初期(特発症)と、次の期の症状の示す混乱とは、区別すべきだと言った。17世紀から19世紀にかけて、せん妄については、これを眠りとも夢とも説明する、たくさんの説があった。…

 

これを見ると、せん妄の歴史はずいぶん長いことがわかる。もしこの病気が、我々の時代になって急に増え出したのだとしたら、どうしたらよいのだろうか? 我々は、ビル・ゲイツや、エゼキエル・エマヌエルや、ロックフェラー3世のように、「無駄に生きているおばあちゃん」をどう始末するかを、真剣になって議論すべきか? それとも、「無駄に生きている人間など存在しない。すべての人々が大事にされ、愛されるために生きているのだ」と、大声で言える時代を築くべきなのか? 我々はたった今、深刻な決断をすべく、強いられているように思われる。

 

PDF: http://www.dcsociety.org/2012/info2012/191228.pdf