そして。その後。 | 辻明佳のナイフとフォーク

辻明佳のナイフとフォーク

旅、お料理、ときどき女優。

※これは去年の出来事で今は父は元気です


「お父さんの意識がもどりました」


まんじりともせず明けた7月26日。


この一報に大喜び、大安堵した辻家面々。

お母さんのはしゃぎようが尋常じゃない。
まだ会話はすごくたどたどしいし、記憶も欠落してるけど、
あーーほんとよかったあああ!
と誰もがまずは喜びの絶頂にいってしまった。


しかし、詳しく調べられる病院に転院してよく話を聞いてみると

これから急に悪化して死に至ることもあるのだとか。


病名は、まず髄膜炎、そして、それによって引き起こされた脳炎。

要は、なんかの菌が、脳をおおってる髄膜に入って、それが最終的に脳までいっちゃった、と。


この病気は、
これから悪化してあれよあれよという間に死亡してしまう方が1/3。
一命はとりとめるけど、認知症やけいれんなどの後遺症が残る方が1/3。
大きな後遺症なく全快する方が1/3
ということだそうです。
どうころがるか、だいたい1~2週間でみえてくるのだそう。


最高の富士登山旅行→父たおれる
に次いでの、このジェットコースターぶりに、辻家愕然。


とにかく今は私たちは祈ることしかできないということで。


「(父が倒れた瞬間)お姉ちゃんがちょうど起きてたっていうのも
なんか意味があるはずだからさ」
と男前な励まし方をする弟。


目覚めた初日、
10ひく3は?
が答えられなくて
10ひく3をずーっと考えこんでいた父。
みんながべつの話にうつっても
回らないろれつで
10ひく3をいつまでも考えつづけていた父。


大学病院に転院してからは、
私たち見舞い客がいない間ずっと
チューブ自己抜去・転倒防止のために
手や胴にきっちり拘束具をつけられてしまうのが見ていられない。

寝返りもうてないし鼻もかけない状態。
特に両手はベッドの枠にくくりつけられて縦にも横にも動かせないうえ
指すらまがらないように板のミトンをはめられている。

拘束をいやがる父をなだめすかして逃げるように去る帰りぎわ、
「また明日来るからね、じゃあね」ていったら
動かないミトンの手を挙げて
にこにこの笑顔でばいばいされて
私はもうしあわせとはなにかわけがわからなくなってしまって
涙が止まりませんでした。


こんなことを公の場に書くのもどうかなあ、とはもちろん、思うんだけど

今現在、父のことをまったく抜きにしてブログとかツイッターとかの発信をしていくことは私にはできないし
機械的に「次回のバッコスは?!o(^▽^)o」みたいな記事ばかり書いてるわけにもいかないし、もうぜんぶ書くよ。

思わず朝晩お仏壇でお経を読むわたくし。
さらに、富士山頂上でもらったおまもりを肌身離さず持つ、
毎晩不可欠だったビールを断つなど、
完全に神頼みな日々。
ビール断ちは「お父さんの快気祝いまで」と決めてしまったので、まだ続いてますうぐぐ
このタイミングで壺のセールスとか来なくてほんとうによかったです。


愛してるって、もっと伝えておかなきゃ、いけなかったなあ。