昨日の朝 悲しい知らせが届いた

後藤清志さんが亡くなられた

57才という若さ
偉大な体操選手
偉大な指導者
優しい先輩

足元から地面が抜け落ちるような衝撃だった


後藤先生は、
1981年の世界選手権モスクワ大会の日本代表で銀メダル
この時日本人初の鉄棒で10点満点を出すも4位に
1977年ユニバーシアードのソフィア大会の鉄棒優勝
全日本選手権大会種目別鉄棒で5年連続優勝(1976-1980)
元韓国体操チームヘッドコーチとして韓国チームを世界でメダルが取れるまでレベルアップさせた恩人

数え上げればキリがない

私との出会いは
日体大に入った頃

体操の初心者であった私に捻りを教えてくれた
前方の捻り方(前宙1/1捻り、飛び込み前転1/1捻り)
後方の捻り(後方宙返り1/1、2/1、バックダイビング1/1捻り)

雲の上の憧れの先輩なのに、下手くそな新入りの私にも気軽に声をかけてくれて指導もしてくれた。

岡山関西高校の出身であるため
私の同級生の森末慎二を始め多くの優秀な選手の兄貴分としてみんなに「ごっさん」と慕われていた。

毎晩、体育館を出ると、みんなで集まってワイワイ。
いつも周りに人々が集まった。
そんなに輪の中にいつも私はいた。

私が選手をやめて指導者の道を歩み始めた頃
後藤先生はヨーロッパの大会でイエーガーを見たという話しをしてくれた。
しかも、それをやって見たいという。
その当時のイエーガーの演技はまだ発表された直後であり、順手で後ろ振りから行う開始技であった。

当然、日本では誰もやっていない。
しかも、逆手車輪から雄大な宙返りとして行うという。

男子指導部の大沼先生(現品川女学院の教員)と一緒に足を鉄棒にぶつけても痛くない様に、専用の踵パッドを段ボールとピットのウレタンフォームを使って手作りした。

当時、8mmビデオを撮影しては編集し、それを壁に写しながら分解写真を作り、演技を研究した。

そのおかげで後藤さんのイエーガーは世界中から驚きを持って賞賛され、ヨーロッパのではイエーガーというよりゴトーという呼び名がついたくらいだった。
卒業送別会では、イエーガーを連続5回も成功させて最後は開脚サルトで着地を決めて、みんなを驚かせた。

また、ある時はあん馬で開脚旋回から倒立まで上げる技を考案して先生に見せたら、あん馬は旋回運動を優雅に行うものだから邪道だと言われ、その技は封印された。数年後、世界大会でそんなに技が発表されたのは衆知の通り。
平行棒でイエーガーをやろうとしたこともあった。
世界が後藤さんの発想について行ってなかったのである。

また、韓国に呼ばれてコーチになった時も
言葉の分からない中、
まだまだ未熟な選手のダラけた練習態度に腹を立て、
素手で鉄棒の模範を見せて、
「おめーら、ちばけとんじゃね~。こうやって鉄棒はやるんじゃ!」
と岡山弁で怒鳴るとみんな云うこと聞くようになったと笑って話されていた。
その後、その時の教え子が世界大会でメダルをとったのである。

卒業後 、岡山に帰って大学教員になられた後もメンタルトレーニングコーチとして体操だけでなく全てのスポーツ選手に向けた指導をしていただいた。

岡山国体の際は、
私を女子チームのアドバイザーに指名していただき、
武庫川女子大学の選手を中心(4人中3人が武庫川)に置いた岡山県チームで優勝に輝いたことも良い思い出される。

しかし、そんな偉大な先生だが、
会うといつも優しかった大学生の時のままの先輩で接してくれた。

本当に体操を愛し、
後輩たちの面倒を見てくれた。

そんな尊敬する先輩を失ってしまった。

どうか、安らかにお休みください。
そして、愛する奥さんのチエさんとお子さん達を見守りください。

体操バカの遺伝子はしっかりと受け継ぎます。
ありがとうございました。

合掌











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