長女がうまれたのが9年前。
やっぱり自分の子供はかわいい。月に一回しか家に戻れないので、
家にいる間は抱いている時間が長くなる。
ということはポチこは僕の胡坐に入れなくなる。
ポチこは自分の足ふきマット上で上目使いにこっちをじっ~と見ていた。
こういう攻撃に私は弱い。
犬にしろ猫にしろワンワンニャーニャーねだる場合は簡単に無視できる。
しかし、欲しいんだけどという顔でじっ~と待たれると、つい降参してしまう。
長女もこの弱点を見抜いているようだ。
欲しいものがあると次女は泣きわめくが、長女は極端に無口になる。
お父さん弱いんだ…
というわけでそのときも長女をかみさんに預けてひざをたたいた。
ポチこは大喜びで入ってきた。

長女が2歳の時だったと思う。
デング熱にかかった。
熱が下がらず入院、一時危なかったので僕も大慌てで家に戻った。
いつもの通りポチこは迎えてくれ、頭をなでてやったが気は病院の長女だった。
さいわい僕が付いたころは容体が安定していた。
2日ほど家と病院を行き来してアドナラに戻った。

長女が退院する日のことだった。かみさんから連絡があった。
無事退院したとの報告かと思ったが違った。

ポチが死んだ

耳を疑った。あんなに元気だったのに・・・・
なんでも長女が入院したころからあまり餌を食べなかったそうだ。
なんで最後に見たとき気づかなかったかと悔やんだ。
でもふと思うことがある。

あいつ代わりになったのかな・・・・

気付いてやれなかった後悔を誤魔化そうとする心理があるのだろう。
でもだれにでも優しかったポチこらしく、そうだったと思えてならない。

あいつの死を聞いても僕は泣かなかった。
昔ペットショップで働いていたことがある。
そこは動物の死が日常茶飯事だった。
それだけでなく、エサにするため、病気やその他の理由で商品にならない生き物の処分で自分の手で多くの生き物を殺めた。
そんなことから一々感情的になってはもたないので、すぐに動物の死で涙を流すことがなくなった。

しばらくして家に戻った。
いつものように二本足で立って迎えてくれる犬はいない。

玄関にあるあいつの足ふきマットはもうなかった。
でもそこの壁、あいつがくっついていた所は茶色くなっていた。
そのあいつの残した痕を見た瞬間、なにかいろんなものが浮かび、
こみあげてきて、気付いたら声をあげて泣いていた。

ぼくはキリスト教徒だが、洗礼を受けた身にあるまじく、死後の世界をあまり信じてない。
でももしあの世があり、そこにあいつがいてまたあえるのなら、ちと気が楽になる。
でもそうするとそこにはポチこだけでなく、今まで僕が殺した生き物も待っていると思ったら
ちと気が重くなる。

ポチこよ、お前がそこで待っているなら俺もいつかはそこに行くよ。
でもお前の好きだったマグロの刺身を持っていけるかは分かんない。
どうしても食べたいならお前がこっちに来いや。
今ならたくさんあるから。
無くなったらまた釣ってきてやるから。